<ハッカーとクラッカー>
ジョナは中々寝付けずにいた。
枕が変わったからとかベッドじゃないからだとかいう理由ではない。
イオニスがいなくなってから、毎日ジョナはイオニスが家を出て行った深夜二時頃まで落ち着かなくて眠れないのだ。もしかしたら連絡があるかもしれない、という小さな望みを抱きながら、やがて思い疲れてウトウトと眠っているのだった。
ジョナの寝床は、結局二人とも自分のベッドは貸せない(ソナタは自室に他人を入れたくない、ディーは他人に貸せるような状態じゃない)ということで、リビングのテーブルを寄せてスペースを作り、布団を敷いてもらっていた。
ジョナは横になりながらナビでイオニスの画像を見ている。
一体どこに行ってしまったのだろう。もう外国にでも売られてしまったのだろうか。電脳を消去されてジョナのことを忘れているかもしれない。いや、それでもイオニスが無事に戻ってくるなら構わない。
そんなことをつらつら考えていると涙がこみ上げてくる。
ギュッと目を瞑り涙をこらえて、ジョナは鼻をすすった。
しっかりしなければ。警察の捜査が進展しないならアクロードに賭けるしかないのだ。自分が、イオニスを絶対に見つけるのだ。
何度も自分に言い聞かせながら、やがてジョナは眠りについた。
ソナタが一般家庭に売られたオートマタンの電脳にウイルスを仕込んでから、二日間は何事もなく過ぎてしまった。
そして三日目の夜、ジョナがウトウトし始めた頃、ソナタの部屋から
『ビィーッ!!ビィーッ!!』
というけたたましい警戒音のような音が鳴り響いた。
びっくりして飛び起きると、ディーも部屋から飛び出して、ソナタの部屋のドアを開ける。
「来たか!?」
ディーが中に入ると、ソナタはすでにスタンバイしていた。
ジョナは部屋に入るなと言われていたが、ものすごく気になるのでディーの後ろからそれとなくのぞいてみると、ソナタはデスクの前の大きなシートに座っていた。
頭にはごついゴーグルのようなものを被っていて、電極が何本か付いている。それはデスクの上にある電脳と繋がっているらしい。電脳のディスプレイは三つあり、どれもがものすごい速さで画面が切り替わっていた。ドライブも三つあって、デスクの上はもういっぱいだった。
これはソナタ専用の、思考するだけで作業を実行できるというキーを打ち込む必要のないシステムで、『陰陽門』に作ってもらった特注だ。電脳画面もゴーグル内に映し出されている。
「ハッカーと交戦中です」
ソナタがディーの気配を感じ、端的に状況を述べる。
「敵ウイルス中和中……」
三つあるディスプレイの右は、いくつものウインドゥが開いたり閉じたりしており、真ん中のディスプレイは意味のなさそうな文字の羅列が読み取れない速さでスクロールし、左のディスプレイはソナタの電脳のプロテクトとウイルスの進行状況を表示していた。
ディーが左のディスプレイを見ると、プロテクトのゲージが70%まで減っている。ソナタの電脳のプロテクトは、『陰陽門』のプログラムをソナタ自身が改良した、そこらのファイアーウォールより優れモノのはずだ。本人はマジックウォールと呼んでいるが、それをここまで食い破るとは、敵ハッカーもさすが最新型のオートマタンの電脳をハッキングするだけはある、手ごわいウイザード級というわけだ。
しかし、チリチリとウイルスの進行ゲージが伸びていく。
「甘いですね。そのウイルス、そのまま送り返してあげますよ!」
ウイルスのゲージが100%になった。
「プロテクト突破、マーカー打ち込みました!」
ソナタはゴーグルをガバっと外し、傍らにあったラップトップをデスクの電脳に繋いで情報を落とす。
「行きますよ!」
「よし!」
「え?え?」
ジョナが訳も分からずオタオタしていると、ディーとソナタはすでにいつもの服に着替えていて、というか元々パジャマではなかったのかもしれないが、出かけるために急いで部屋を出た。
「ま、待って!わたしも行く!」
「着替えてるヒマなんかないぞ!おとなしく待ってろ!」
もう玄関から出ていこうとしているディーとソナタをジョナは追いかけた。
「このままでいい!」
「じゃあ急げ!」
言い合いしている場合ではないので、ディーとソナタはジョナを連れて地下にある自分達の車に乗り込んだ。見た目は赤いスポーツカーだが、実はボディは防弾だったり煙幕が出たり等、色々改造してある。改造はともかく、車種の好みはなぜかソナタのものだった。
ディーが運転しソナタが助手席でラップトップの電脳を見ながらナビゲートする。ジョナは後部座席で見守りながらハラハラしていた。
「そう遠くないですね。九龍の北、区の外れです」
「飛ばすぞ!逃がさねえ!」
ソナタの指示でディーは車を飛ばし、深夜のため思いの外早く移動でき、10数分でハッカーの家と思われるマンション前にやって来た。
最寄りの駅からは遠く、周りはあまり新しくないアパートやらマンションばかりが軒を接するように建っていて、本当にこんな所にオートマタン誘拐事件の犯人がいるのかと疑いたくなる。
しかしソナタはその中の8階建ての古いマンションを示した。
何があるか分からないので、ジョナを車の中に残し、ディーとソナタは車を降りた。
「四階の奥から二番目です」
ディーは指部分に鉛の粉が入った装備のグローブをギュッと握り、ソナタは懐から愛銃のコルトガバメントM33を構える。セキュリティは旧世紀の時代のままでないも同然、何の苦労もせず入ることができた。慎重な足取りでハッカーの部屋へと向かう。
ドアの前まで来て、そっと中の物音などをうかがった。しんとしていて物音一つしない。取りあえずディーはドアを蹴破った。
ドカドカと中に入ると、デスクの上の電脳がチカチカと点滅している。ソナタの仕込んだウイルスにやられてフリーズしたのだろう。素早く隠れられそうな所を見るが、誰もいなかった。おそらく、ウイルスにやられたので犯行が発覚したのを恐れ、咄嗟に逃げ出したに違いない。
改めて部屋を見回すと、インスタント食品の空容器や脱いだ服が散らかしてあり、キレイとは言い難い。取るものも取りあえず出て行ったらしい。とてもではないが、警察が目星をつけていたどこかの犯罪組織のクラッカーとは思えない。
「ディー、見てください!」
ソナタに呼ばれてそちらに行くと、寝室だったと思われる部屋には、何体ものオートマタンが乱雑に置かれていた。本人が逃げたとしても、これだけ証拠が残されていれば結局は逃げられまい。
電脳も置きっぱなし、盗品も放ったらかしで逃げるという有様は、完全に素人犯罪者だった。
「これは…、誘拐されたオートマタンか?」
「そうですね…ちゃんと照合しないと分かりませんが、何体かは資料で見覚えがあるのでたぶんそうでしょう。だけど……」
ソナタの言葉が歯切れ悪い理由を、ディーも悟った。
「イオニスがいないな」
「ええ……、それに、誘拐された数とここにある数が合いません」
二人は釈然としないまま、顔を見合わせるのだった。
「そんな!イオニスがいないって、どういうこと!?」
マンション前の車内でディーとソナタから事情を聞いたジョナは声を荒げた。
「分かりません」
とソナタ。
「だって、犯人の部屋だったんでしょ!?」
「あれを見る限り、数体のオートマタン誘拐事件に関わっている、ということではそうだ」
あくまでも冷静に返すディー。
「じゃあどうしてイオニスがいないの!?」
「犯人に聞くしかありませんね」
「そんな……!」
ようやく、犯人にたどり着いたというのに、まだイオニスは見つからないなんて。焦りと不安から、ジョナはイライラを抑えられなかった。
「落ち着け、ジョナ。犯人はすぐ捕まるだろう」
ディーはさっきから電脳を操作しているソナタの方をチラリと見た。
「あの部屋の住人はサムス・ハンソンとなってますね。32歳の男で、プログラマーとして転々と会社を渡り歩いているようです」
ソナタが顔を上げずにディスプレイの内容を読み上げる。
「メガロダインの社員だったのか?」
「いえ、そういう事実はないようです…っと、たった今、ハンソンのカードが使われました。駅前の無人ホテル201号室です」
「OK」
ディーは素早く車を発進させた。
目的地に着くと、再び車にジョナを残し、ディーとソナタは二人で無人ホテルに入って行った。
無人ホテルとはその名の通り従業員がおらず、客は券売機のような機械に金を払ってキーを受け取り、部屋に宿泊するというシンプルなシステムのホテルだ。各部屋にベッドとトイレは付いているが、それ以外は何もなく、ただ泊まるだけの施設だ。格安なのでそれなりに需要がある。
ハッキングしてキーを取らずに入れないこともないが、面倒なのでカードで金を払いキーを受け取り、中へ入る。
201号室に来ると、遠慮なくディーは再びドアを蹴破った。
「相変わらず乱暴ですねえ~」
咎めるというより苦笑しながらソナタが言う。
「どうせ鍵がかかってるんだ、この方が手っ取り早いだろ?ここの部屋を借りたのはハンソンだし、ヤツのところに請求が行く」
言いながら部屋に踏み込むと、
「うわッ、わわわわッ!」
と男がベッドの上で布団をかぶって丸くなって怯えていた。
あまりにも情けない様子に、ディーとソナタは拍子抜けして半ば呆れてしまった。
「おいッ。お前がサムス・ハンソンか?」
ディーは乱暴に布団を剥ぎ取り、男の首根っこを捕まえる。
「ひいッ!な、何だお前らは!俺が何したって言うんだよお!」
ハンソンはバタバタと暴れようとするが、全く虚しい抵抗だった。ハンソンはヨレヨレのシャツに洗ってなさそうなジーパン姿で、無精髭を生やし常に眉間にしわを寄せた目つきの、不健康そうな男だった。
「何したってアナタ、オートマタンの電脳をハッキングして誘拐したでしょう?」
ソナタが言うと、ハンソンが驚いた顔になる。
「じゃ、じゃあお前があのハッカーか!畜生、俺の電脳をおシャカにしやがって!くそッ、皆死ねッ、死んじまえ!」
アクロードの二人はこの男の態度に辟易し、
「ここじゃ他の部屋の方々に迷惑ですから、外に行きましょうか」
「そうだな」
ソナタの提案にディーは同意し、ハンソンの後ろから首根っこを持ったまま両手もまとめてつかみ、入ったばかりの部屋をチェックアウトしてホテルの外へと出た。その間ハンソンはずっと二人を罵り続けていた。
アクロードはハンソンを自分らの車の前にまで引っ立てて、無理やり座らせる。
「アナタが犯人なの!?イオニスは、イオニスはどこ!?」
ジョナが後部座席のドアを開けるなり問い詰めた。
「何なんだよ、このガキは!?」
「言いなさいよ、イオニスを返して!」
「うるせえなあ、知らねえよ、そんなの!」
「なんですって!?」
ジョナはハンソンの胸ぐらにつかみかかろうとするが、ソナタにやんわり押し止められた。
「落ち着いてください、ジョナ。私達がちゃんと聞き出しますから」
「誰がお前らなんかに…」
と言いかけたハンソンの頭を、ディーが髪の毛ごとぐい、と後ろに引く。
「つッ!」
「素直に言った方が身のためですよ?」
ソナタがにこやかに笑いながら懐から銃を出し、銃口をハンソンの額に突き付けた。
「う、撃てるわけがねえ……。銃だって本物じゃねえんだろ?法律違反じゃないか!」
強がっているものの、眼は怯え声も震えている。
「人のこと言えんのか?」
ディーがさらに力を込めて髪を引っ張り、
「試してみますか?」
ソナタの目がすうっと細められた。
ハンソンは綺麗な顔の目の奥にある暗いものを見たような気がした。ソナタの口元はまだ笑っている。コイツは今までに何度も銃を撃ったことがある、そしてその気になったらためらわずに撃つだろう、と思った。
「わ、分かった、話す。話すよ……!」
「いいでしょう」
ソナタは銃を懐にしまった。
「お前は今話題のオートマタン誘拐事件の犯人なのか?」
まずディーが尋ねた。
「ああ……、そうだ。お前ら俺の部屋に来たんだろ?だったら分かるだろーが」
いちいち人をイラつかせる答えだが、ここは我慢するディー。
続いてソナタが口を開く。
「動機はなんです?」
「ふん、アイツらが、メガロダインの奴らがムカついたからだよ」
「何かされたのか?」
「そうだ!この才能あるプログラマーの俺を不採用にしやがった!だから仕返ししてやったんだ!」
ディーとソナタは唖然とした。正直くだらない、と思った。
「最新のオートマタンの電脳をハッキングしてやれば、メガロダインの信用が落ちると思ったのさ!馬鹿な奴らだ!俺を雇ってればもっとセキュリティの高いオートマタンが…」
「あー、もういいです」
ハンソンの言い訳をソナタがぞんざいに打ち切る。
「で、メガロの10年前の機体でA-03型はどうしました?黒髪で青い目をした男性型です」
「10年前の型?そんなの知らねえよ。俺は最新型しか誘拐してない」
「お前、とぼけてると…」
今度はディーが腕をひねり上げると、ハンソンは悲鳴を上げた。
「痛え!止めてくれ、ホントに知らない!俺の部屋にあるのが全部だ!それ以外のオートマタンのことは知らない!」
「ちょっと、どういうことなの!?ホントにアナタが誘拐したんじゃないの!?」
ジョナが詰め寄るが、ハンソンは知らないと言うばかりだった。
「ニュースで俺がやった以上の数が俺のせいになってるんで、不思議だとは思ってたんだ。俺に便乗したヤツでもいるんじゃないか?ま、俺には関係ねーけど」
「そんな……!!」
せっかく犯人にたどり着いたというのに、また振り出しではないか。ジョナはショックでヨロヨロとシートに座り込んだ。
どうやらハンソンは嘘を言っている訳ではないらしい。これ以上の情報はもう聞き出せないだろう。
ディーはハンソンの首の後ろを手刀で殴り、気絶させた。車でハンソンのマンションに戻り、とりあえず動けないように彼の手足を縛ってベッドに放って、警察に通報する。事情聴取などされるのは厄介なので、そのまま名前も言わずに通話を切り、自分達の家へと帰って来た。
「どういうこと!?」
帰って来るなりジョナが開口一番に言った。
「つまり、イオニスがいなくなったのはアイツのせいじゃないってことだ」
ディーが淡々と答える。
「そんな……じゃあ誰が!?」
「そうですね……。もう一度、あなたが言っていた『白い髪の変な女のオートマタン』を考えてみましょうか」
ソナタがそう提案すると、ディーがジョナの肩に手を置いた。
「お前はもう寝ろ。心配すんな、俺達が必ずイオニスを見つけてやる」
「うん……」
ジョナは目に涙を溜めながら、もそもそと布団に戻った。
それからジョナはすぐに寝入ってしまったようだった。
「…ただ単に誘拐しただけとはな。警察の捜査じゃ見つからない訳だ」
ダイニングキッチンのテーブルで水を飲みながら、小声でディーがささやいた。ジョナを起こさないように、電気も小さくしている。
「普通の捜査ではね。まあ警察もそこまでバカじゃないでしょうから、彼がもっと調子に乗ってそのうちボロでも出せば捕まったとは思いますが」
ソナタも同じように小声で返す。
「にしても、イオニスがいなかったのは予想外だったな」
「そうですねえ。これは思ったより込み入った事件のようです。もしかしたら、イオニスは電脳をハッキングされたのではなく、自発的に家を出て行ったのかもしれません」
「何のために?」
「さあ、それはイオニスに聞いてみないことには」
ソナタはちょっと考え、
「誘拐されたんじゃないとしたら、ジョナに連絡をしてくる可能性がありますね」
「これも賭けだな」
ディーはクスリと笑った。
「でも、今はそれくらいしか手を思いつきません」
「今のところはそれで充分だ。そっちは任せる。オレは明日『陰陽門』へ行って、白い髪の女オートマタンを当たってみる」
「分かりました」
ディーはコップを片付け、二人はそれぞれ自室へ入って行った。