<人形達と楽園>
イオニスは新界にある廃墟にいた。ここは新世界大災害の後、土壌の汚染が見つかって以来再開発の目処が立っていない、立ち入り禁止区域だった。
ジョナの家を出てからすぐ、イオニスは白い髪のオートマタンに連れられてここにたどり着いた。
今は朽ちているが元は美しかったであろう教会と、その周辺が彼らの居場所だった。
ジョナの元から去って、一週間になる。ジョナは心配しているだろうか。いや、確実に心配しているだろう。癇癪を起こして手がつけられなくなっているかもしれない。
そう思うと帰らなければ、という思いに駆られる。
しかし、帰ってももう自分はジョナのために出来ることなどない。近いうちにいなくなるはずなのだから、変に希望を持たせるより、このまま嫌われたとしてもいなくなったままの方がいいのだ。そうすればジョナもすぐに自分のことなど忘れるだろう。それでいいのだ。彼女の世話はタエもいる。タエなら安心して彼女を任せられるし、彼女は賢いからすぐに状況を理解し受け入れ、自分がいなくとも、人として健全な生活に戻れるだろう。それでいいのだ……。
―――本当に?
ジョナが自分のことを忘れてしまうという考えは、イオニスの思考を乱した。
イオニスはその考えを振り切るように、教会の中で比較的破損の少ない椅子に座りながら、ゆっくり室内を見回す。
ステンドグラスは割れ、天井と屋根の一部が壊れて落ちている。室内も埃っぽいが、誰も気にしていない。
ここにはイオニスと同じだというオートマタンが何体もいた。イオニスのようにじっと椅子に座っている者、壁に向かってブツブツと何かつぶやき続けている者、ずっとノートに何かを書き連ねている者、眠る真似をしているかのように横になっている者などがいる。機体の外見や製造年代はバラバラだったが、皆が一様にどこか虚ろなのは共通していた。
彼らがいつからどれくらいここに居るのか分からないが、服は薄汚れ、雨にうたれてもそのままなのか、靴も土がこびりついたまま、何も頓着してないようだった。きっと動作が怪しくなっている者もいるに違いない。
彼らを見ていると、イオニスは自分もいずれああなってしまうのだろうかと思えて気が滅入るので、立ち上がって外に出た。
今日も白い髪の女―――デュエナは仲間を探しに出ているようだ。
彼女はどういう基準なのか彼女だけに分かる何かを頼りに、オートマタンを誘ってはここに連れて来ている。
教会の門の所には、もたれるように青年型のオートマタンが立っていた。彼はここの用心棒的な役割をしているらしい。
世間から隔絶された彼らは当然メンテナンスを受けられるわけがなく、自分達でやらなければならない。そして彼は自らを戦闘用に改造したのだった。機材が揃っているわけではないから、雑な作りではあるが。
そしてこの教会周辺には、通信やGPSの機能を阻害するジャマーがかけてある、とデュエナが言っていた。だから誰にも見つかることはないと。
イオニスは墓地の方に行ってみた。
そこにも一人、女性型のオートマタンが佇んでいた。
イオニスが近づくと、彼女は気づいて振り向いた。
「あなたは、最近来た……」
「イオニスです」
「そう、私はマリエナ」
マリエナは上品に微笑んだ。彼女は他のオートマタンと違って、まだ自分を保っているようだ。話せそうな相手が見つかって、イオニスは少しホッとした。
「あなたも、所有者を亡くしてここに?」
マリエナが尋ねる。きっと他の者達も彼女と同じような事情でここに来たのだろう。
イオニスは首を振った。
「いいえ。私はお嬢様の世話係で……、私が製造されてからもう10年経ちますから、もうすぐ廃棄される身なのです」
「まあ…そうなの……。そういう別れもあるのね」
マリエナは寂しそうに墓に目を落とした。
そこは彼女の所有者の墓ではなかったが、まるでそこに彼が眠っているかのように、彼女はそれを見ていた。
「私の彼は突然死んでしまった」
ぽつり、とマリエナが語りだす。
「彼との記憶を消去されて他の人の所になんて行きたくないと思った。その時、デュエナがやって来て、私をここに連れて来たの」
「所有者のことを、愛していた……?」
「そうね、デュエナに初めて聞かれた時にはよく解らなかったけど、今なら解るわ。そう、私は彼を愛している。ここにいる者達はみんなそう。誰かを愛したけれど、その人と死に別れたり引き離されたりした。人間の都合で他の人の所に行きたくないと願ったのよ」
そういうオートマタンをなぜかデュエナは探り当て、彼らをここに集めているというわけか。
「でも……、電脳を初期化されれば、前の所有者のことなんて忘れてしまうでしょう。きっとその気持ちはプログラムのせいで、一時的な感情です」
イオニスが言うと、マリエナは不快な表情をした。
「忘れる?いいえ、絶対に忘れないわ。忘れたくない。彼以外の思い出はいらない。だから私はここに来たのよ。あなたもそうじゃないの?」
「私は……」
イオニスは視線を落とした。
「解りません……。ただジョナが私に執着してはいけないと…、いずれいなくなる私に縛られてはいけないと、そう思ったから、出てきたんです」
マリエナはゆっくりと、深くうなずく。
「お嬢様があなたの全てだった。だからそう思ったんでしょう?」
「それは……ええ、そうですね。今でもお嬢様は私の全てです」
「私達もよ。あの人が全てだった」
それからしばらく二人は無言で立ち尽くしていたが、やがてイオニスが口を開いた。
「……デュエナは私達を集めて、何をするつもりなんでしょうか?」
マリエナはイオニスを見返した。
「解らないわ。彼女はただ、ここに私達の楽園を作るんだと言ってた」
「楽園を……?」
イオニスにはなぜか、それは実現しないだろうと思われた。
夕方になってデュエナが帰って来た。今日は誰も見つからなかったようだ。
イオニスの隣に腰を下ろす。電気もつかない室内には、昼間同様、相変わらずぶつぶつ言っているだけの者や横になっている者がいた。
マリエナも目を瞑り、部屋の隅に座っている。所有者との思い出でも反芻しているのだろうか?
「どう?ここの生活にも慣れた?」
デュエナは親しげに話しかけた。
「慣れたというか……」
戸惑いながら、イオニスは室内の彼らをチラリと見た。
「彼らが気になる?」
「ええ、まあ……」
「仕方ないのよ。彼らは、自分の愛する人がもういないことに耐えられなくなってしまった。目的と存在意義を失い、電脳が少しおかしくなってしまったのね。でも彼らを責めることはできないわ。彼らは一途なだけなのよ」
「…いずれ私もそうなってしまうのでしょうか?」
「誰にでも起こりうることよ。そうなっても私達は誰もあなた達をここから放り出したりしない。症状がひどいと、優先プログラムを無視して自傷行為をする者もいるわ。それも自由。ここは愛する人との思い出にずっと浸れる場所なの。私達の楽園なのよ」
そう言ったデュエナの顔はまるで聖母のようだった。
ふと、イオニスは彼女は自分が誰かを愛していると知ったのはいつなのだろう、と思った。
「あの、あなたはいつ人を愛していると知ったのですか?」
「私?……そうね、私の話をしてあげましょうか」
デュエナは静かに話を始めた。
「私は、4年前に製造されたの。初めての所有者は青年実業家っていうのかしら、自分で事業を起こして、それなりに稼げるようになったから私を買ったみたい」
侍従用オートマタンの所有者になるというのは成功者である証の一つだったから、デュエナの元所有者はオートマタンメーカーの大手、山京重工のオートマタンである彼女を購入したのだ。髪の色やプロポーションをカスタマイズし、デュエナと名付け、あくまで自分に従順になるよう、性格をプログラムした。
デュエナは彼に何を言われても大人しく、言われるままに彼の世話をした。
彼は事業が軌道に乗ると女遊びが激しくなり、毎日のように違う女を家に連れてきては淫らな遊びに興じていた。それでもデュエナはプログラム通り彼に従っていたが、やがて女達が邪魔だと思うようになる。
そして、すぐに取り替えられる女達より、常に彼の側にいて彼の世話をしている自分の方が愛されているのだと思い始めた。それからデュエナは少し変わった。女達に接する時は、どことなく高慢な笑みさえ浮かべるようになったのだ。
デュエナは以前よりも甲斐甲斐しく彼の世話をしそれに満足していたが、彼は金を持ってからは常に高価で新しい物を手元に置きたがるようになった。それが気に入っているからとか本当にいい物だから欲しがるというのではなく、ただ単に自分が金持ちだということを見せつけるためだけに、有名デザイナーの服を買ったり、使いもしない調度品をわざわざ外国から取り寄せたり、美味しいと思っているわけでもない高級食材を食べたりしているのだ。
そしてデュエナが買われてから一年も過ぎると、最新型のオートマタンが欲しいと考えるようになった。
「それを知った時、私はものすごくショックを受けたわ……」
あの時、彼は言った。
『まああの頃の俺は少し焦ってたかもな。新品だったが型落ちのお前で手を打っちまったんだからな。けど、そろそろ買い替え時だ。今度は正真正銘、大手ブランドの最新型を買うんだ。俺のような一流の男には一流のオートマタンがふさわしい。そうだろう?』
本当にふさわしいのかどうかは彼女には分かりようもなかったが、彼のプログラムした従順な性格の彼女は肯定するのが正解の反応だ。しかし彼はデュエナの反応などお構いなしに、すでに最新型オートマタンのカタログを見ているのだった。
デュエナは悲しげな笑みをイオニスに向ける。
「私は彼に意見なんて言えるはずもない。そうプログラムされていたから。嫌だと言ったところで、反抗的な態度は電脳がおかしくなったと思われて交換時期が早まるだけ。だから私はそれに従うしかなかった」
イオニスは続きを聞きたいような聞きたくないような複雑な感情を感じながらも、先を促す。
「…それで、どうしたんですか……?」
「私はその時知ったの。彼に仕えるのは私だけだと。私以外の誰にも、私の代わりはさせたくないと。だってそうでしょう?最新型がどんなに優れた機体だったとしても、私以上に彼の世話をできるものなんていやしない」
でも所有者の彼は着々と最新型オートマタンの購入を進め、デュエナとの交換を決めてしまったのだった。
デュエナの顔からすっと笑みが消え、急に声のトーンが下がった気がした。
「だから私、私が業者に引き取られるその日、彼を殴ったわ」
業者が彼女を引き取りに来るという朝、まだ眠っている彼の寝室へ入り、彼のお気に入りのクリスタルガラスの花瓶でしたたかに頭部を殴った。
ベッドの白いシーツがどんどん赤く染まってゆき、彼はもう目覚めなかった。
「!」
イオニスは驚愕した。
「殴ったって……!」
「そして私は確信したの。ああ、私はこんなにも彼を愛している。私以上に彼を愛している者なんていないんだってね!」
喜びの絶頂を再び体験しているかのように、デュエナの顔は輝いていた。
恐ろしい顔だった。
「それから私はあちこちさまよったわ。そして気づいたの。他にも、私のように誰かを愛して報われないオートマタンがいるかもしれない。そういう私達のための居場所を作れないかって」
「そうやって、私達を…、彼らを連れて来たんですね……」
「そうよ。探してみると結構いるものね。今や電脳は人の心を再現しつつあるのかもしれない。実際にはもっといるはずだと私は思うわ。彼らは人知れず処分されたり、電脳を消去されて望まない所有者の所に買われたりしているのよ。私は彼らをできるだけ救いたいの。ここに来れたあなた達はラッキーだわ。そういう目に遭わずにすんだんですものね」
にこりとデュエナは笑った。だけどイオニスは感謝の気持ちどころか、微笑み返すことさえできなかった。
恐怖を悟られないよう、おもむろに立ち上がる。
「お話、ありがとうございました。少し、外に出て来ます」
外は暗く、星は輝いているがイオニスの慰めにはならなかった。
門の所にはずっと用心棒のオートマタンがいるようだ。彼は何を守っているのだろう。
ここに楽園を作るのだとデュエナは言った。しかし彼女もすでに壊れてしまっていたのだ。それとも、マリエナや他の狂ってしまった彼らにとっては楽園に見えているのだろうか。
少なくとも、イオニスにはそうは思えなかった。
ここは楽園などではない。
―――壊れた人形達の、墓場だ。