38.香水
兎に角気持ちを切り替えていこう。そう思ってがむしゃらに目の前の事に向かった。
「そういえばさ」
しばらくの沈黙を破るように、オフィスのチェアに腰掛け、PCを操っていたヴィオが急に顔を上げてこちらを見上げた。彼のPCの周りにも大量の魔女関係の資料が積み上がっている。そろそろ事件の関係の方向を魔女から離さないといけないのか。それともまだしつこく喰らい付いてみるか。うろうろと迷っている自分を余所に探ってくれているのを大変申し訳なく思っていた。捜査資料を漁っていた手を一瞬止め、何、と視線のみをヴィオの方に向ける。
「香水で思い出したんだけど、この世には幻の香水が在るっていう話をある魔女から昔聞いた事があるんだ。誰だったか忘れたけども」
「幻の香水?」
ルナが首を傾げると、ヴィオは少し口元を歪めて似合わない苦笑を浮かべる。
「根も葉もないけどね。七つの大罪を元に作られた物だって言われてる。それに見合う者を見いだしたら永久的に送り続けてくれるらしい、って噂」
全然関係ないけどね、と首をすくめておどけてみせる。それを聞いてルナは情けばかりの相槌を打ちながら、再び作業へと入る事にした。
「パヒューマー達の間ではさ、結構有名な話で、それを手に入れた者は最高の名誉を手に入れるとか、或いはとことんその罪に溺れるとかって眉唾物な噂が飛び交ってんだ。匂いとかもシークレットだから、たとえ誰かがそれを付けていても気がつかない。ただ、大罪のパヒュームを持つ同士は互いをその罪の名で呼ぶ決まりがあるらしい。それが目印なんだろうね」
「…まるで今回の香水みたい。犯人しか知らない香水、否、知っている人が嗅げば知っているのかもしれないけど」
「今回のメンバーはそれ関係はまるで疎かったのが難点だな」
「唯一の紅一点のルナでさえ無関心だったしねー」
「ちょっとヴィオ! それどういう意味よ!」
確かにそっちの方には疎いけども! バン! とその場にあったデスクをぶったたいてヴィオを睨みあげて歩み寄ると、ヴィオがちょ、ルナ!? と慌てた様に両手を上に上げて降参のポーズをとり後ずさった。
「悪かったって、言葉の文だよ、あ・や」
「もう!…ああ、資料が…」
怒りにまかせてぶっ叩いたせいでデスクから大量に資料が落ちてしまった。もう、最悪。ブツブツ言いながら床に扇のごとく広がったそれを丁寧に拾っていく。
「俺も拾う」
カインが途中の作業の手を止めて歩み寄ってきた。ありがとう、と礼を言って拾う作業に戻る。それを見たヴィオもゴメン、と罰が悪そうな顔をして同じように作業を手伝い始めた。
なんだか結局自分が一番悪者じゃない。少し己に呆れ、小さなため息をつく。と、紙の間から覗く一枚の紙に目が行った。何故かは分からない、ちょっとした瞬間に垣間見る動物の本能みたいな物だった。ゆっくりとそれを手に取り、持ち上げる。
「これ……」
それは、少し前にフォリ・ア・ドゥから貰った資料の一部だった。フォリのあの一件があってから無意識的にそれを避けていたのだろうか。奥に仕舞いこんでいた傷がつき、と痛む。それを敢えて無視して書いてある事に改めて眼を通し始めた。それを読みながら、自分の中でグルグルと単語が廻り、答えを求めていく。
「……そうだ、なんで忘れていたんだろう」
彼は言っていたではないか。そして彼も言っていたではないか。その資料を握りしめ、一心にその一点を見つめている。くしゃ、と紙の音があった。
「人が人を殺す理由を持つのは1人だけではない…」
「ルナ? 何か掴んだのか」
その様子に気がついたカインが訝しげに問いかけてきた。声に反応する様に、顔をゆっくりとカインの方向に持ち上げた。その大きな黒瞳を震わせた表情はおびえの様に愕然としていた。
「カイン…!」