84.羽柴灯火vs藤原孔雀④
息を切らして肉体を駆動させる孔雀。
乾いた空気が肺に厳しく襲いかかる。
すこしでも気を抜けば、むせ込んだことだろう。
「このクソ親父!」
関節の外れた中指が、急速に体温を失っていく。
だが、大鏡には自己暗示系の能力はない。
思い込みによって自分の骨折を治すことは出来ないのだ。
「今更なんなんだよ」
健全なほうの左手で。
孔雀は自分のふとももをぶん殴った。
「帰りてぇよ……」
そう幼い青年は、固めた拳を何度も振り下ろす。
「帰っていいなら、そうするよ」
大腿四頭筋がリズミカルに痙攣してきた。
ほとんど条件反射だ。
「檻の中の獣は、俺なのかもしれねーな」
そう千本鳥居ならぬ、千本凸面鏡に向かって、今の自分を投影する。
幸い自分を映す鏡なら、嫌というほどしつらえてあるのだから。
「まるで江戸川乱歩の鏡地獄だなー。まあ読んだことねーけど」
少年の声が聞こえてきた。
カーブミラーを使うまでもない。その声の主は、先程の暴漢だ。
歩いてきたのだろうか。疲労はだいぶ回復したように見える。
「ずいぶん執拗だな。なぜ俺にこだわる?」
「放っておけねーからだ」
「俺の親父の言うことなんか、無視すればいいだろ!」
「それだけじゃ、ねーんだよ」
灯火は歯切れ悪く、言った。
「お前、じいちゃんを殺しただろ」
「えっ?」
殺しただろ。
そう言われるとなんだか殺したような気がしてくる。
実際に孔雀が殺したのは、トレンチコートを着た不動産屋の若社長だけではないのだ。
ほかにも何人か殺している。生きるため。現金を奪うため。
だから。
「ああ、そうだよ」
そう、頷かざるを得ない。
羽柴槐が孫の病気を肩代わりして死んだことなど、目の前にいる少年同様、知る由もないことだから。
「だったらテメーのことふんじばってでも、連れ戻さなきゃなんねえよなあ」
相手の声色が、変わった。
先程よりも敵愾心がこもっている。
「親のところにでも刑務所にでも、好きなところに行きやがれッ!」
閃光花火、と。
暴漢は指を鳴らした。
孔雀は思わず、音の発信源を見てしまう。
それが罠だとも気付かずに。
「しまった……」
突然、視界が真っ白に染まる。
不随意反射による瞳孔の収縮はまぬがれない。
やられた。まぶたの裏まで熱い。
羽柴灯火は指パッチンで視線誘導をし、手元を強く発光させたのだ。
たとえるなら閃光弾。
それによって孔雀は視覚を奪われた。
「ちぃ」
片手で顔面を抑えて。
もう片方の手を横なぎに振るう。
威力はないが、牽制のつもりで。
しかし。
「燃焼型猛打掌」
耳小骨に振動が伝わると同時に。
アルコールを分解しているはずの肝臓が、かっと熱くなった。
少年の灼熱の拳が、がら空きの胴体をぶち抜いた。
「がっ。は……」
そう膝から崩れ落ちる孔雀。
脳内では舌先三寸による虚言を、必死に構成していた。
この劣勢をひっくり返す、虚言を。




