18.苦悶の果てに
その夜はいつもより春の気配が漂っていた。柔らかく吹く風、心地よい温度、鼻をくすぐる草の香り。春の気配も、この現場ではまるで台無しだ。思わずため息が零れた。
目の前の光景に今は吐かないでいられる事が奇跡だ、と思った。またしても男性だ。柔らかな髪が閉じた瞼にべったりと張り付いている。きっと生きていたころは小麦色の肌にさぞかしその金色の髪の毛が映えていたのだろう。生気の溢れていたであろう顔は肉がごっそりと落ち―手足もそんな状態だ―データから見る生前の面影とは全く異なって見えた。ほっそりとした手が今は―潰されている。火あぶりにされなかっただけましなのだろうか。今回は磔になって、下には黒ずんだ薪が積まれていた。
(いや…)
マシなものか。こんな苦しみの果てに死ぬなんてマシも何もあるものか。予期しない死を迎えた人間にマシな事もあるものか。ギリ…重い歯ぎしりの音が響く。
「…被害者の詳細を。現場官、何か発見できたの」
傍に突っ立っていた現場捜査官はビシリと敬礼し、手元にあったタブレットをたたいた。
「ジン・サミュエル。28才。162㎝、55kg。家族は年老いた母親が一人。結婚歴は一回。もう3年前に離婚しています。現場を発見したジャンキー達はおびえきってます。まあ人が火あぶりになりかけてればそうでしょうね」
「母親ともと奥さんに連絡は」
「取りました、でも母はなにかにおびえるばかりで、何も答えてくれません。妻はもう関係の無い事だといって取り合わず。女ってヤツは薄情なもんですね」
やれやれと首をすくめる彼に向かってルナは自嘲混じりの笑みを浮かべた。
「…そうね。でもそうじゃない人もいるわよ」
きっとね、と付け足す。そのまま現場に立ち、意識を現場に向けて集中して右手をかざした。
『……ぐああああああ!!!ジジ…ノイズが…「痛みを知れ…」イタイ痛い痛いいたいああああああああ!!!!「罪なき」罪なき者たちの……あああああああああ!!!!!……』
(ダメだ…大した情報が得られそうにない)
頬にじっとりとした汗が伝う。くらくらと目まいが襲ってくるが、堪えて耐える。糸が切れた様に手が落ちて、そのままがくりと膝が折れた。地面に倒れそうになった所を横からカインが支えてくれた。
「…今回も酷いな。大丈夫か」
「…ええ、もう大丈夫。離してもらっていいかしら」
手を離してもらうと、何かを言いたそうにしているカインからそっと視線を外して少し現場から離れる。そしてからやっと安堵の息が漏れた。
「大した情報はないわ…目隠しでもされていたんじゃないかしら」
「指締めだね。拷問の際にメリケンサックに似た形で、徐々にネジで締めていく。だんだん締め付けていくからそのうち指は折れる。まあ、言わずもがな、って所かな。魔女裁判でも使われた刑さ。後は両手を縛りあげて天井高く吊るしあげる方法とかな。失神して涙も枯れ果てて、喰い物も貰えない、水もない服も貰えない劣悪環境で大体死ぬ。この被害者もそうだったんじゃあないかな」
その現場をしばらくじっと眺めていたカインがぽつりと言葉を漏らした。
「…なんで拷問ばっかりなんだろうな。魔女狩りって言えば主流は火あぶりだ。それが今回は初めの一件だけだ。これは失敗している。何故だ?」
「……目立ちすぎんだろ。犯人にとっちゃ火あぶりなんて派手なイベント、シたくて堪らないだろう。でもそんなほいほい立て続けちゃ警察だって警戒する。ばれるさ。ま、やろうと目論んでた後は見えるな」
両手を広げたヴィオが滑稽とばかりに首をすくめる。
「そうか…」
ふむ、と納得したカインだったが、再び考え込んでしまった様だ。確かに、同意見だった。火あぶりはいわば浄化の炎だ。悪は最終的に炎で浄化されるというのが、当時の慣習だった。何故? やはり目立つから? それは確かにそうだ。こんな派手にしたら普通は気がつく。あの時はいくら真夜中とはいえばれる危険性の方が高かった。あれは本当にまれに偶然が重なった惨劇にすぎない。
「やはり根本は魔女、か」
結論としてそう言う事だ、と口に出してみた。知らずにため息が零れ、夜の空気に溶けていく。やはり春はまだまだ来そうにない。兎に角、仕事は先にやっておこう。ルナは近くの現場捜査官にある程度の指示を出しておこうと重くなった唇をゆるゆるとこじ開けた。
「被害者の最期を探しましょう。見かけた時間、誰かに会ったのか否か、何を買っていたか、なんでもいい、足取りを掴む事、それは私の方でも進めてみる。貴方達はこの現場からありとあらゆる痕跡、被害者と犯人を結ぶ線を微かでも良い、見つける事。発見や発展があったらその都度PCに転送して送って」
分かりました、と力強く頷く若い捜査官を見て、ルナは反応するように口元にかすかな笑みを浮かべ、よろしくね、とほほ笑んだ。