73.大鏡の秘密(中編)
「たとえば相手が――俺の肉体は鋼のように固いんだぞーって、誇示したとするじゃない?」
美紗はボディービルのポーズをとって立ち上がる。
「こっちがそれを信じちゃうと、本当に相手の身体が鋼のように固く感じるっていう話なんだけど……」
こんな説明で、わかったかな?
そう不安げに周囲を見渡す彼女。
ひとりの青年が間抜け面をして、うんうん頷いていた。
美沙は意識的に目線を逸らし。
ソファーに深く腰掛ける。
「なるほどな」
しかし非常にも、その青年は言葉を発してしまった。
「つまりそいつは、自己催眠を使って戦闘するタイプってことだろ?」
灯火はふふん、と鼻を鳴らして。
アイスコーヒーを飲んだ。
「全然違うよ」
美沙はこめかみに指を当てて、鼻白む。
どーしてわかんないかなあ、と小声がもれた。
まぶたを閉じる。幼い顔に寄ったしわが深い。
「全くこれじゃあ馬鹿の耳に念仏じゃない。あれ、馬鹿に説法だったかしら?」
「俺は馬でも釈迦でもねーぞ」
声を荒げて。
灯火は思わず立ち上がった。
つい喧嘩腰になる。
「へえ、そうなんだ」
しかし美沙も負けてはいない。
「それはそれは、寝耳に水でした」
と。
悪意のこもった表情で、嫌いな人をにらみつける。
「ふざけやがって」
顔中に血管を浮かべて。
青年はテーブルを強く叩いた。
振動でグラスの液体が揺れる。
「たしかに俺は釈迦じゃねェよ! だけどな――」
弓を引くように。
灯火は腕を真後ろに引いた。
「お前をおしゃかにするくらい、造作もねえんだよ!」
パンッと。
乾いた音が店内に響いた。
瞬間――世界が暗転する。
「いい加減にしなさい。相手は年端もいかない女の子よ」
虚空は細くしなやかな指を、ゆっくり動かした。
「次やったら、鞭打じゃ済まないわよ」
顔面にびりびりと伝わる衝撃に。
灯火は腰を抜かしていた。
唇の端が切れた。そう舌触りで判断する。
「そうじゃのう。ちと粗相が過ぎるぞ、ハイビスカスの孫よ」
正一は白い目で灯火を見下ろした。
そこには目に涙をためて、必死に泣くのをこらえている青年がいた。
すでにその双眸は赤い。
「くっそ!」
青年は唸った。
雄弁に語りかけてくる沈黙。
その圧力に押しつぶされないために。
まるで四面楚歌だ。周囲が敵だらけに見える。
灯火はここでようやく、自分の保護者がいなくなったことを思い知った。
祖父がいたら、きっとなにかしらのフォローはしてくれたはずだ。
あまりのやるせなさに顔が歪む。
「俺のせいで、じいちゃんは……」
気が付いたら清潔な床を殴っていた。
拳骨が砕けそうなほど、痛烈なパンチだった。
「ちくしょう!」
なぜだか全身が昂ぶって。
高調していくのを感じる。
「覚えてろよ。テメェら全員……」
そう震える声で、言葉をつむぐ。
弱みを見せないつもりが、早くも露呈してしまった。
悔しさに視界がにじむ。
「その大鏡の所有者とやらの生首掻っ切って」
まばたきだけで。
抑えていた液体がこぼれ出る。
「見せつけてやるよ。俺様の実力を!」
犬のように吠える。
「そうやっていつまでも仲良しごっこをやっていればいいさ」
最後は引かれ者の小唄になっていた。




