<探偵と調査 2>
オートマタン誘拐事件の犯人を捕まえた次の日、ディーはジョナの見たという『白い髪の女性型オートマタン』の情報を得るために『陰陽門』へ向かった。
テレビでは詳細はまだ明かされないものの、話題の誘拐犯が逮捕されたという報道がニュースの大部分を占めていた。しかし、犯人さえ見つかれば全て解決する思っていたのに、ジョナのイオニスはまだ帰って来ていないのだった。
ジョナはため息をつきながら、もう一度ナビでイオニスを呼び出してみるが、機械音声がイオニスは電波の届かない所にいると告げるばかりだ。
誘拐されていないなら、なぜイオニスは彼女の前から姿を消したのだろう。もう自分のことが嫌いになったのだろうか。嫌いになったから、ジョナの世話などしたくないと思って出て行ってしまったのだろうか。
じわ、とジョナの大きな瞳に涙が溜まってくる。
そんなはずはない、とジョナは涙をこらえた。
だってイオニスはずっと傍にいてくれると約束してくれた。ジョナが学校に通いだす前の頃の約束だったが、ジョナははっきり覚えている。イオニスは約束を破ったりなどしない。嘘など付けるはずがない。―――オートマタンなのだから。
「ジョナ、どうですか?連絡はありましたか?」
急に背後から声をかけられて、ジョナはハッとした。
声の主はソナタだった。自室のドアを開け、こっちに顔を向けている。ジョナに30分おきにイオニスに連絡を入れろと言ったのはこのソナタだった。今は通信のできない場所にいたとしても、きっとそこから出る時がある。その時ジョナからの連絡に気付けば、向こうから接触してくるかもしれない、と踏んだのだ。そして彼自身はというと、もしかしたらイオニスが移動した際監視カメラに映るかもしれないという望みにかけて、あまり人が住んでいない場所の監視カメラをいくつかハッキングし、イオニスを探しているのだった。
「う、ううん、まだ……」
ジョナが小さく応えると、ソナタは少し彼女の様子を見るように小首を傾げた。
「…そうですか。連絡があったらすぐに私に言ってくださいね。チャンスを逃すわけにはいきません」
「うん、分かってる」
「何落ち込んだ顔してるんですか?」
ソナタに言われて、ジョナは顔を上げた。
「『アクロード』を探しにここまで来たあなたらしくありませんね」
ソナタは少しからかうような口調だった。でもジョナはそれに乗るほど元気がない。でも、とまたうつむいてしまう。
「これだけ連絡しても繋がらないなんて、本当はわたしともう話すのも嫌なんじゃないかって……」
「何言ってるんですか。誘拐されてたらすでに国外に売られていたかもしれませんし、電脳も初期化されていてもおかしくありません。ですが、彼はまだこの新香港にいますし、あなたのことも忘れていないはずですよ。そう考えれば、マシな状況じゃないですか」
「………」
「連絡がつかない、居場所が分からないというのは始めから変わっていません。なのにあなたはイオニスを探すのをもう諦めてしまうのですか?」
「そういうわけじゃないわ!そういうわけじゃないけど…、もし見つけてもイオニスが戻るのを嫌がったらと思うと……」
だんだんとジョナの声のトーンが落ちていく。
「それならそれで、ちゃんと理由を聞いておいた方がいいんじゃないですか?ま、あなたがもう探さなくていい、依頼は終了する、と言うなら私は別に構いませんが。無謀にもこの区まで『アクロード』を探しに来たあなたには、何が何でもイオニスを見つけてやるという気概があったように見えましたが……、やはり子供でしたね」
ちょっと肩をすくめてみせるソナタ。それにジョナは刺激されたようだった。
「さ、探さなくていいとは言ってないわ!もちろん絶対探し出すわよ!…そうよね、わたしにはイオニスがいなくなった理由を聞く権利があるはずだわ!ちゃんと聞いてやるんだから!」
それがどんな答だったとしても、と心の中で付け加えた。
「じゃあ、捜索は続けるんですね?」
「当然でしょ」
「そうですか、ならイオニスへの連絡、忘れないでくださいね」
ソナタはクス、と微笑み、自分の仕事に戻るためにドアを閉めた。
多分彼は気落ちしている彼女を見て、彼なりに元気づけてくれたのだろう。
彼の言う通りだ。たとえイオニスが自らジョナのもとを離れたのだとしても、必ず見つけてその理由を聞かなければ。ジョナは心を決めた。
もし本当に帰らないとイオニスが言ったなら……、どうすればいいだろう。いや、それはその時に考えればいい。まず見つけることだけに集中しよう。
ジョナは迷いのなくなった心で、再びナビに取り掛かった。
『陰陽門』では、『アクロード』が馴染みの男、ゴッセンに『白い髪の女性型オートマタン』の捜索を頼んでいた。
「白い髪の女ねえ~……」
電脳だらけの狭く薄暗い部屋で、めんどくさそうに痩せぎすの男がつぶやく。彼がゴッセンで、超ウイザード級のハッカーでもあり、違法オートマタンの技術者でもあった。彼はいつも薄汚れたつなぎを着ており、ゴーグルを着けている。ゴーグルはオシャレアイテムではなく、まさに彼の体の一部、義身躯なのだった。
「ああ、まずはこのオートマタンを探してくれないか?」
とディーがジョナからもらったイオニスの画像をナビで見せる。
「ん?別に白い髪の女じゃないじゃん」
「ああ。それだけだと大雑把だろ?だからまず時期と場所を特定する。先々週の水曜の九龍のショッピングセンター、5階の防犯カメラの映像、見られるか?」
「まかせろ」
ゴッセンはちょっと得意げに電脳を操作し、すぐにディスプレイに分割された映像が映った。
「次は、雑貨屋の映像をピックアップしてくれ」
指示のままに画面の映像がひとつだけ大写しになった。ジョナが誕生日プレゼントを買うために、イオニスと出かけ入った店だった。少し遠いが、店の前がバッチリ見える。
「時間は午後3時頃から、少女を連れたこの黒髪の男が来るところまで早送りしてくれ」
少し早送りし、ゴッセンは手を止めた。
「こいつか?」
「ああ、そうらしい」
確かに映像には先に店に入った少女を追うようにしてイオニスが店の前で立ち止まり、しばらく中の様子をうかがっているのが分かった。
数分後、イオニスに近づいて行く女の姿が。
「この女だな」
白い髪が腰まである。ふわりと柔らかなスカートをはき、優雅にイオニスに何かを話しかけていた。そしてすぐに立ち去ってゆく。特に何をした様子でもなかった。それからすぐにジョナが店から出て来て、やがてイオニスと共に店から離れていった。
「この人形が何だってんだ?」
ゴッセンが不思議そうに尋ねるが、ディーもよく分からないといった表情だった。
「…とにかく、あのオートマタンがどこで見かけられているか、街中の監視カメラや防犯カメラを検索してみてくれ」
「…へいへい。しばらく時間かかるぞ」
ゴッセンは違うアングルの映像から女の顔を割り出し、この一週間の交通監視システムデータやあらゆる店の防犯カメラから女の居場所を検索する。
「この人形、オートマタンっていうのは隠してねーから、製造番号や所有者のデータがあるかもな」
ゴッセンは検索の間に白い髪の女のデータを調べ上げた。
「ふーん」
出てきたデータを見て、ゴッセンは特に面白くもなさそうな声を出す。ディーもディスプレイを見た。
山京の侍従用オートマタンで、製造されたのは4年前。所有者は当時青年実業家として成り上がったらしい男だった。しかし彼は2年前に殺されている。その日からこのオートマタンは失踪、見つからないまま今に至るようだ。
「このオートマタンが所有者を殺したってことか?何で未だに捕まってないんだ?」
ディーが眉を寄せると、ゴッセンは皮肉っぽく言った。
「コイツはネットに繋がらないようにしてるんだろう。オートマタンなら誰とも関わらずに数ヶ月どこかに潜んでいられるしな。それに、毎日事件は起きてる。殺人だ捜査だと騒ぐ奴がいないと、こんな事件はだんだん隅に追いやられちまうのさ」
「つまり、この所有者の男には誰も死んで悲しんでくれる人間がいなかったってことか」
「オートマタンに殺されるなんて、よっぽどひどい扱いでもしてたんじゃねえか?そんな奴が金の無心以外で慕われるとは思えないねぇ」
もちろん、オートマタンの電脳には優先プログラムの一つとして『人間を傷つけない』ということがプログラムされているが、あまりにひどい扱いや虐待を受けたオートマタンは、電脳に異常をきたし人を襲うということがある。過去にもそういう事件がいくつかあった。彼女もそうなってしまったオートマタンなのだろうか。それにしては、イオニスと話している彼女は普通に見えた。
それだけではないのかもしれない、とディーは思った。
人の心は複雑だ。ゆえに、人に極めて近い感情を持つようになったオートマタンの心もまた複雑なのだ。
「おッ」
ゴッセンがディスプレイに気づいた。検索にヒットしたのだ。
「これは、二日前の映像だな。中環の高級住宅街辺りだ。こっちは……東香港のスラム。三日前だ」
「あまり関連性はないように見えるな……」
「適当にうろついてるとしか思えねーが」
「それとも何かを探しているか……?」
「何を探すっていうんだよ?」
その答については、ディーもさあな、と言うしかなかった。
「アンタんトコの掲示板に、『白い髪の女型オートマタンの噂』があっただろ?あれ、もっと詳しく分からないか?」
「あー、アレね~」
ゴッセンは慣れた様子でその掲示板を開く。無数にある書き込みから該当するものだけを抜き出した。ここの掲示板はただの噂から影に潜む真実まで、オートマタンやサイバーロイドのことなら何でも集まる情報の宝庫なのだ。
ずっとその情報を検分していたゴッセンだったが、似たような書き込みから彼がまとめた意見を述べる。
「んー、コイツは幽霊みたいな語られ方をしてるな。あちこちに出没しては、特に何をするわけでもない。だが、時折オートマタンと少し話し、話したオートマタンは消えてしまうそうだ」
「……消える?」
「ああ。誰にもどこに行くとも言わずに、ふっといつの間にかいなくなってるんだと」
それはイオニスの時と同じではないか。彼も白い髪の女と何事かを話し、その後姿を消したのだ。
「まあ、これはあくまで噂だから、あまり本気にしなくても……」
ゴッセンはいつもそう言ってここの情報の真偽を曖昧にするが、ディーは何かを掴んだような気がしていた。
「助かった。今日一日引き続き探してみてくれ。で、見つかったらすぐに連絡頼む!」
それだけ告げると、ディーはゴッセンの返事を聞くまでもなく『陰陽門』を出て行った。
人形達の楽園、とイオニス以外が信じている廃墟で、虚ろな人形達は今日も己の中の愛しい人との思い出に引きこもっていた。
マリエナも日に日に無口になり、イオニスが話しかけても反応しなくなることが多くなった。きっと彼女もそのうち他の者のように、自分の思い出より他に関心を持たなくなるのだろう。
デュエナは今日は夜になってから出かけて行ったみたいだった。
イオニスはすることもなく、ともするとジョナのことばかり考えていた。
ちゃんと学校に行っているだろうか。好き嫌いなく食事しているだろうか。部屋の掃除くらい自分でしているだろうか。不機嫌に当たり散らしてタエを困らせてはいないだろうか。
そして最後には結局、『ジョナに会いたい』という思いに戻ってくるのだった。
イオニスは教会裏の瓦礫に腰掛けていたが、他の者は皆教会の中にいる。門の番人からこちらは見えないし、少しくらい辺りをうろついたとしても誰も気に止めないだろう。
イオニスはふらっと、あてもなく歩き出した。ここから離れたかっただけかもしれない。
なるべく音を立てないように歩き、立ち止まった。教会からそう遠くまで離れてはいなかったが、ある地点を過ぎてから不意に、ジョナからの連絡が何本もあったことに気づいたのだ。
30分おきに何時間も。
今もジョナは心配して自分のことを探してくれているのだ。
急にイオニスは申し訳ない気持ちになって、せめて自分は無事だということを知らせておこうと思った。
「!!」
ジョナは最初深夜に自分のナビが鳴ったことに驚き、次にそれがイオニスからだと知って驚いた。
慌ててソナタの部屋のドアを叩く。
「ソナタさん!イオニスから!」
「出てください!」
ディーもすぐに自室から出てきて、ソナタの部屋のドアを開けた。
チラリとジョナが中を見ると、ソナタはつい先日の時と同じように、ごついゴーグルを着けて大きな椅子に横たわっていた。
「もしもし!?」
ジョナが通話に出ると、
「なるべく話を引き延ばせ」
とディーが小声で指示した。
「イオニス、今どこにいるの!?」
『……ジョナ、すみません。居場所は言えませんが、私は大丈夫ですから、心配しないでください』
「そんな訳にはいかないでしょ!?帰って来ないつもりなの!?」
ためらっているかのようなややの沈黙。
『……そうです。私はもうすぐ廃棄されるのですから、それが少し早まっただけです』
「どうしてそんなこと言うのよ!」
ジョナは泣きそうになったが、必死にそれを抑え込む。
「ずっと傍にいてくれるって言ったじゃない!」
イオニスが忘れるはずない。
『覚えていたのですか、ジョナ』
イオニスは少し驚いているようだった。
「当たり前でしょ。わたしがイオニスとの約束を忘れるわけない。ちゃんといつも言われてることだって守ってるんだから。好き嫌いもしてないし、部屋の掃除だって……」
ジョナが一生懸命イオニスを説得している傍らで、ソナタがイオニスの居場所を特定、電脳のプロテクトを突破した。彼の視覚に侵入する。
「ここは……」
イオニスの目を通して見えたものは、新世界大災害で壊れたままになっている建物と、荒れ果てた景色だった。
誰か――オートマタンだった――がやって来た。
乱暴にイオニスの手をつかみ、元来た方へ戻ろうとする。イオニスは少し抵抗したが、結局は彼と共に歩き出した。そして、急に何かに邪魔されたかのように接触が断たれた。それと同時にジョナとの通信も切れる。
「どうだ?」
ディーがソナタに尋ねる。
ソナタはゴーグルを外し、体を起こしてから答えた。
「ええ、分かりましたよ」
彼の電脳のディスプレイに映っている地図にも表示されている。
「イオニスは新界にいます。教会が見えましたから、たぶんその辺りに潜んでいるのでしょう」
その時、ディーのナビにゴッセンからのメールが入った。
「『白い髪の女』が北区の外れの監視カメラに引っかかったそうだ。新界からも近いな」
「どうやら、イオニスの他にもオートマタンがいるみたいですよ。イオニスはその第3のオートマタンと一緒に行きましたから」
ディーがその言葉に反応する。
『白い髪の女』と話して消えたオートマタンではないだろうか。
「彼女は、オートマタンを新界に集めてるのか……?」
「人形達の反乱ですか?」
皮肉っぽく笑い、ソナタが言った。旧世界のSF小説でよくあった設定だ。
「イオニスがそんなことするわけない!」
ジョナは力強く言い放った。
「でも、イオニスの電脳にウイルスの類は見つかりませんでした。少なくとも、彼は彼女の言葉に何らかの共感を得たのでしょう」
「そんなの、行ってみれば分かるわ!」
ジョナは一秒でも惜しかった。早く行かないとイオニスが逃げてしまうような気がしていた。
「そうだな、行こうか」
ディーとソナタが簡単に準備を済ませて玄関に向かう。
ジョナも今日はパジャマではなかった。