83.羽柴灯火vs藤原孔雀③
ウイスキーが効いてきた。
孔雀は目の前でひざまずく羽柴灯火を眺めて、つくづくそう思う。
痛みが薄れてきたのだ。
骨折した右手の中指が腫れている。
それにはちょっとした拍子に、何度も気付かされた。
しかし、肝心の痛みがやって来ない。
永久に続くはずの痛みが、ぷっつりと、途中でなくなっていた。
これは、良い感じに酔いが回って来た証拠であろう。
「おいおい、もう降参か!」
孔雀は好機を逃さず、畳みかける。
「これからが俺の本気だぜ」
大鏡の発動をうながすために。
「ガチでやるんだろ。骨折くらい我慢しろよ」
最後は自分への激励だった。
「ああ、そうかい」
灯火は肩で息をしながら、立ち上がった。
ここまで走ってきたのだろう。
その動作からは疲労がにじみ出ている。
「だったら俺も容赦しねーぞ」
東炎扇に、後ろ手で触れた。
「喰らえ……」
ひどく緩慢な挙動で。
「焼暴弾」
彼は、東炎扇を横一線に薙いだ。
孔雀の眼前に、巨大な火球がせまる。
「ふん」
しかし、動じない。
腕を組んだ姿勢で、仁王立ち。
あのときの修羅場に比べれば、生ぬるかった。
「俺に炎熱は効かない。よって衣服も燃えない」
そう孔雀は、念じるように話す。
膨大な熱の集合体が、孔雀の皮膚に、ぶつかった。
炎熱が、顔面もろとも被覆していく。
酸素を燃やす音が、鼓膜に伝わり。
まばゆい光が視界をふさいだ。
だが、熱くはない。
焼暴弾のアフォーダンスを操作することで。
人体および衣服の燃焼を、無効化したのだ。
無機物に意思はない。なればこそ、そのベクトル操作はたやすかった。
火の玉が、孔雀の身体を透過した。
「ふ、ははっ」
気高く哄笑するつもりが、息が続かない。
一瞬とはいえ、燃焼する物体の中にいたのだ。
空気が、圧倒的に足りなかった。
ただでさえ、酸素を渇望する戦闘間である。
こうなるのも必然と言えた。
それでも孔雀は。
ままならない思考回路で、大口を開けた。
「きかねえよ」
空気が漏れる。うまく発声ができない。
ばきぃ。
ようやく脳に酸素が供給された。
カーテンに覆われたような視界が、クリアになる。
秋の四辺形が、夜空に浮かんでいた。
「わわっ」
急いで上体を起こす。
立ちくらみをおさえて、無理に立ち上がると。
鼻から、液体が垂れた。
鉄さびの臭いが地面に染み込む。
塩っ辛い成分を舌でなめとって、顔を上げる。
羽柴灯火は無言で、それを睥睨していた。
「投降しろよ。お前じゃ俺には勝てない」
彼はそう鼻を鳴らした。
「俺は、帰らねーぞ」
孔雀はそうきびすを返した。




