34.一触即発
夕日が傾いて。
きらきらと川面に反射している。
河川敷には人通りが少なく、ときどき自転車が通りすぎるくらいだった。
じめっとした湿気の多い夏特有の空気は。
人々の心を重くしていたが。
ここの空気はその何十倍と重苦しいことだろう。
「よお。逃げずに処刑されに来たか、骸骨野郎!」
ハルキの声は。
典嗣と違って、太く、力強い。
聞く者を威圧するような、暴力的な凄味がある。
「悪いことをしていないのに、逃げ回る理由はありません」
典嗣も負けじと応酬するが。
それはボクサーが試合前のインタビューでよくやる、売り文句に対する買い文句のようなもの。
半ば強引に言わされているに等しかった。
事実こうして、ハルキと対峙してみて。
後悔はしていないと言えば、嘘になる。
今すぐにでも、逃げ出したい気分だった。
しかしそれは出来ない。
逃げられない理由がある。
ときは多少前後して。
放課後のことである。
藤原典嗣と山田和樹は、上級生のハルキの呼び出しに応じて体育館裏に来ていた。
典嗣が内心ビビッていることなど露知らず。
いじめッ子の山田は。
「おい、ハルキさんに会ったらちゃんとあいさつしろよ」とか、「絶対に喧嘩を売ったりするんじゃねーぞ」と、釘を刺した。
「ちっ!」
典嗣は忌々しげに、舌打ちをする。
そんなことは自分が1番よくわかっているんだ。
余計なことを言うなよ。
「わかってるよ、それくらい」
「なんだよ、人が親切で言ってるのに、不機嫌な声を出しやがって……」
腹を立てたように、山田はそう言った。
しかし典嗣にそのぼやきは届いていない。
ハルキの戦闘シーンが脳裏から離れないのだ。
もしもバトッたら、ぼくもあんな風に容赦なく、気絶するまでタコ殴りにされるんだろうか。ああやって、無慈悲に、手加減すらされずに。
手足にじわっと汗をかいた。
ぶんぶんと頭を振って、嫌なイメージを払拭する。
「戦いに来たわけじゃないよ」
山田に返事をしたわけではなく。
自分に言い聞かせるように。
言葉にして呟いてみた。
「よお、テメーが、弟をいじめてくれた、非人道的な骸骨野郎か?」
後ろからポンッと肩を叩かれた。
驚きと恐怖でビクッと、跳ねる。
「いつからそこに?」
疑問が、つい口から漏れる。
が。
すぐに間合いを取って、典嗣はハルキと正対した。
「ハルキさん、お疲れっす!」
山田は深々とお辞儀をし。
「今回の件は、ぼくのほうからビシッと叱りつけたので、彼も反省していると思います」
と、典嗣を見た。
典嗣もそれに合わせるように、頭を下げた。
「殴れっ!」
ハルキは山田をにらみつける。
「そこの骸骨野郎を殴れ、和樹。出来るよな?」
「いっ……いえ。それは」
「はあっ? 俺の言うことが聞けねーってのか。ああ!?」
「いや、そういうわけでは……」
「そういうわけじゃねーんなら、どういうわけなんだ。言ってみろよ」
「あの、彼も反省してますし……」
「俺に逆らうんだな。よーくわかった。そういうつもりなら」
ハルキはずかずかと山田に歩み寄り。
ほぼノーモーションから、拳打を繰り出した。
山田はノーガードでそれを受ける。もし仮にガードが追いつかなくても、それに近い動作は出来たはずなのに。
歯を食いしばって、耐えていた。
「オラオラオラッ!!!!」
まるでサウンドバッグのように。
山田は無抵抗でリンチを受け続ける。
「くっそおおお!!!!」
典嗣は吠えた。
こういう光景は、大嫌いだ!
「おい、ハルキ。テメェ、自分の身で、俺を殴りに来いよ。ハエの止まるようなへなちょこパンチ、いくらでも受けてやらぁ!」
ああ、言っちゃった。
胸に秘めてた思い。解放しちゃった。
「やってやろうじゃねーか、オオッ!?」
ハルキの視界から、完全に山田の姿が消えた。
こうなれば半ばヤケだ。涙目になりつつ、典嗣は提案する。
「こんなとこでやり合ったら、先公に止められちまうだろ?どうせなら河川敷で思い切り打ち合おうぜ?」
「上等だ、ゴラアァァッッッ!!!!」
このようにして、戦いの火蓋は切られたのである。




