26.乙女と理不尽なヤツ
一足先に、浴場へ向かうように促された槐は。
灯火を連れてエレベーターに乗った。
鉄の箱がぐんぐんと上昇し、厚い扉が開くと——そこにはだだっ広い、座敷空間があった。
箱から出てすぐのところに上がり框があり、そのすぐ側には給水機が設置されていた。
座敷の奥のほうには、青いのれんと赤いのれんがそれぞれ掛かっていて、自動販売機はそこから出てすぐの場所に置かれていた。
「孫に裸体を披露するのは何年ぶりくらいかの?」
槐は照れて顔を赤くしていた。「緊張するの……」
焦らすように、ゆっくりと脱衣する槐に向かって、灯火は。
「じいちゃんは、乙女かっ!」
「そうじゃよ、よくわかったの」
「ゲッ……。もしかして、こっち系?」
「違うわい。出し抜けになにを言い出すんじゃ、灯火」
「だって乙女だって認めたじゃん」
「乙女座という意味じゃ」
「乙女じゃという意味じゃ?ゲッ……。やっぱりこっち系じゃん」
「ええい。この際どっちでも、ええわいっ!」
「良くねえよっ!」
脱衣かごに衣服を入れ終わったところで。
灯火はまじまじと歴戦の猛将を見つめた。
骨が砕けているのか、内臓がつぶれているのか——槐の上半身には陥没している部位がいくつかあり。
みぞおちから臍下丹田にかけては、切開による手術の跡が生々しく残っていた。
詳述できぬほどにグロテスクな足は、骨を幾分削ったためついた傷痕だし。
足の甲に出来ているコブは、野球ボールが半分埋まっているような盛り上がり方をしていた。
「なにをジロジロと見ておるのだ、灯火」
「ああ、ごめん」
「あまりエロい目でワシを見ないでくれ」
「だれが見るか、クソジジイ!」
ガラガラッ……と。
大浴場へと続くガラス戸を開けたところで。
「よお。家族水入らずのところに水を差して悪いが、久しぶりだなあ、灯火」
「お……お前はっ!」
短く刈られたくせっ毛の茶髪に。
脂肪もないが筋肉もほとんどついていない――無駄はないが微妙なボディ。
攻撃的に釣り上がった目元には、どこか冷めた印象を受ける。
この人物は。
(だれだっけ?)
会ったことなんてあるかな?
「まさか北家の刺客……」
「違うわっ! ほら、テメーの両親が他界したとき、葬式で会ったじゃねーか」
「だれだ? いたっけ、お前みたいなやつ」
「ほら、お前の頬をぶったやつ」
「あー、あのときの理不尽野郎」
「理不尽……。ちゃあ、理不尽だった、ゴメン」
喪主を務めた祖父、羽柴槐の側で。
羽柴灯火は会葬者管理簿に名前を記入させる役目だったのだが。
まだ幼い灯火には、とてもじゃないが耐えられない苦行だった。
管理簿に記入をさせたら、そのぶんだけ、両親の死を認めることになる。
嫌だった。
最愛の両親がこの世からいなくなったなんて。
ましてやそれを認めるなんて。
だから、灯火は逃げ出した。
遺族以外立ち入り禁止の控え室に。
そして、ぶん殴られた。
富士宮正二によって。
「男ならめそめそ泣くんじゃねー!
泣いていいのはな。父親が死んだときと、母親が死んだときの、2回だけだっ!」
えっ?
それって今じゃね。
とは、さすがに言えなかった。