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35.精神の海に堕ちた二人、そして新たな事件

気になっていたのは匂いだけではなかった。オフィスに戻ってからカインたちを無理矢理隣の部屋に押し込み、ルナはまたネットの海と書籍の森を彷徨っていた。時折読んだ記憶を引き起こして照らし合わせて、という作業が続いている。


(匂いが…薄かったというのもある)


香水と聞いてつければプンプン匂いを撒き散らしてそこら辺の男の嗅覚をブッ飛ばしているもんだと思っていた。しかしどうも香水と言うのは濃度があるらしい。

香水の濃度をヒエラルキーのようにピラミッドの図に置いて見る。

まず第一、一番てっぺんに『香水』がくる。これはフレグランスの頂点に立つ。名香と言われた香水は全てこれに該当するらしい。ソフトな製品であり、揮発成分(温度により気体となって蒸発する性質を持つ)が少ない。故に肌に残る成分が残りやすく、柔らかい香りが長持ちする。その成分の約50パーセントは二十四時間程残る。


第二、その下にくる『オールドパルファン』は90度のエチルアルコールに7~14パーセント溶かした液体。清涼感がある過ぎる為に保留性に欠ける。

第三、さらにその下にくる『オードトワレ』は、調香師たちが何百年も前に編み出した香りの織物が由来である。身体を清め、主にリフレッシュして香り付けする目的で造られた。なのでこれは香りの持続性はなく、4時間程で消えてしまう。

第四は『オーデコロン』。これには二つのタイプがある。

典型的なオーデコロンは香水濃度は2~4パーセント。もう一つのタイプは『オー・フレッシュ』といい、香水濃度は3~7パーセント。オーデコロンに似ているが、香りが長持ちする。「オーデ・~」という製品が多い。


香水にはこれだけのランク、というか分類がある、と言う事だ。先の香りは犯人が付けていたか、死者に手向けるものかどちらなのか? おそらくメインは死者の手向けではないだろうか。しかしこれだけの惨たらしい死者を出し、おまけに魔女の復讐を模している。何の為に? 自分の哀れなグレートヒェンの為に?そしてこの香水のが何故突然あれから発覚したのか…


ビー!ビー!ビー!


突如室内に鳴り響いた音にルナはびっくりして身体をヒッ、と飛び上がらせた。自分の個人用携帯からと分かり慌ててそれを取り出すと、ブン、と自然に画像が現れる。


「フォリ…その眼はトロアね!」


そこには大分疲弊した青い瞳の青年の姿があった。チェアに縋りつくように腰掛け、どうやらそうしているだけでもやっとの様だ。何があったの、と聞くと、ぜぇ、と一つ呼吸をしながら、その震える唇が僅かに開く。


「…ドゥが…『読み』の最中に…やられた」

「なんですって…!」


ぜぇ、ぜぇ、変わらず苦しそうに呼吸をするトロアの沈黙の間をじっくりと見守りながら、その言葉を待つ。


「…ドゥは…戻ってこれるか分からない…片方を失った僕でさえこんな状態さ。…いいか、よく聞け」


ゴクリ、とトロアのつばを飲み込む音が聞こえる。


「…犯人は魔術を使いながら、香りも同時に操る…犯人は己の女性を失った悲しみを暴発させている……畜生、駄目だ。これ以上は…」

「……魔術?」


こくりとその首が縦に落ちる。


「良いわ、それ以上は。今ヴィネに連絡して、私もそっちに行く…」

「半身を探さなきゃ…僕の半身は…僕が行かなきゃ…」

「トロア! 呑まれちゃ駄目! 今行くから待ってて!! 命令よ!」

「……る…ナ…」


ブツリ。


朦朧とするその声を最後に電話が切れ、無機質な電子音が部屋の中に響き渡る。ぞわっ!と身体中に悪寒が走った。落ちつけ、と何度も自分に言い聞かせ、せっつくように電話をかけてヴィネを呼び出す。事情を離せば、彼は車を拾っていく、とさも冷静に言い放った。


「ルナ、彼らはアンノウンだ。故にこちらでは何もしようがないよ。あのトロアが己の力で闇色の海から上ってこなければならない。まあ、君が行く事でなにかしら反応があると良いが」

「ヴィネ、お願いですヴィネ。せめてトロアだけでも救わなければ」


震えるこちらの声を察したか、冷静になりなさい、と諌めるように言われてしまった。


「…ともかく身の安全だけは護ってやらねば。君を拾っていく、君のオフィスから離れた喫茶店で待っていなさい」

「…はい」


静かにそのまま電話を切ると、今度は隣からルナ? とあせった様にこちらを呼ぶ声がする。そのまま荷物をひっかけ、コートを取り、扉を通り抜けると案の定カインが心配そうにこちらを見ていた。


「何があった」

「…ちょっと出かけてくるわ」

「いい加減吐いちゃえよルナ、俺らはもう分かってる。あのカテゴリーアンノウン、死にかけてんの?」


その後ろからそっけなくヴィオが言い放つ。もう隠しても意味がない。ため息をついて髪を掻きあげ、唇を開く。


「…黙ってたのは謝る。でもビジネスパートナーだから」

「…君って奴はことごとく男を魅了するんだな。何だか妬ける。君の回りの男は僕以外皆死ねばいいのに」

「ヴィオ」


不貞腐れたようにヴィオが吐き捨てた。それを聞いたカインが射殺す様な勢いでヴィオを睨み付けるが、ヴィオはふい、と拗ねたように顔を背けるだけだった。呆れた様にそれを見やり、カインが再びこちらに視線を向ける。


「…俺は傍までいくがそこまでは行かれない…狼の事もルナに言われているし…何より見てられないからな。しかし」


近づいてきたその手がゆっくりと頭を撫でる。しっかりとした重量と、手の感触。この自分を幾度も護ってくれるその手。


「…無理だけはしないでくれ、と約束してくれ」

「……努力するように努めるわ、私は元々そうだって、貴方も知っているでしょう」

「…そうだな。悪い。でも心配だから」

「ありがとう」


自分は罪にまみれた人間だ。この優しい吸血鬼を何処まで傷つければ気が済むんだろう。傷つける事でしか愛を示せないのなら、その愛に一体何の意味がある?

―止めよう。

ニッコリとその場で精一杯微笑んで、ルナはオフィスの扉を急ぎ通り抜けた。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇



彼のアジトは自分でさえ知らなかった。ヴィネから知らない方がいいと言われ、彼自身がトロアの身体を直接ヴィネのオフィスに運んでくれた様だ。質素な簡易ベッドのある部屋に通され、ルナは愕然としてそのベッドに横たわる金髪の美麗を見下ろした。その瞳は今や閉じられ、時折瞼がピクピク動いている。人間が夢を見ている時の動作にそれはよく似ていた。しゃがみ込んで、冷たく冷えた左手をそっと包み込む。


「トロア…」


背後からヴィネが静かに口を開いた。


「容体は今は安定している。と言ってもこちらは容体の面倒…脈だったり熱だったりしか診れないんだが。後は本人の持ち次第だな。私たちに今出来るのは、ただ見守る事だけだ」

「…そう、ですか」

「意識がある最中、うわごとのように言っていた。ルナが危ない。危ないとな。魔術の力を持った者が意識の中でドゥを攻撃したようだ。この二人狂いは精神を破壊されるととんと弱い。彼らにとってこの肉体はこの現世において一種の通信手段、或いは外交手段に過ぎん。だが精神を破壊される、そうならぬ様に注意を払っていたのにも関わらずこの有様だ。余程の衝撃の事を見つけたのかもしれん。或いはドゥが避けきれない程向こうが強かったか」

「…ドゥが戻る可能性は」


その問いに対する答えは酷く暗い物だった。俯き加減のヴィネの顔には影がある。


「…正直、低い。最初に読みを行っていたのはヤツだからな。もし戻らなければ、或いはドゥ自身が消えているならば、その能力はトロアに引き継がれる。そうしてまた新たな人格が生まれるのを待つ。新たな二人狂いとなる。それが彼らの理。理解せよ、とは言わんが、もしそうなれば…受け入れろ」

「…」


残酷な現実を耳に入れながら、ルナはぎゅ、と。ただ目の前の人物の手を握りしめる事しか出来なかった。分かってはいる。二人狂いは、一人では居られない。


ビーッ!


不安に沈むルナをよそに、けたたましい音を立てて緊急の連絡が鳴り響く。ぼんやりとした頭でそれを取れば、カインがその顔を歪ませて画面に現れる。ぞわ、と嫌な予感が走った。画面の向こうのカインが伏し目がちな瞳を少し持ち上げ、重苦しく口を開いた。


『取り込み中悪い。今しがたオギから連絡が入った。…例の事件だ。また関係者がやられたらしい』

「…保護するように言っておいたのに!」

『隙を突かれた。今日の夜に保護する人間が到着する筈だったんだ。…現場の場所は追ってルナの方へ送られるらしい。直ぐに車に戻れ、ヴィオとは現場で落ち合う』


自分の安らぐ日はまだ遠いらしい。ルナは携帯を閉じ、ベッドに眠る二人狂いの唇にそっと己の唇を落としてからヴィネに視線をくれ、静かに部屋を後にした。





己の文才の無さが見え見えな回。

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