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5.儚い女性

簡素なマンション住まいの質素な暮らしの家族。パッと見た感じはどこにでもある風景、どこにでもある家族だった。その年齢にそぐわぬ程被害者の母―マルガリータは秋の空の下に輝く小麦畑の穂のような色のブロンドをたなびかせ、こちらを見つめていた。


「突然このような形でお邪魔してすみません、ミセス=ブラント。捜査官のルナ=コンジョウです。申し上げにくい事ですが、息子さんがお亡くなりになりました」

「まあ…そうでしたの…」

「申し訳ないのですが、息子さんの死には不審な点がいくつかありまして。お応え頂ける事だけどよろしいので、いくつかお伺いしたいのです。ああ、後から連れも来ます」

「そうですか…ではお上がりになって」


おぼろげな声が答え、ピピ、という電子音が響いた後、扉がシュン、と音を立てて開いた。お邪魔いたします、と声をかけて中に入る。彼女に案内され、リビングの方に通される。部屋の中には柔らかく太陽の代わりの代用光が差し込み、大きな観葉植物の鉢植えが壁の隅に立つ。レースのカーテンは風もないのにさわさわと揺れていた。

夫人に勧められるままに中央にあるソファの一つに腰かけた。対面するように夫人が向かいに座り、こちらを見上げる。

美しい人だ、と思った。優雅な仕草、にこりと作る儚げな微笑み、少しくすんだ色合いのブロンドはそれでも手入れがされて輝いていた。でもまるでこの世の者じゃないみたいな雰囲気が彼女に漂っている、そう感じた。


「息子さんに最近…お会いになったのはいつ頃になりますか」


その言葉に彼女はゆっくりと瞳を閉じ、考えるように沈黙した後、その薄い唇を開いた。


「ここ数年程顔を見ていません…そもそも私とは口を聞きたがりませんでしたし、私も極力避けていました。あの子は不義の子…主人が私と結婚する前に不貞を犯した、その罪の証なのです…ああ、あれさえなければ、今の私はもっと幸せだったのかもしれませんわ…ミス?」

「コンジョウで結構です、ミセス=ブラント。ご主人はどちらに?」


彼女はちらり、と部屋の戸口に目を向けると、ふう、と少しだけため息をついてから答えた。


「…おそらく書斎かと。あの人は本が好きなのです。最近は私より好きなのではないかと思う時すらありますわ」

「行ってもよろしいですか?」

「ええ、結構よ。貴女が今日いらっしゃる事は先の電話で承知ずみですもの。扉を出て、左、奥の突き当たりの部屋よ。まあ、書斎と言っても簡素なもの、マンションですからね」


では、と立ち上がろうとした瞬間、タイミング良く玄関の方でベルが鳴った。話を聞くには自分一人の方がいいだろうと、後から来ると言っていたカインだろう。目の前に座る夫人に軽く微笑みかける。


「ああ、連れも来たようです」

「あら、そうなの。どうぞ、お入りになって頂ける?」


彼女が立ち上がってパネルを操作すると、呼応するように扉が開かれ、やああってカインが姿を見せる。


「ルナ」


彼に書斎に行く旨を伝え、夫人に会釈をしようと振り返る。


「ミセス・ブラント…?」


彼女は何故か酷く目を丸くしてこちらを見つめていた。そしてああ、と立ちつくした彼女の口からそんな声が漏れた。ミセス・ブラント? ともう一度声をかけると、夫人は先ほどまでの儚げな笑みとは全く違う笑み、細い唇を弓状にきぃとつりあげて微笑んだ。その笑みに何故か寒気がした。


「まあ、ルナ…貴女はルナと下のお名前はルナとおっしゃるのね。嗚呼女神様、あの罪の証が浄化されたら、女神様が直接我が元へお越し下さるなんて…」


まあ、まあ、と呟きながら、彼女はよたよたと歩きまわり、両手を組んで祈りを捧げるようなしぐさをする。その瞳は夢を見ているように虚ろになっている。


「ルナ…はやく書斎へ」


彼女が気になりはしたが、背中を手のひらで押され、止むなくその場を後にする事にした。廊下を歩きながらカインがこちらを見下ろして言った。


「…名前を先に名乗らなかったのか」

「名乗ったわよ…捜査官ライセンスも見せたのだけれど…見えてなかったのかしら」


取りだしたライセンスをそっと撫でる。カインはむっつりとした顔のまま、何かを考えているようだった。やがて教えられた書斎の扉の前に立つと、扉についている小さなランプが光り、自然と扉が開く。あら、親切設計。思っていると、奥の方から低い声がどうぞ、とこちらに告げた。すう、と軽く息を掃いて吸って、それからゆっくりと室内に足を進める。

室内に入ると、マンションの一室とは思えない程天井が高く、見上げれば上は吹き抜けになっていた。天井から温かい光が差し込んでいる。本は紫外線に弱いからおそらくは専用の人口光だろう。壁一面にはたくさんの本が詰め込まれ、時代の空気を臭わせていた。

その奥手―大きな本棚にはそぐわぬ小さなデスクに革のソファに腰掛けた一人の男性が、ゆっくりとこちらに瞳を持ち上げた。


「すまないね、こちらから向かえば良かったのだが」

「いいえ。お邪魔いたしますミスター=ジョン・ブラント。捜査官のルナ=コンジョウです。隣は相方です。お忙しい所をお邪魔したのはこちらですから。このような形になってしまって何と言っていいのか…」

「うん…それはそうだね。私の唯一の息子だった」


苦笑いをしてはいるがその表情はやはり酷く哀しげだ。本来はそうだ、本来、家族を失ったものならば、哀しげな反応をする。泣き叫ぶ。崩れ落ちる。だがこの人はそれをこらえて立っている。


「息子さんの捜索届を出したのはミスター=ブラント、貴方でしたね」

「ああ。妻は息子とは極力関わり合いを避けていたからね。少し固定観念が強い。息子は妻と結婚する前に付き合っていた女性の子なんだ。それを彼女はどうしても許せなかったらしい。息子を見るたびに、見知らぬ女の影が浮かぶと責められた。何より息子につらい思いをさせた」


変わらず哀しげな表情のまま立ちあがり、彼は本棚に沿って歩き出す。床はカーキ色の毛の長い柔らかなカーペット張りになっていたので、足音は吸収されて聞こえない。ルナはじっと彼の姿を追った。


「息子さんと最後にあったのはいつですか」

「三日前かな、確か。今は一緒に住んでいないから、夕飯を一緒に食べて会話したくらいだ。10:30過ぎていたか…そこのところは定かではない。忘れてしまった」

「その時息子さんに変わった所はありませんでしたか?」


ブラントは顎に右手を当て、考える様な仕草をした後にうん、と少し唸ってから口を開く。


「…特に思い当たる事はないね。いつも通り、あいかわらず不況で仕事が見つからないと言っていた。でもバイトで食いつないでいるから、安心してくれと」

「そうですか。失礼ですが、奥様とは最近仲はよろしい?」

「…本当に失礼だな。関係を持っているかという意味かい?」

「そのように捉えていただいて結構です、ミスター=ブラント」



ふう、と呆れたようにため息をついて、彼は本棚に右手を置き、こちらを見つめ返した。


「…数年そういう事はない。彼女は…大分前から様子が変わってしまった。君たちも見たろう、まるで現実にいないようなあの雰囲気。何かに取りつかれたように独り言を繰り返す事が増えた」


すると今まで隣で黙って座っていたカインが腕を組んだ状態のまま、ゆっくりと口を開いた。


「先程奥方は相方の名前に過剰反応を示した。これはどういうことだろうか、ミスタ=ブラント。『罪の証が浄化されたら、女神が来た』と」


ブラントは目を丸くした後、哀しげに瞳を伏せ、唇を閉じた。ゆったりとした動作で本棚にそってもう少し歩き、彼はある場所でピタリ、と立ち止まった。そこにあったのは一つの絵画だ。白黒の絵で、中には大きな火を囲んで人間と奇妙な生き物が踊り狂っている描写がある。


「……魔女集会か」

「そう。魔女が赤子の粉末、蛇の尾、薬草などを練り合わせた軟膏を秘部や柄のある箒に塗り、真夜中に空を飛んで山などに集まってお祭り騒ぎをする。そこで悪魔の臀部に接吻をし、己の神を捨て、悪魔に忠誠を誓う。そして悪魔と交わる…一般的にはそう言われているね」

「ミスター=ブラント、隣の絵は?」


ルナがそう言うと、絵の額に手を添えてこれかい? と彼が隣にあったもう一つの絵画を指し示す。

そこにあるのは古い牢獄の図だ。あいかわらずの白黒の絵画で、定規で図った様な人一人がようやく歩き回れる檻の中、一人の女性がベッドに腰をおちつけ、高さのある格子状の小さな窓から差し込む太陽の光をじっと仰ぎ見ている。


「…私は婿養子にすぎないのだが、これは妻の父から譲り受けたものだ。彼はこの女性は我が一族の祖先なのだと言った。どう見ても囚人の女性の図だ。でも妙に目が離せなくて、飾っているんだ」


カタン、と額ごと絵を外し、こちらへ手渡してくれる。落とさないように丁寧に受け取って、ルナはそっと絵をひっくり返した。



『時よとまれ  お前は美しい』


「……ファウストの」


後ろからのぞき込んでいたカインが思い出したように呟く。それを聞きとったジョンがそうだよ、と言って微笑んだ。


「それくらいは分かったのだが、それ以降がなんとも。この女性を永遠にこの絵の中で美しくいさせたかった、その思いかもしれないとも思った。それはファウストがメフィストレスと契約をする時、または彼の最期の瞬間に言った言葉だから。私の提供できる事はもう無いよ、お嬢さん」

「そうですか…ご協力感謝いたします。ミスタ=ブラント。また何かあればご一報ください」


それでは、とカインと二人、合わせて立ち上がり部屋を後にする。カインとかわしたテレパシーの中で、共通して確信した事があった。




―彼は何かを隠している、と。






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