93.藤原家vs南家(転)
藤原道草は、背中に冷たいものが這うのを、黙って感じていた。
羽柴土竜。
彼は戦闘能力ひとつ取っても、化け物だ。
いくら場慣れしていても、あそこまで堂々と、あそこまで不遜に振る舞えるだろうか。
加えて、あの洞察力。
孔雀の負傷をたやすく看破して見せた、あの慧眼。
まるっきり、一部の隙もないではないか。
つぅ、と。脇の下をいやな液体がなでた。
これは、戦闘などといった生易しい状況下ではないのだと悟る。
これは、ただの虐殺であった。
「孔雀。美沙と典嗣を連れて、逃げろ!」
道草は敵をにらみつけたまま、怒鳴った。
苦痛にさいなまれながら、横を通り過ぎる孔雀。
保険屋は今鏡の能力で、すぐに回復させてやった。
「さて」
そう土竜は天を仰いだ。
まるで道草など眼中にないと言わんばかりに。
「そろそろ前戯は終わりにしようか」
彼は、南土扇を横なぎに振った。
「土達磨」
突然、道草の足元が、陥没した。
ぐらりと体勢を崩し、かがみ込むと。
周囲の土は盛り上がり、覆いかぶさるようにして降ってきた。
「色即是空」
道草は今鏡を発動させる。
それに構わず土の塊は、道草の全身を包み込んだ。
息ができない。そして、重い土だった。
「大地圧搾」
ばき、ごき、ぐしゃ、めきぃ、と。
鎖骨、胸骨、肩甲骨、上腕骨、胸椎、尾てい骨……と。
大小さまざまな骨組みが、一度に砕ける。
痛覚を消し去った道草の脳内は、それをたしかに記憶していた。
青白い月光が、その様子を、官能的に浮かび上がらせる。
やがて、固い意志を持って襲い掛かった土が。
糸を切られた操り人形のように、地面に落ちた。
道草は軟体動物になっていた。
精一杯見開かれた眼球は飛び出し、のっぺらぼうに鼻はつぶれ。
口腔からは赤黒い臓物を吐き出し、ぺしゃんこになった腹部には、まだ臓器が残っていた。
ちり紙の下肢からは、赤く染まった白い棒が、無残にも突き出ている。
「ふむ、ウォーミングアップにもならないか。やはり扇を使うべきではないな」
「空即是色」
「む?」
不意に、死体のほうから声がした。
あわてて振り返る土竜。しかし、だれもいない。
軟体動物が1匹、朽ち果てているだけだった。
気のせいか。土竜はそう首をかしげる。
「我々の姿を形作っているもの、これすなわち空であり。
我々の容姿を定めているもの、これすなわち色である。
色すなわち空。空すなわち色なれば、我の肉体は何度でも蘇る」
気のせいではなかった。姿なき敵が、どこかにいるようだ。
「最良体調全回復」
今鏡だった。
"鏡の中の"無傷な藤原道草が、しゃべっていたのだ。
その道草が、軟体動物と入れ替わりに現れた。
「色即是空は鏡の中の自分と入れ替わる大技であり」
新生・藤原道草は、そう静かに、土人形に突き刺さった例のナイフを引き抜く。
「空即是色は鏡の外の自分と入れ替わる大技だ」
そして迷いのない目で、刃物を構えた。
「面白い」
土竜はそう感嘆の声をもらした。




