63.富士宮正一の交渉
サイフォンから香り立つ湯気の風味が、鼻孔をくすぐり。
ジャズの陽気なメロディが、心臓を高鳴らせる。
N総合病院の斜向かいにある珈琲店は、今日も盛況だった。
「富士宮正一様、本日はどのようなご用件でしょうか? 保険プランの見直しでしたら……」
若い保険屋は黒いカバンから、タブレット端末を取り出した。
スライドショーの要領で新しい計画書を説明していく。
「喜寿になられたということなので、こちらの保険にも同時に加入していただくと、より安心して、老後生活がお楽しみいただけますよ」
富士宮正一は、画期的な電子媒体に目を向けた。
しかし――
「余計なことはせんでよろしい」
白い眼球を鋭く動かし、一蹴する。
長く伸びたアゴひげが、口の動きに呼応して、わずかに揺れた。
「こちとら轍鮒の急を告げる事態なんじゃ。雑談に興じるいとまはない」
「さようでしたか。改めてお伺いしますが、ご用件というのはなんでしょうか?」
ウエイターが盆を持って忙しく動き回っている。
あくせくと働く姿を尻目に、正一は言葉を発した。
「ワシの知人が病気でのう。おそらく今日か明日あたりが峠じゃろう」
「それはご愁傷様です」
「おべんちゃらは結構。そんなことよりも――」
正一は保険屋にお悔やみさえも言わせずに。
こう切り返した。
「お主、能力者じゃろ?」
「えっ?」
藤原道草は目を大きく見開いた。
何度も目をしばたたかせ。
しまいには、なんのことでしょうと嘯いて見せた。
「もちろん何の根拠もなしに言っているのではない」
老人は頬杖をついて。
思案するような目つきで、推測を述べる。
「河川が増水し、その水がすべて凍るという未曽有の事件があったことは、お主の記憶にも新しいじゃろう? その事件にお主の親族が関与していたことも調査でわかっておる。まあ氷漬けにされた一介の被害者として、関わっただけじゃがな」
「なにが言いたいんですか? あんな忌々しい事件など、早く忘れ去ってしまいたいのに……」
苦虫をかみつぶしたような表情で。
保険屋は髪の毛をがりがりと引っ掻いた。
「後遺症じゃよ。氷漬けにされたのに、被害者連中には一様にしてそれが見受けられない。それはなんでじゃろうか?」
「存じ上げません。医療技術の進歩が幸いしたのではないでしょうか」
「さらに言及した方が良いか? お主はその事件が起きてから、羽柴家についてとやかく嗅ぎまわっておるようじゃのう。それはなんでじゃろうか?」
「もういい加減にしてください」
道草が興奮して立ち上がると同時に。
ウエイターは注文の品を運んできた。
保険屋はもういちど、席に座り直し。
チョコレートパフェを食べ始めた。
「そんな顔をするな。損な話をするつもりはない!」
老人はホットコーヒーを音を立ててすする。
「ワシはハイビスカスの遺志を汲んでやりたいのじゃ。だから頼む。もしも藤原孔雀の奪還に成功したならば、羽柴家――狭く言えば東家と同盟を結んではくれぬか?」
富士宮正一のセリフ
「遺志を汲んでやりたいのじゃ」は、『遺志』で合ってます。
これは時系列順に話が進んでいるので、
友人が死にそうなんじゃというセリフが嘘になります。
この時点ではすでに槐は亡くなってます!
説明に至らぬ箇所があり、申し訳ありませんでした。
これからは更なる筆力向上を目指していきます!




