55.藤原道草の交渉
「ケーキセットをひとつ。飲み物はアイスティーでお願いします」
上下を黒のスーツで整えた成年男性は、店員の顔を見て注文した。
「私はオレンジジュースとバニラアイスがいいなー」
藤原美沙は足をブラブラさせながら言った。
「ワシはホットコーヒー。豆はキリマンジャロにしようかの」
羽柴槐はメニュー表を指さして頼んだ。眉間には険しいしわが寄っていた。
N総合病院の斜向かいにある珈琲店である。
羽柴槐、藤原道草、藤原美沙の3人は、またしても病院内で遭遇してしまったのだ。
ちょうど見舞いを終えて、軽食を取ろうというタイミングでの鉢合わせだった。
「お手間をおかけして、申し訳ありません」
保険屋はうやうやしく頭を下げた。
内心ではどう考えているのか、相変わらず礼儀正しい態度だ。
「用件はなんじゃ? こっちも暇じゃないのでな。手短かにお願いするぞ」
「ええ。では単刀直入に申し上げます」
道草は意地悪そうに目を細めた。
「うちの息子。典嗣が氷漬けにされた例の件ですが――あれは不問に付しましょう」
「どういう風の吹き回しじゃ?」
「ええ、実はですね――」
道草がなにかを言いかけたタイミングで、オレンジジュースが運ばれてきた。
それを受け取った美沙は、嬉しそうにストローで飲んでいる。
「大鏡の所有者が、杳として行方をくらませてしまったんですよ。ですから東家には、捜索の手伝いをお願いしたいんです」
「ちょっと待ちなさい」
事情が呑み込めず困惑する老人。
保険屋は詳細を語り始めた。
「大鏡の能力については、寡聞にして私も知りませんが、所有者の名前と身なりについては公開できます」
ゴソゴソとビジネスバッグをあさって、一葉の写真を取り出した。
そこにはひとりの少年が映り込んでいた。
年齢は高校生くらいの痩せ型で、背が高い。呆けているのか虚ろな目をしている。
「名前は藤原孔雀。美沙の実兄ですよ」
「人探しならワシではなく、興信所に頼むべきではないのか?」
「ええ。もちろん探偵事務所に調査を依頼しましたよ」
「それでも居場所がわからなかったんじゃな?」
「いいえ、わかりました。しかし――」
保険屋が息をのむのがわかった。
それに合わせて老人も息を詰めた。
「バニラアイスをお持ちしました」
緊張した空気を打ち破るかのように、店員がやって来た。
バニラアイスを受け取って、槐は続きを待った。
「しかしその探偵は、謎の死を遂げて亡くなってしまったのです」
道草は親戚の娘が喜んでいるのを確認し、ほほを緩ませた。
「なるほど――どこで亡くなったんじゃ?」
「三十面鏡峠で亡くなったんですよ」
「なにっ!? 相次いで不審死が続くことから交通閉鎖になった――あの場所か」
店内のラジオからは、タイミング良くその話題が流れていた。
「昨晩またしても三十面鏡峠で殺人事件がありました。
被害者はサラリーマンのO氏。通りがかり、何者かに襲撃されました。
外傷はありませんが、肺には穴が開いており、死因は窒息死とみられています。
警察はくれぐれも三十面鏡峠に近づかないようにと近隣住民に呼びかけており、可及的速やかな事件の解決を表明しました」




