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6.魔女

オフィスに帰るとヴィオが主人の帰りを待ちわびていた忠犬の様なキラキラとした眼差しでおかえり! とこちらを見上げた。よほど待ったのか、それとも寝ていたのか、頬に机の痕がついた状態で。

ああ、なんだか尻尾が見えるような気がするのは気のせいだろうか…

右手を額に当てて、天井を見る。なんか一瞬だけ立ちくらみがした。

まあいいや。気を取り直して資料を取り出してデスクに放りだし、PCを立ち上げてホワイトボードを引き寄せる。PCには事件のレポートが映り、次の瞬間パパッ、と合わせた画像も空中にプロジェクターに映しだされた画の様に浮かび上がる。そのままイスにトスン、と腰を降ろして、ルナは無意識に足を組んだ。


「…カイン。あの人…」


ポツリ、呟きに似たタイミングで切り出せば、近くに立っているカインがああ、と頷く。


「何か隠してはいるようだった。読めればいいんだが…それは法律で規制されているからな。まったくややこしい世の中だ」

「そうね。でもそうじゃないと能力者なんて皆犯罪者なのよ。プライパシー侵害で」


クスリ、苦笑いして更に事件の概要を洗いなおす。発見は夜散歩中のカップルだという。まあ、人気のない工場でもあれだけの量が燃え盛っていればその近辺に住んでいた住人がいずれ気がつくはずだっただろう。自分たちが連絡を受けて到着した1時間後ですらあの匂いだ。近隣の人間は今頃匂い取りに必死に違いない。とりあえず見る物を見た所でルナはふと、カインにそういえば、と顔を上げた。


「さっき、ミスター・ブラントから見せられた絵について貴方、何か呟いていたわよね。何か思い当たる事でもあったの?」


ああ、と思い出したような顔をして、カインが自分の方に近づき、データの画像の中から先ほどの絵を引っ張り出してくる。いつの間にその画像取ってたんだ。呆れるルナをよそにいつの間にかヴィオまでルナの隣に近づいてくる。じっと灰青色の瞳が宙に浮かんだ画像を見つめた。


「魔女集会…」


さすがに彼には見ただけでそれが分かった様だ。ぼんやりと呟くその言葉には確信のような芯の強さがあった。そして次のあの女性の絵を見た時、ヴィオは思わず眉をひそめる。腕を組んだまま右手首をひねって絵を指差し、訝しげに問いかけてくる。


「コレ、一緒に見せてもらったの?」

「え? ええ」


タッチパネルで動かすと、次に裏に書いてあったあの文字が浮かび上がった。

そういえば、とカインの方へ向き直り、気になっていた事を思い出して問いかける。


「この文章、貴方はファウストって言っていたわよね。ファウストってあのゲーテの戯曲よね」

「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが発表した戯曲。第一部が1808年、第二部が彼の死の翌年1833年に発表された。第一部が主に有名だな。ファウストが悪魔メフィストと出会い、あの世での魂の隷属を約束するかわり、この世で最高の快楽と悲しみを与えると約束した。そして素朴ながらも美しい娘グレートヒェンと出会い恋をし、子供を身籠らせる。二人が会うのに邪魔な彼女の母親を殺し、兄も決闘の末に殺してしまう。だがファウストはそんなグレートヒェンに飽いて、彼女と別れる。そしてワルプルギスの夜を過ごして帰ってくると彼女は赤子殺しの咎で審問にかけられ、最後には処刑された…」

「…実際の時代には魔女の嬰児殺しと、本当の嬰児殺しは区別して考えられていたけどね」


ヴィオが画面の絵の左端を黙って指し示す。二人の女性が相対して火を囲んでいるその姿は白黒の絵のせいもあるのが少々おぞましい。


「火の中央にあぶられているのが嬰児だよ。これを中央の羊頭の悪魔に捧げるのさ。あるいは―その脂をすり潰して飛行薬、軟膏の材料の一つにもなった」


グロテスクなのは前々から承知をしていたが、それを改めて聞いて見ると想像出来てしまって吐き気に似た気持ち悪さが込み上げてくる。そんなにヤワな自分でもない筈だったけれど。

カインがイスに腰掛けた状態で指を動かし、すい、とあの絵画の後ろに描かれていた文字の画像を持ちだしてくる。


「そして―話を戻すが、この絵画の裏の文字は、第一部、メフィストレスとの契約、第二部―ファウストが絶命の最期に言ったとされる言葉だ。ミスター・ブラントはこの文字が書かれた絵画の女性を永久に美しい形のままでいさせたい、絵の作者の願望か、とも言われていたが…それだけではない気がするな」


チェアに腰掛けたままの姿勢で画像を仰ぎ見るカインは腕を組んで考え込む。一緒に見ていたルナはふと何気なく思った疑問を口にした。


「私…魔女って聞くとどうしても森の中にひっそりと暮らしている背の曲がったよぼよぼのお婆さんってイメージがあったんだけれど…」


それを聞いたヴィオがこちらを見てクスリと笑みをこぼす。


「ルナは童話の好きな女の子だったのかな? じゃあそもそもなんでその醜悪な老婆のイメージがあるんだと思う?」

「え?」


思わぬ質問にルナはきょとん、とヴィオを見つめ返した。彼は何もない空中に文字を書くように左手の人さし指をくるりと滑らせ、灰青色の瞳を躍らせた。


「そもそも、魔女の歴史をたどると起源は古いんだ。聖なる書物にもその一文が載せられている。それを教誨は魔女迫害の…まあ一種のポリシー…というか、基本原則にしたんだ」

「『魔術師の女は、これを生かしておいてはならない』。この魔術師を魔女と解釈するのかは定かではない…しかし、この一文があるせいで血と狂気にまみれた魔女狩りを広めていった…罪のない女がたくさん死んだ」


そ、と画の女性をなぞる。絵の中の彼女は固く冷たそうなベッドに腰掛けて、窓というにはそれこそ相応しくない、小さな穴を見上げている。疲れた様子とはうらはらな程に、その瞳は強く、そして強さを秘めたその姿は儚い印象を見た者に持ちあげさせた。画に見入っていた自分に、カインが分からない、という風に首をかしげていた。


「この画のように、当時魔女として捕まった女たちはこんな好待遇なんか受けていなかった。朝も夜も分からぬ拷問部屋でずっと全裸のまま、穴という穴を大きな針でつつかれ、口にするのもおぞましい拷問を受け続けていた。そのような事を休まず受け続けていたらどうなる? 涙も枯れ果て、意識を保つもの難しい。苦痛から逃れたいために、女たちはやってもいない罪状を並べ上げた」

「…するとこの画は…そんなに古いものではない、ということね。願望めいたものが込められているというのはあながち外れてはいないのかもね」


ルナは見つめていた画から視線を外しカインへと移動させた。紫電の瞳がゆるりと動き、こちらを見つめ返す。一瞬の間の後、彼はふ…と息を吐き、そうだな、と口を開いた。

少しためらって、優しく微笑を返した。

―あの日から、カインの態度が変わっているというのは分かっていた。ヴィオだってあれから自分に手を出してくるようなことはない。ぐらついている自分を彼は分かっているから、待っているのだろうかとも最初は思った。彼は機会をうかがっているのだろう。カインが少しでも目をそらすその時を。彼はしたたかだから。いずれ話しあわなければならない。どちらとも。沈黙が流れてしまった一瞬の時を、ヴィオがそれでね、と言ってきりだして壊す。


「ちょっと論点からずれちゃったから元に戻すけれどルナ。魔女はもともと『産婆』、だったんだ」

「産婆…って、出産を助ける助産師でしょう」


彼から出た言葉に驚きが隠せずに目を見張る自分に、横からカインが口を挟む。


「魔女の語源はWicca Hexen(ウィッカ・ヘクセン)、「賢い女性」からきている。魔女狩りの前半期メルヒェンの魔女によく見られるように、異端とされ多くが火刑に処されたのは森の中や村はずれで孤独に住む年寄りの女、宗教に反する異端の者だ。それはまた民衆の慕う医師であり、『異界からの道』と考えられた女性の産道を通って生まれる赤子を、民衆の知り得ない医術でもって取り上げる産婆だった」


それをしごくつまらなそうな視線で見やって、ヴィオが勤めて冷静に口を開く。



「賢女は民衆たちの唯一の医師…ドクトゥールだったんだ。Saga…神話や物語の時代の医術の心得を持つ女性たちは民衆から『賢女』として慕われ、女性だけでなく男性に対しても医術を行っていた。その知識はきっと先祖伝来のものだったんだろうね。特に出産に関しては自然界の薬草を使い、産婆の役目を果たしていた。昔は今みたいな技術もない。出産は死と隣り合わせだったからね。赤子は異界から、それも『産道』という異界に通じる道を通ってくるから、まだ生と死の狭間の存在だった。生まれ出でてはじめて生者と認められたんだ。

賢女…普通の人々なら知り得ない薬草を使いこなし、まるで秘術のように人々が知り得ない医術をこなす彼女たちは現世と異界を行き来する存在のようなものだった。だからこそ民衆は彼女たちを慕い、時に畏怖の対象とみなした。魔女狩りの時代の生贄のリストに真っ先に乗ったのが産婆と呼ばれた賢女たちだ。民衆は怪しげな知識を持っていた彼女たちの事を口にし、彼女たちは真っ先に広場に引きずりだされ、おぞましい拷問の末火刑に処された」

「そんな…」


その事実にルナはただ絶句するしかなかった。先祖から伝えられた医療の知識を持っていたが故、医療を行っていた彼女たち。だがその豊富な知識故民衆によって全ての汚名をかぶり、火あぶりになっていたなんて。



「でも…魔女狩りのターゲットは、その…老婆だけに限らないのでしょう? 画で見る限り若い女性も多かったわ」

「そう、最初の老婆の姿の魔女はステレオタイプさ。様はその時の社会状況―飢饉や悪天候、ペストなんかで人々が恐怖に内震えていた時代。では人々の恐怖と混乱を収めるためには何が必要か。社会的生贄さ。それが彼女たち賢女から、名のある貴族たちや領主の妻とか、あるいは自分から名乗りあげた若者たちとか、若い世代に変わっていったの。まあ若い世代は、都市部の方が主だったかな」

「若者…!? なんで…」


それは、とカインが腕を組んだまま言葉を継ぐ。


「昔風に言えば、『悪魔に取り付かれた』だな。今の世で言うと精神的なモノだと考える。若者は何と言うか、影響を受けやすいから。後は伝言ゲーム式に行くんだ。自分が悪魔に連れていかれてサバトに参加しました、その集会ではあの人を見ました。で、その人も引きずり出される。で、拷問に耐え切れずに隣人の名前を出す…の繰り返し。若者の例を挙げるなら、ある村で処刑された魔女の半数が22歳以下の若者だった」


あまりの衝撃に絶句するしかなかった。兎角昔は飢饉や伝染病を悪魔などのせいにしていたのは知識として少しは知っていた。しかし、生贄として民衆たち自身が差し出した賢女。己を魔女として差し出した若者たち。拷問に耐え切れず、知っている友人の名をあげる罪悪。

ぞっ…とした。思わず自分自身を抱きしめ、その二の腕をさする。


「なんだか…人間て怖いわね…自分が言うのもなんだけど」

「それが人間だ。繰り返すのがな」


『早速繰り返したぞ』



突然意図せずして電子音声が部屋中に響き渡った。一瞬ビクン! と身体が跳ね上がったが、聴きなれたその声にルナは顔を上げ、目の前のPCに目を向けた。シュン、と画面が唐突に変わり、中年の男性の映像を結ぶ。


「オギ!」

『ごきげんよう、ルナ。おぞましい事件ばかりを任せてしまってすまないが、事件だ』


にこりと微笑み、紳士の雰囲気を漂わす彼はとても警察の人間とは思えない。まあこれが彼の仮面なのだろう。どちらが仮面なのかは解らないが。


「ごきげんよう、ミスターオギ。先ほどの言葉を繰り返す様で申し訳ないのですが、『繰り返した』とはその事ですか?」


そうだ、と電子音声がオギの声を紡いだ。下の方に映るデスクをコツコツと指で叩き、その柳眉をきゅうと歪めた。




『学校のプールで、水死体だ』


 



Saga[サガ]…神話や物語の意、英雄の散文物語、とかの意もあるようですが勉強不足です、間違ってたらすみません。


Wicca Hexen の読み、間違っているかもしれないので分かる方がいらっしゃったら優しくご指南ください。



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