<探偵と少女>
ソナタは、胡散臭そうな医者の前に座っていた。
そこは狭い診察室で、診察台と患者、医者と電脳の置かれたデスク、薬品や何かが入っているらしい棚でもういっぱいだった。地下にある部屋なので窓はなく、病院にありがちなかすかな消毒薬の匂いがする。診察台は清潔ではあるだろうが古い台で、ソナタが座っている丸椅子も色落ちしたりしていて古そうだ。そういう物が、最新の電脳が置いてあるこの部屋をどこかレトロな雰囲気にしていた。
医者は無骨そうで骨ばった顔つきをしていて、もみあげが髭と繋がりそうなほど長い。黒くて太めの眉や茶色の目の色もやたら濃く見えた。見かけの割りに人当たりはいいが、いまいち本当のことを言っているのかよく分からない物言いをする中年の男で、白衣を着ていなかったらどこかの詐欺師のように見えるだろう。彼は普通の外科の診察もするが、裏で違法の義身躯の取り付けもやるサイバー医師でもあった。
この新香港の首都九龍に隣接する混沌区は、繁華街の裏道をちょっと行けば、すぐにうらぶれた街角に行き当たる。そこには数々の闇の顔を持った人間が潜んでおり、そういう物を必要としている人間―――おおむねは悪人だが―――の欲求を叶えてやっていた。銃でも薬でも女でも、ここに来れば手に入らない物はない。ソナタの目の前にいる医師もそういう者達の中の一人で、ソナタはこの街に来た時、彼の腕を必要としたのだった。
ソナタの右目は義身躯で、普通の機能以上の働きをする。それゆえに、定期的にここの医師にチェックをしてもらっているのだ。
医師は簡単な質問と視力検査をした後、人の頭がすっぽり入るほどの金属の輪が付いた大きめの器具をソナタの隣に設置しだした。輪は8cmほどの太さがあり、太めの柱が外周に付いてそれを支ると同時に、上下移動ができるようになっている。全体の高さはソナタの座高より若干高いくらいだ。
医師が輪をソナタの頭の上にセットし、柱にあるスイッチを押した。すると輪の内側が赤く光り、輪がゆっくりと下がって行く。それは頭や腕、足といった部分的な箇所をスキャンする医療器具なのだった。
スキャンされたソナタの頭部の画像が、デスクの電脳のモニターにじわじわと映し出されてゆく。
あまり気分のいいものではないな、とソナタは毎回思っていた。ソナタの赤く染めた髪を、赤い光が通過してゆく。肝心な義身躯の右目は前髪で隠れていたが、特に問題はないだろう。
ソナタは20代前半の青年で、彼を見た人間は誰でも、一度まじまじと彼の容貌に見入ってしまうほどの美形だった。細面で完璧に整った顔立ちで、本来の目の左目は綺麗な緑色だった。義身躯の右目は赤いので、それを大っぴらに見せないため前髪で顔半分を隠し、前髪に合わせるように後ろ髪も肩まである。わざわざ顔を隠すような髪型は普通だったら何かしら他人に違和感を抱かせるかもしれないが、ソナタにはそういうミステリアスさこそ、似合っていた。
スタイルもモデル並みで、一見華奢に見えるがちゃんと均整の取れた筋肉が付いていて、180cm近い身長の手足はすらりと伸びていた。髪の色に合わせたワインレッドのブランドスーツをお洒落に着こなし、今はスキャンが終わるまでおとなしくしている。
銃を所持するのは法律で禁止されている新香港だが、彼の懐に銃が常備されていることは、ここの医師や彼の仕事に関わっている限られた人間しか知らない。
ソナタの頭部スキャンが完全に終わり、医師はスイッチを止め、機材をどかした。改めて電脳の画面に向き直りしばらく数値や画像を見ていたが、ふむ、と小さく息を吐いた。
「特に異常はない。モードの切り替えはスムーズか?」
「ええ、問題ありません」
「OK。何かあったらすぐ来いよ。お前なら最優先で全身くまなく診てやる」
闇医者はにやっといやらしい笑いを浮かべた。彼のいつもの下品な冗談だ。ソナタはその外見からそういう類のことはうんざりするほど言われ慣れているので、しかめ面を向けることさえせずに、
「すぐに連絡はしますが、すぐには行きません」
「おー、相変わらず冷たいねえ」
医師も当然冗談なのでソナタの態度に怒るわけもなく、おもしろそうに言うのだった。
「支払いは現金でしたね」
この時代はカードの電子マネーが主流になっているが、まだ紙幣や硬貨もなくなってはいない。ここの医師は『電子マネーなどという電脳上の数値はどうとでも書き換えられるから信用ならない』という理由から、現金主義なのだ。
スーツのポケットからあらかじめ用意しておいた金を医師に手渡す。
「まいどあり。たまには体で払ってくれてもいいんだぜ?」
金額を確かめながら医師がソナタを見ると、ソナタは会話を打ち切るように立ち上がった。
「あなたに全身診せる気はありませんよ」
「残念だなあ~。その身体データがあれば、いい義身躯のボディが作れそうなのに」
「それで何をするのかと思うとゾッとしますね」
ソナタが大げさに嫌悪感を示すと、医師はくくっと笑う。
「それは秘密だ。じゃあ、次もちゃんと忘れずに来いよ」
「ええ。あなたがちゃんと診てくれる限りはね」
ソナタは診察室を出、地上へと続く階段を上った。外に着くと太陽の光がまぶしい。本格的な夏はまだ少し先だったが、今日もすでに蒸し暑い。
古めかしいビルや色の落ちた建物のひしめくこの一角は、駅前とそう離れていないのになんだか大災害の復興から取り残されているように見えた。低い建物の間から、近代的なデザインの高いビルがのぞき、そのスカイビジョンに、最近多発しているオートマタン誘拐事件のニュースが流れていた。
ディーは、古臭いウエスタン調の店内にいた。
壁には保安官のバッジやらカウボーイハットが飾られており、棚にはブーツやベルト、ジーンズやカウボーイ風のシャツなどが並べてある。古着や年代物のアイテムもあるようで、こういう物はいつの時代でもマニアがいるらしい。陽気な音楽が会話を遮らない程度の音量で流れていた。
今ディーが何となくのぞいているガラスケースにはモデルガンがあり、銃身の長いリボルバーが主だったが、カラフルな羽や綺麗な石の付いたブレスレットやリングなどのアクセサリーも置いてあった。
「ほい、こいつだったな。できてるよ」
奥から上から下までカウボーイの格好をした男が腕時計を手にやってきた。保安官の星を付けた帽子からもじゃもじゃの金髪が見える。袖にフリンジの付いた革のシャツと、長年着用したため色褪せたジーンズにウエスタンブーツといういでたちは、いかにもこの店の店主らしい。ご大層に腰のホルスターに銃を持ち、ブーツのかかとには拍車まで着けていた。
日に焼けて節くれだった手がディーに時計を見せる。
「悪いな」
ディーは受け取って装備しながら言った。
「ちょっと試していいか?」
「かまわないけど…」
店主が承諾するなり、ヒュッと目の前を何かが飛んで行く。頭上にある梁に銀色の糸が巻き付いていた。糸はディーの腕時計から出ている。
「おぉい!危ないじゃんか!」
「ああ、すまない」
店主が小さめの青い目を大きく見開いて抗議するが、本当に悪いと思っているのかいないのか、ディーは全く表情を変えずに糸の強度を確かめるように何度か軽く引っ張ってから、時計の竜頭のような小さなボタンを押す。また勢いよく糸が時計に収納された。
「どうだい、今度は引っかかる感じはないだろ?」
「ああ、大丈夫そうだ」
もう一度同じように試してから、ディーはうなずいた。
「雨の降ってる時に使って、そのままにしてたりしなかったか?」
店主に言われてディーはちょっと気まずそうに目を上げた。
「ああ…、そういうこともあったかもな」
「やっぱりなあ。そういう時使ったあとは、なるべくメンテに持って来てくれよ。一応防水にはなってるけどさ、こういう装備はデリケートなんだ。いざという時ちゃんと動かないとあんたが困るんだぜ?」
「分かった、次からはそうするよ」
この腕時計はただの時計ではない。手首のちょっとした動きでチタンの鋼糸が発射され、柱などに巻き付けて体を支えたり、何者かを追う過程で使用したり、時には人の首を絞めることもできるという、ディーの仕事には欠かせない『装備品』だった。
そしてこのウエスタンな店主も、ただのアメリカ西部グッズを取り扱う店主ではなく、裏ではこういう変わった装備を造るのを得意とする職人なのだった。見た目はディーより少し年上というくらいだが、腕は確かだ。若い頃から色々コミックやSF映画に出てくる装備品を真似て作ってみたりというのが好きだったらしい。噂では爆弾を作っていた時期もあったという。そういうことが好きな人間は性格が内向的で偏屈のように思うが、彼の場合はウエスタン全開の明るさとフレンドリーさを持ち合わせた人間だった。
「お、いらっしゃい!」
一般の客が入って来たらしく、愛想よく声をかける。普通の客かそうでないかは、見ればすぐ判る。あまりにも油断しきった様子だし、若い男女のカップルだった。裏通りにある店だといっても、昼間はそこまで危険ではないので、それなりに一般人も訪れるのだ。
が、客の方はディーを見て何となく表情を強張らせ、二人静かに店の隅へと商品を見るフリをしながら寄って行く。ディーが出て行ったらもっと楽しげに会話しながら店内を見回るのだろう。
ディーは一般人のこういう反応は何度も見てきたので、またか、と半ばあきらめの心境で思っただけだった。
彼は20代前半の青年で、背が高く褐色の肌をしており、短めの髪は肌とは対照的に銀髪なので、人目を引いた。この銀髪は色を抜いているのではなく、少年時代の出来事がきっかけでなってしまった天然のものだった。意図せず人目を引くのが嫌なら普通の色に染めればいいのだが、それも定期的にやらなければならないのがめんどくさいのでそのままにしている、というのが本当のところだ。
ほりが深く整った顔立ちの目は切れ長で眉が薄く、紫の瞳が印象的で、美形なのは間違いないが、常に表情がクールなのとにじみ出る雰囲気が人を寄せ付けないため、他人には『ちょっと怖い人なのではないか』という印象を与えていた。黒いハイネックのノースリーブのシャツと黒い革パン、実は底に鉄板の入っている黒いブーツという格好も良くないかもしれない、などとは本人は気付いてもいない。彼は好みやファッションでこういう服を着ているのではなく、職業柄の機能性で着ているのだ。
体格は無駄なものがなく引き締まっていた。アスリートのような、使える筋肉美だ。仕事に大いに役立っている格闘センスの結果でもある。彫刻のような肉体美は、背の高さもあってか、目の前に立たれると若干の威圧感があった。
ディーは普段からよくこの店に来る訳ではなかったが、むしろここが普通のウエスタンな店なら決して足を踏み入れることはなかっただろうが、ディーの装備は昔からここに世話になっており、この間の仕事の後、腕時計の調子が悪かったのでここにメンテナンスに出していたのだった。
「料金はいくらだ?」
早く出て行った方が客にとっても店にとってもいいだろう、と察したディーが小さく言った。
ぶっきらぼうな物言いでクールな顔でも、ディーの心が必ずしもそうではないことを少なからず知っている店主は、客の反応に苦笑いしながらも笑顔で応じる。
「そうだな、別にたいしたことじゃなかったから、35でどうだい?」
「それでいい。じゃあ、これで」
ディーは現金を革パンのポケットから出し支払う。
「おう」
ざっと確認してから、店主は金をシャツのポケットにしまった。店としての売り上げはカードでもいいが、裏の仕事の稼ぎは現金でもらって、銀行などには預けず厳重に隠した金庫に保管してあるらしい。その方が口座を調べられても分からないからだ。
「じゃ、また具合悪くなったら来いよ!」
「ああ、そうするよ」
店主の声に立ち去りながら片手を上げるディー。
「今度新しいヤツ開発したら試してくれ」
「あんまり変なのはカンベンしてくれよ?」
ははは、と笑いながら店主が手を振り、ディーは店を出た。こんなふうにディーと気さくに話せるのは、長い付き合いのこの店主と、仕事で彼と関わり、彼の性質を知っている数人の人間と、相棒のソナタだけだろう。
「ん?」
ディーがこれからどうしようかと思いながら歩いているところに、店のあまり綺麗ではないウインドウに張り付くようにして熱心に中を見ている少女が目に入った。
この辺りに子供がいないわけではないが、なぜその子供が目に止まったかと言えば、明らかにこの辺を地元としている子供達とは見た目が違うからだ。この辺りに住んでいる子は服のどこかしらがいつも汚れており、靴も履き古している。よく動いて遊んでいるので、あまり身だしなみに気を使っているふうではない。しかしそのウインドウを見ている少女は十歳くらいだろうか、小綺麗な白のブラウスに明るいオレンジのスカートを着ていた。靴も綺麗で、汚れた道は歩いたことがないとでも言いたげだ。長い髪もていねいに梳かし付けられており、可愛らしい赤いリボンで横の髪を三つ編みにして後ろで結んである。育ちがいいことはひと目で分かった。
だからこそ、そんな女の子が一人で、こんな裏通りの中古オートマタンショップを熱心に見ていることが気になった。まだそれなりに人通りはあるが、見慣れない子供が一人というのは良くない。彼女自身が実際にそうでなかったとしても、小悪党に『そこそこ金を持ってる親がいるだろう』と断定されれば、ひとつ角を曲がったふとした瞬間に誘拐されないとも限らない。ディーはあまり自分から積極的に他人と関わるタイプではなかったが、弱い者や助けを求めている者を放っておけないタイプなのだった。
ゆえに、彼は少女に声をかけた。
「おい、そこのお嬢ちゃん、一人か?」
「!!」
少女ははっと身構えた。すぐさま向きを変え走り出す。
「はあ?おい、ちょっと待てよ!?」
ディーは意表を突かれ一瞬遅れて後を追う。少女は精一杯走ったが、大人の男の脚力に敵うはずはなかった。ディーが肩に触れると、今度は
「キャーッ、誘拐!!」
と叫んだ。
「なッ!?」
ディーは驚いて、慌てて少女の腕をつかみ口を押さえる。
「落ち着け!オレはそんなんじゃない!何もしないから、とにかくおとなしくしてくれ!」
少女はジタバタしながらも、何とかディーの手のすき間から声を出そうとする。
「ウソよ!じゃあ何で声をかけたのよ!?わたしを言葉巧みに丸め込んで誘拐するためでしょ!?」
「オレはお嬢ちゃんがそうならないように声をかけたんだ!あそこらへんは子供が一人で歩くような場所じゃないんだよ!特にお嬢ちゃんみたいな分かりやすい子供はな!解るか?」
「解らないわよ!アンタだって黒づくめで強面で、いかにも悪そうじゃない!」
「悪かったなあ、黒づくめでいかにも悪そうな顔で!悪い奴が誘拐一つでこんなザマだと思うのか!?」
「………」
少女は一応暴れるのは止め、心なしか彼女の言葉で傷ついてるらしいディーを、疑い深く見上げる。ディーは信用させるためにも、とりあえず少女の腕をつかむ力を緩め、口からも手を離してやった。
「オレが本当にお嬢ちゃんを誘拐しようと思ったら、もっと素早く、声なんかかけないでやってる。そう思わないか?」
ゆっくり噛んで含めるように言うと、もっともだと思ったのか、少女は警戒を解いたようだった。
「そうね、本当に悪い奴はそうかもしれないわね。分かったわ、お兄さんを信じてあげる」
ディーはホッとして、完全に彼女から手を離す。
少女は改めて周りの様子をうかがったが、あれだけ大声を出したにもかかわらず、チラチラとこちらを見ている目はいくつかあるものの、誰も彼女を助けようとする者や、警察に連絡しようとした者はいないようだった。そのことが少女をいくらか不安にさせ、たった今ディーが言っていた『子供が一人で歩くような場所じゃない』ことを垣間見たのだった。
「それで?お嬢ちゃんはどうして一人でこんな所にいるんだ?」
少女は少しうつむいて、言おうか言うまいか迷っていたようだったが、やがて
「アナタが知ってるかどうかは分からないけど…、わたしは『アクロード』を探しに来たの」
「―――なんだって?」
「『アクロード』ですって?」
背後から聞こえた声に振り向くと、そこにはソナタが涼しい顔で立っていた。