77.あの日②
「な……なにも見てないですよ。ぼ、ぼくは」
そろりそろりと、遮蔽物から這い出る孔雀。
呼吸はいつの間にか浅くなっていて、声を発するのに苦労した。
ガクガクと膝が笑っている。涙が出そうだった。
「す、すごいですねー。今のは銃声ですか?」
「ああ、クマがいたからな。撃ち殺して来た」
男はひょうひょうとしたもので、平然と嘘を吐いた。
そのあまりにも堂々とした態度が、孔雀の恐怖心を、さらにあおった。
コイツは、人を殺してもなんとも思ってないのか!
頭の奥がしびれたように熱くなる。
「く、クマが出るんですか? こ、こえーですね」
ぎこちない笑顔を貼り付けて、孔雀は震えた。
「じゃ、じゃあ、ぼくはもう帰りますね」
「待てよ」
トレンチコートの男は、しかし、逃がさなかった。
「李下に冠を正さずって言うだろ?」
思考が停止しそうになっている孔雀に、男はそう呼びかける。
「その柿の木は俺の所有物だ。お前はそこでなにをしていた?」
はあ?
なんだよ、りかに冠を正さずって。
知らないよ。
おかんむりと言いたかったのだろうか。
きっとそうだ! 孔雀はそう推測し、
「お、お気持ちは、お察しいたします……が、ぼ、ぼぼぼくは、ど、泥棒ではありません!」
「そうか」
男は銃口を孔雀に向ける。
そこに一切の躊躇はない。
無機質な散弾銃が、音もなくにらみつけてきた。
そうだ、コイツは人を殺してもなんとも思っていないんだ!
焦る思考とは裏腹に、孔雀の手は、ある物を探り当てた。――“大鏡”である。
ほふくするように移動したのが幸いしたのだ。
もっけの幸いだった。
たしかこの手鏡の用途は――
そう思考を開始する。
アフォーダンスを操作して、「おいッ!」
思考停止。現実に引き戻された。
孔雀は男の一挙手一投足を警戒しつつ、手鏡を持って立ち上がる。
「なんでしょうか?」
「見てたんだろ? 俺がアイツを殺したところを」
「殺した? ああ、クマを殺されたんですよね?」
これはうまくごまかせるかもしれないぞ。セリフもつかえずにすらすら言えたし。
孔雀はそう小さくガッツポーズを決めた。
「いや、人間だよ」
しかし、トレンチコートの男は、殺人を暴露した。
つまりそれは、生きて返すつもりはないという、証左を示す。
「俺は人間を殺したんだ」
「な……なんで」
そう、自然と口から言葉がもれた。
心臓がフルスロットルで暴れている。
「なんで、殺したんだよ?」
「断られたから」
男はぼそりと言った。
「え?」
孔雀は訊き返す。
「アイツはこの山の地主。俺は不動産会社の若社長だ」
「はあ……」
そう頷く、孔雀。
「俺たちはずいぶんと前からこの山の所有権を争ってきた。俺はどうしてもこの土地が欲しかったんだ!」
「はあ……」
頷く。
「だがあのじじいッ! こっちがどれだけ頭を下げても、言うことを聞く気配すら見せねえ」
「はあ……」
頷く。
「だから脅してやったんだよ。銃口を上に向けて、ひとつ、発砲したんだ」
「はあ……」
頷く。
「だがアイツは動じなかった。どころか猟師免許のはく奪を示唆し、俺に思いとどまるように促したんだ」
「はあ……」
頷く。
「だから俺は銃弾を3発撃ち込んでやったんだ。アイツの眉間にな」
「はあ……」
男の犯行動機をすべて聞き流し、孔雀は口を開いた。




