49.羽柴家vs藤原家⑦
カーペットに出来た血だまりが。
毛先の長いじゅうたんに吸い込まれて固まっていた。
うつぶせに倒れた老いた肉体は、微動だにしていない。
藤原道草は正気に戻るまでに数十分を要した。
死体から発せられる生ごみに似た腐敗臭で、かろうじて意識を取り戻したのである。
足元からせり上がってくる異様な悪寒と、鼻腔を破壊せんとする異常な悪臭が混ざり合って吐きそうになりながら、重量感のある鉄砲をビジネスバッグにしまった。
拳銃のように高い殺傷能力を持つアイテムが軽量化されていく中で、道草の倫理観はいい感じにぐちゃぐちゃにかき乱されていたが、それは保険屋という因果な商売に従属しているせいかもしれなかった。
法整備が敷かれている中でしか成り立たないこの職業は、生命に対する倫理観の変容次第で、簡単に埋没してしまう危険性をはらんでいる。容易に人殺しが可能になってしまった世の中で、いつまでも人間としての理性が保てるとは思えない。
「命が鴻毛よりも軽く扱われるのも、あるいは時間の問題かもしれないな」
そう保険屋らしからぬ暴言が自然と口から漏れたとき。
指先がなにかの先端に触れた。
それは手鏡であった。
手鏡であり、別名“今鏡”とも称される。
「まったく」
バッグから今鏡を取り出して、道草は額に手を当てた。
「命を尊重する職業についたはずが、人道に背いた能力を会得してしまうとは」
自嘲気味に笑ってから、想起していく。
羽柴槐が死ぬ直前の出来事を、よりリアルに。
「無秒即再」
そして、唱える。
死者蘇生の呪文を。
感情を込めない、棒読みで。
「……どういうつもりじゃ?」
そう老人は、損傷したはずの頭部を押さえて、言う。
「ワシは今、確実に死んだはずじゃったろう」
「なぜ生き返らせたのか、その理由は、ですね」
カーペットには血だまりどころか、濡れた形跡すらなくなっていた。まるで先程の銃殺事件が、夢物語にでも昇華されたがごとしだ。
「息子たちを、人殺しの息子にしたくなかったからですよ」
やはり子孫を思う親の気持ちはどの家族も同じようですね。
そう安易に迎合しようとしたところで、またもや吐き気がした。
氷漬けにされた息子が、道草の脳裏をよぎっていた。




