8.針で刺す
*エグイ表現があります。苦手な方はバックしてください。
新世紀になっても旧時代、旧古世紀の遺物というものは少なからず残っている。最先端の学校群のすぐ横にさびれた塔があるとは思いもしなかった。たどり着いて、ルナはその暗黒の中にたたずむ塔を見上げた。崩れかけたレンガ。苔の生えた建物。ガラスの無い窓。円筒形の塔と背の低い屋敷のセットだった。屋敷というにはおこがましいのかもしれない。半分むき出しの室内はもうその時代の面影を消し去っていた。
「こっちの鐘つき塔の方だ…」
少し息を切らしながら、ヴィオが蒼ざめた顔で呟いた。男性にしては少しほっそりとしたその指を塔に向けて上げる。とその表情が一気に固まった。
「くっ…」
耐え切れない、という様に反らす彼を見て、ルナはおそるおそるそちらを見上げた。
―途端、血の気が引いた。
もはや生のある者のいないそのさびれた塔の方、四角いガラスの無い裸窓の奥で、黒い塊が見える。それはもう何かは分かっていた。人だ。人間の目にはよくわからないが、傍に居たカインは血臭がする、と呟いた。どうしてこんな近くで、立て続けにこんな事が…茫然としていた自分を叱咤し、遅れてきた現場捜査官に激を飛ばす。
「周辺の封鎖は済んだわね?! それからここも人一人、いいえ、ネズミ一匹すら逃さないよう見張りなさい! 後、鑑識と…一応病院も!」
「…りょ…了解しました!」
二人に目配せをして、塔の入口へと足を向けた時、不意にぐらりと意識が遠のき、映像が弾丸の様に脳内に侵入した。
「く…!」
それでも完全に意識を失わぬよう力を制御しつつ、崩れかけた身体を苔むしたレンガに持たせかけた。二人がこちらを呼ぶ声がキンキン響く。
「ルナ!?」
「…大丈夫…意識はあるから……」
そのまま足を引きずる様にして螺旋階段を上っていく。コツコツと響き、反響する塔の中は、闇も追加されてより一層不気味さを増していた。やっとの事で屋上にたどりつくと、室内にぎい、ぎい、と重みのある物体が揺れる音がしている。手にしていた携帯人口光をつけて、絶句した。
「……ぅ」
身体中が穴だらけだ。そんな深い傷ではないが、大きな針状のモノで刺されている。刺されたそこから少量の血が流れている。そんな大量ではない。だが、こんな身体中、ずっと刺され続ければ―いずれは発狂してしまうだろう。案の定、突如として気ちがいのようになった意識映像が弾丸の様にルナの身体を貫いて、脳に助けを求めてきた。
「…ぅあ!」
あまりの事に耐え切れず、その場に膝を折って衝撃を和らげようとしたが、もう遅かった。
『―ジジ…痛い痛いいたいイタイ…身体中を刺されている…針じゃないもっと大きい…ああああああ!!!! また刺したあああああああああいたいいたいいたあああああいいいいい!!!! 助けて助けてだれかあああああ!!! もう何も出ない血も流した何を望むああああああいたあいいいいい!!!…』
ハッ……。
気がついた時には冷たいコンクリートの地面に寝転がっていた。寝かされていた、というのが正しいのだろうか。冷や汗をかいていたせいか酷く身体が冷え切っていた。傍らにいたカインがほっとしたようにこちらを覗き込んだ。
「大事ないか。ここは下の階だ…人が集まり始めてるし、草っぱらに寝かせるわけにもいかなかったから」
ごつごつと節くれだった左手がそっと額に当てられる。気持ちがいい。そのまままた目を閉じ、呼吸を整える。また意識をとばしてしまったらしい。あの時以来だ。それでもあのショッキングな記憶を視て、意識が飛ぶ程度で済んだらいいのだろうか。否、素人じゃないんだ。そんな言い訳じみた事は止めよう。カインに礼を言ってゆっくりと身体を起こす。
「また意識飛ばしのね、ごめんなさい」
「…俺にはルナの方が大事だ」
心配そうに見つめてくる瞳が痛い。自分にとっては今の事件の方が大事なのだ、と言えばきっとカインは怒るだろう。そっと逸らしてから微笑んで視線を戻し、礼を言った。
「気持ちだけ受け取っておく。それで、塔の…あれは?」
「…今床に降ろして調べている。あれも…魔女に対した拷問というか、検査の一種だな。魔女は痛覚が存在しない箇所があるとされていた。魔女マークというんだが。そこを探り当てるために針状のモノで身体中を刺すんだ。一カ所は血も出ない、痛みもない所がある、そういうところがあれば処刑された」
言いづらそうに途切れ途切れに説明をしてくれるカインを横目に見て、ルナはそう、とそれだけを呟いた。立ち上がり、服にホコリが付いていないか見渡してチェックする。まあ、そんな気にする服を着ている訳じゃないけど。横から心配そうなカインの顔がこちらを見つめていた。
「大丈夫よ、行きましょう。まだ視ていないモノもあるかもしれないわ」
ニッコリと彼に笑いかけて、彼女は再び塔の最上階の階段へと歩みを進めた。
◇ ◇ ◇
一昔前のそこから眺める景色はきっと良かったのだろう。丸い部屋、壁際はレンガ製で朽ち果て、指で触るとボロボロと崩れ落ちた。中央に横たえられた遺体は闇の中で青白く浮かび上がっている。その身体は穴という穴が開けられ、血が流れて痛ましい。目を反らしてはいけない。ぐっとこらえて対面した。
「男性ね…まだ20代? 身元を教えて」
「ベルナール・トゥールーズ25歳。クラブの従業員ですね。5日前から行方不明で、一昨日同居人から届が出されたようです。家族は地方で両親が暮らしていて、今連絡をとっています」
「そう…まず同居人から話を聞いた方がいいわね。後は現場から採取できるものを片っ端から取っていって鑑識に回して調べて」
「了解」
その姿を見送ってから、ルナは遺体の前に膝を付き、手を差し出した。深呼吸をし、映像に備えてから目を閉じて布越しの遺体に、触れた。刃物で刺されたような痛みが身体中を支配した後、映像と音が流れ込んでくる。
『ジジ…真っ暗な…音…ここの塔を登る音…月灯りが差し込む窓、その光がフードの人間を映す…痛い痛い…もう意識が…あああああああ!!!もういやだいやだいやだあああああああ!!!!刺され…針? …あああああちがうそんなものじゃないもっと大きい針みたいな…あああああああああ僕が何をした! …もうやめてくれやめてくれねむらせてくれあああああああ!!!!』
ハッ……
「く…くぁ…」
意識を戻した瞬間に身体中が悲鳴を上げた。記憶があまりにも強烈過ぎて身体にまで残響が残っている。痛い! 身体中が刺された痛みが襲ってくる。両手を地面に付き、歯を食いしばってこらえる。冷や汗がドッとあふれだす。これは最期の痛み、残響だ。しっかり受け止めなければ。これを犯人に知らしめてやらなければ。
「ルナ…」
カインが背中をゆっくりとさすってくれて、少し楽になっていく。ヴィオがそっと手を貸して立ち上がらせてくれた。掴まりながらルナはギリ…と歯ぎしりをして吐き散らした。
「くそ、犯人は何がしたいのよ?! 魔女狩りの拷問をこうして被害者に与えるなんて。彼らは日常を繰り返して年をとって死んでいく、普通の人間なのに!」
「ルナ…」
「調べなおすしかない。ルナ。あのフードの人物も気になる。魔女狩りに使われた拷問をこうまで引っ張るのもおそらく意味があるんだろう」
カインの言う事ももっともだ。また歯を食いしばり、手のひらを見つめた。あの感覚、彼が―被害者が最期に味わった苦痛。あの痛みが続けば、誰だって狂ってしまいそうになるだろう。狂った方楽なのかもしれない。
あるいは、死んだ方が。
ぶんぶん、と否定するようにかぶりを振って、遺体を見た。自分はとてもじゃないがまだ死にたいとは思えなかった。