86.羽柴灯火vs藤原孔雀⑥
空が白み始めてきた。
それとほぼ同時に。
どくどくと脈打つ右手の中指にも痛みが戻ってきた。
アルコールが切れたせいだろう。
頭脳も冷静さを取り戻しつつあるようだ。
藤原孔雀はひとつ、深呼吸をした。
山の空気はおいしい。
東京の水はまずいと聞いたことがあるが、それを言うならば酸素も同じだ。都会の人間は排気ガスを吸って生活しているのかというくらい、ここの空気は淀んでいる。
孔雀はまたひとつ大きく息を吸い込んで、下山を開始した。
「よう、待ってたぜ!」
ちょうど山の中腹であろうか。
1軒のあばら家が目前にせまったところで、羽柴灯火は腕を組んで直立していた。
その表情にはどこか余裕すらうかがえる。
「お待たせしてしまい、申し訳ないな」
孔雀はそう軽く応じるも、不穏な気配を感じずにはいられなかった。
灯火にとって、戦況はなにも好転してはいないはずだ。
微に入り細を穿つならば、舞台装置が変わっただけである。
たったそれだけで、ここまで大胆になれるだろうか。
だれかの入れ知恵によるものか?
それともハッタリか……。
どちらにせよ、カマをかけてみるしかあるまい。
「俺はてっきり、逃げたものだとばかり思っていたんだがな」
「ああ、もちろん。最初はそのつもりだったさ」
「最初は、ということは、つまり……」
「ああ、勝算を見出したから、ここで待っていたのさ」
「なるほどな……」
その刹那――孔雀は跳んだ。
彼我の間合いを、一瞬で殺したのだ。
そして頭から突っ込むようにして、相手を押し倒す。
思考回路が読み取れない不気味な相手には。
速攻を仕掛けるのが定石だ。そう考慮してのことである。
両者はきりもみ回転をしながら、あばら家の中へと吸い込まれていった。
ひどくホコリが溜まっていたせいで、それらが一気に宙を舞った。
おかげで濃霧の中にいるように視界が悪くなる。
「いや、これはホコリだけじゃない」
孔雀はすぐに気が付いた。
「この白煙は……」
脳内を、閃光が駆けた。
「小麦粉だ」
室内。小麦粉。炎熱系。
これらの単語を組み合わせると。
「まさか、粉塵爆発か!」
孔雀は相手の作戦、その全貌を理解した。
「逃げなきゃ!」
しかし、きりもみ回転をした際に。
三半規管を激しく揺さぶられたせいで。
反応が、ほんのすこし遅れた。
突如、狭い箱の中に爆発音が鳴り響いた。
その爆風は未燃焼の粉塵を舞い上げ、次々と誘爆を引き起こす。
爆発が止む頃には、四方を固められていた。
羽柴灯火だけではない。
実妹である藤原美沙。おじに相当する藤原道草。白内障と思しき老年男性。孔雀と同い年くらいの青年。そして女子大生。
このような面子が集結していたのである。




