56.暗雲低迷
暗澹たる鈍色の雲が、頭上をたゆたっていた。
ときどき夕日が顔を見せては明るくなるが。
晴れ間はめっきりと減っていた。
陽気で生暖かかった風は、いつしか肌を貫くような冷たさを含んでおり。
不気味に聳え立つ三十面鏡峠は、真っ黒なベールに包まれているようだった。
暗雲低迷したこの舞台に、羽柴槐は一抹の不安を感じたが。
このままなにも出来ずに引き下がっては、藤原家との和談がさらに難しくなる。
そうやって自分を奮い立たせて、重い足取りを峠の入り口に向けた。
“立ち入り禁止”のロープをくぐって、らせん状に続く坂道を上る。
頂上に近づくにつれて外灯は減少し、山の空気もより一層すごみを増していた。
ようやく中腹に差し掛かった頃。
槐は1軒のあばら家を発見した。簡易的な木製の小屋だ。
家具や調度品はなく、床にはホコリが溜まっている。
人が住んでいる気配はない。どうやら廃屋のようだ。
老人はそれでも室内を検分し、沈思黙考を重ねてから屋外へ出た。
いまだ人の気配は感じられない。
藤原孔雀なる人物はどこにいるのだろう――虎視眈々と好機を狙っているのだろうか。それとも、もうここにはいないのだろうか。
足先を進めるにつれて、肌寒さは増していく。通り抜ける風が冷たい。
にもかかわらず、大粒の汗が背中を伝った。
神経をすり減らしている証拠だ。
山頂に近づくにつれて、茫洋としていた不安が形になって襲い掛かってきた。
ここはらせん状に続く上りの一本道だ。分岐路もなにもない。
だからもちろんいらないはずなのだ。こんな物など。
それはまるで――本来の役目が柵であるかのように密集し。
道路の両脇をガッチリ固めていた。
カーブミラーの行列である!
千本鳥居よろしく、奥まで間断なく繋がっていた。
「なんじゃ……これは?」
「鏡で作ったテメーの墓石だよ。好きな墓場を選びな」
背後から平坦な肉声が聞こえた。
あわてて振り返る、槐。
「あせらなくていいぜー、じいさん。どうせお前は――死ぬんだから」
鏡という単語だけで十分だった。
相手の容姿を気にしなくてもわかる。
鏡を使う血族といえば、“藤原家”しかいない。
つまり目の前にいるこの男――背が高くて、うつろな目をしたこの男は。
藤原孔雀だ!
「あんたはもう、檻の中のライオン同然なんだよ。じいさん。生殺与奪の権は俺が握っている!」
「ほう。威勢の良い猛獣じゃな。ちと折檻が必要かのう?」




