72.大鏡の秘密(前編)
「羽柴家の皆さん。初めまして」
藤原美紗はそうあいさつをした。
どこか表情が堅苦しい。
「藤原美紗と申す者です」
声が上ずって。
手が汗ばんだ。
スカートのすそを握って、ごまかす。
「おいおい。お見合いの席じゃねーんだし、そんなに緊張すんなよ」
羽柴灯火はアイスコーヒーにミルクとシロップを入れて、かき混ぜた。白い液体が渦になって、氷の上を回る。
「今日は喫茶店で俺の退院祝いか?」
「違います」
きつい口調で、美紗は言った。
その声からは嫌悪感がにじみ出ている。
「私はあなた方に肩入れをするつもりはありませんから」
「まあまあ、お嬢ちゃん。そうカッカしなさんな」
白いアゴひげを蓄えた老人は。
禿頭をなでながら、ウィンナーコーヒーをすすった。
唇にはホイップクリームが付着している。
「三十面鏡峠の犯人について、詳細を教えてくれる約束じゃろう。ぜひともご教授願いたいのう、大鏡とやらの能力について……」
「ええ、もちろんですよ」
そう美紗は胸を張る。
「肩は入れませんが、本腰は入れるつもりですから」
窓ガラスには結露が生じていた。
「相手を花粉と言わせましょう!」
「美紗。それを言うならギャフンだ。花粉じゃない」
保険屋は恥ずかしそうに。
姪を肘でつついた。
「まあまあ、ここ最近は冷え込みが激しいですから」
エスプレッソコーヒーをゆっくりと飲んで。
「花粉症だとしても稲刈りが終わるまでの辛抱ですよ」
富士宮正二は的外れな見解を述べた。
ときどき話題のチョイスを間違えるのが、彼の悪い癖だ。
「閑話休題して、そろそろ本題に入りましょう?」
羽柴虚空はそうジャケットの端をつまんで、身なりを整える。
「大鏡の能力って、いったいなんなの?」
レモンティーをひと口含んで、受け皿に置いた。
「大鏡の能力は、相手の思い込みを体現する能力……」
難しそうな顔をして、説明に困窮する美紗。
事実として、大鏡の能力はややこしい。
たとえば失ったはずの手足が痛む、幻肢痛や。
薬を飲んだと思い込ませることによって、病気を治療するプラシーボ効果などのように。
脳の思い込みはすくなからず人体に影響を与えているが。
大鏡の能力とは――これらの派生、強化版なのである。




