52.過保護な教育
N総合病院の休憩室は、陰鬱な空気に満ちていた。
遮光された室内はうす暗く。
蛍光灯の光がリノリウムの床に虚しく反射するばかりだった。
そんな中――藤原道草は丸テーブルに両肘をついて、頭を抱え込んでいた。
煌々と照る月明かりが、ちらりちらりとブラインド越しに姿を現す。
道草はため息を吐いて、上着をイスの背もたれに掛けた。ネクタイを緩めて、Yシャツのボタンをすこし外す。首元が楽になった。
――楽になるほうが、余計つらかった。
今の自分には苦しいくらいがちょうどいいのかもしれない。
「典嗣……ごめんな。お前をこんな目に遭わせてしまって。おれは、父親失格だ」
「そんなに思い悩むでない、保険屋よ。こうなったのは、お主のせいではなかろう」
道草は年配男性の言葉に顔を上げた。
羽柴槐だった。
彼は紙コップを丸テーブルに置くと、
「ホットコーヒーじゃよ。今夜は長くなるじゃろうからな」
そう言って自分のコーヒーをすすった。
「なんの用ですか?」
物思いにふけっていたせいか、老人の来訪に気が付かなかった。
なるべく驚きを顔に出さず、ポーカーフェイスで質問をしてみる。
「灯火の見舞いが済んだからの、これから帰るところじゃ」
「ああ、そうでしたか」
保険屋は物憂げに視線を落とし。
ビジネス鞄から手鏡を取り出した。
割れんばかりに柄を握りしめる。拳が震えた。「せめて……」
「ん? なんじゃ」
「せめて1時間以内に典嗣の所在が分かっていれば、こんなことにはならなかったんです。
今鏡を使って、典嗣の身体を回復――いや元通りに復元できたはずなんです」
「復元――か。人を物みたいに扱うのは感心しかねるのお。それがたとえ、比喩であっても」
「すいません」
空気に向かって謝罪をしているかのような。
心のこもっていないお詫びをして、道草は頭を掻いた。
すると。
ガタガタガタガタ……。
急に横滑り式のガラス戸が揺れ始めた。
槐も道草も、地震の発生を警戒したが、震源地は思いのほか近かった。
というか、走って移動して来たのだ。
ガラス戸を開けると、その人物は甲高い声音で。
「道草のおじちゃん。典嗣が集中治療室から出てきたよー」
休憩室内に反響するボリュームだった。
「お嬢ちゃん。ほかの患者さんの迷惑になるから――」
老人は彼女の言動をたしなめようと口を出したが、保険屋がそれを制した。
彼は小さい声で、姪ですと告げて、
「わざわざ教えに来てくれたのかい。ありがとう」
藤原美沙と一緒になって院内を走っていった。
ガラス戸が大きく唸ったが、足音が遠のくにつれてそれもなくなった。




