21.Folie à Deux (フォリ・ア・ドゥ)
数日後、人狼の店の前で車を止め、付いてきたカインとヴィオの二人を待たせ、自分は店のドアをノックして手を掛ける。入口のドアを―今はもう直ったらしい―開けると、もう彼の人物は先に来ているのが分かった。こちらの姿を捉えると、ラフな感じでブロンドを撫でつけ、彼はYシャツの襟をそっと正した。黒いシャツはほっそりとした彼の白い腕によく映える。シャツの上からはさらにグレイのジップミリタリージャケット。ローライズのストレートデニム。その端正な顔には、左目がある場所に黒の眼帯が装着されている。綺麗なアーモンド形のグレイの瞳がおもしろそうにこちらの姿を捉えると、彼はやあ、と軽く右手を上げた。
「遅くなってごめんなさい」
「いいさ」
そして彼の前のソファに腰を降ろすと、機を図ったかのように奥の方からヴィネがうんざりとした表情でトレイを抱えてやってきた。
「全く…どうしてお前が来るのかが不思議だったが、まさかルナと知り合いとはね。そうでなければ追い払ってやるところだったよ」
その言葉に彼はひひ、と喉の奥から引きつった声を零す。
「気を悪くするなよ人狼の王。俺は彼女の命を受けて馳せ参じるナイトだぜ? 彼女の命には逆らえないし、逆らう気もない。彼女に狂おしい程狂わされている片目のナイトに過ぎない。王には興味もないさ。ただここのコーヒーは一品なんで通っちまうんだ」
「減らず口が、せいぜいルナを困らせてくれるなよ」
苦々しく笑うと、ヴィネは静かにトレイを置き、それぞれにコーヒーを差し出してくれた。礼を言ってそれに口をつける。やはりいつもと変わらずに美味しい。笑みが零れた。
「お前の好みが変わっていなくて安心したぜルナ。勝手に頼んじまってわりぃな」
「いいのよ、ドゥ。貴方は私を裏切らないから」
色々とね、と付け加えると、彼―フォリ・ア・ドゥはその右目を細め、うっとりとした眼差しをこちらに向けた。
「そうだ、俺の女王様。例の件も調べてきた。見せてやろう」
「ええ」
彼は傍に置いていたバッグからタブレットを取り出すと、ある程度をタップしてからこちらにそれを手渡した。黙って受け取り、静かに指を置きながらめくって目を通していく。その瞳が驚愕で徐々に大きく見開かれていく様を、ドゥは至極嬉しそうに見つめていた。彼女のその黒曜石に似た瞳が大きくなっていくのはとても好きで仕方がない。緩やかに波打つウェーブの髪がとてもきれいだ。うっとりと眺めていると、彼女がドゥ、とその大きな瞳をハッとこちらに向けた。
「これは…」
「…そうだ、ルナ。見ての通りだ、我が女王様。今回の事件の被害者は皆祖先が異端審問官だった。まあ素敵な事に魔女狩りに関わっていたであろう異端審問官たち、ってやつさ。それが彼らの共通点。変わったものもあったけどな」
「変わった…?」
ドゥはルナからその四角い物体をやんわりと受け取り、指を置いてあるページを繰ると再び彼女に手渡した。
「一人目の被害者、ウイリアム・ブラント。この家系はなかなか面白かった。ヤツはジョン・ブラントと前妻の子供だが、実はこの前妻はこの事件の1年前に事故で死んでるんだ。……ここまでは調べ済みか?」
ドゥが問いかけると、ルナは黙って首を縦に降ろして口を開いた。
「当初、柵のないビルの屋上から突き落とされたのではないかと、これは事件性が考えられた為、当時の旦那のジョンが容疑者として疑われていたけど、その後彼にもアリバイが証明された為に犯人がいなくなり、結局最終的には事故として処理された。それ以上は…」
「十分だ女王様。その後ウイリアムは一年と立たずして今のマルガリータ・ブラントと結婚した。理由は知らないがな。知りたくもない。彼はブラントの姓を名乗り始めたが、それはどうもマルガリータの父親のせいらしい。父親は自分の先祖の追求のほか、悪魔学、民俗学なんかも研究していたという。それをジョンはそっくり受け継いだ」
「それがどう関係してくるの?」
ルナは訝しがって聞くと、ドゥはくくく、と低い笑い声をこぼして言った。
「なあルナ。我が女神、俺の女王様、その甘さで俺をめちゃくちゃにするスイーツちゃん。マルガリータに会っただろう? そしてウイリアムは魔女について語っただろう? そしてあの額縁の絵、書かれた文字、『時よとまれ、お前は美しい』。あれは何の戯曲だった?」
「ゲーテ。……ゲーテのファウスト………マルガリータ!」
ハッと何かに気がついたルナを、ドゥは手を組み直し、そこにほっそりとした顎を乗せて見つめ優美にほほ笑んだ。
「気がついたな、聡い俺のレディ。そう、マルガリータはそのファウストに出てきていたグレートヒェンだ。マルガリータは彼女の愛称だよ」
フォリ・ア・ドゥは専門用語で「2人狂い」の意。それが次回につながります。