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<少女とオートマタン>

「あらやだ、もうこんな時間!」

 ちょうど出来上がったハムエッグを皿に移してから、中年の女性は声を上げた。

 彼女の名前はタエという。一目でそれと判る、襟や袖口、エプロンが白くてあとは黒い、

ゆったりとしたメイドドレスを着ており、緩やかな茶色い巻き毛はひとつにまとめて上げ

ている。彼女はこの家のハウスキーパーだった。気さくな性格だが仕事熱心で、この家に

通うようになってからもう10年になる。

「イオニス、できたお皿をテーブルに運んでちょうだい!私はお嬢様を起こしてまいりま

すからね」

「分かりました」

 タエは近くにいた青年に声をかけてから、パタパタと広いキッチンを横切って行った。

 イオニスと呼ばれた青年はタエに言われた通りに、ハムエッグの皿と焼いたフランスパ

ンの乗った皿を持ち、ダイニングのテーブルへと運ぶ。それからグラスにタエが『お嬢様』

と呼んだこの家の娘のために、彼女の好きなイチゴミルクを注いで置いた。少なくとも10

人は掛けられるであろうこのテーブルに、食事の用意がされているのはこのたった一人分

だけだった。

 イオニスは黒髪で、何となく額の真ん中から分かれた前髪から青い『チャクラ』が見え

る。若干細身ではあるが中肉中背で、身長も平均的、東洋系の優しげな顔立ちは際立った

美形という訳ではなかったが、充分好青年に見える外見だ。

 彼は『お嬢様』が産まれた時に、彼女の世話係として購入された侍従用オートマタンだ

った。侍従用としての用途なら分かりやすく執事服でも着ているのが普通だが、彼はそう

ではなく、『お嬢様』の強い要望で緑のチェックのシャツに明るいイエローオーカーのカ

ジュアルパンツといった、ラフな格好をしていた。購入されてから10年経とうとしている

が、オートマタンとしての耐用年数は、もうとっくに超えていた。

 キッチンと繋がっているダイニングは充分広い部屋で、窓も大きく取ってあるのでよく

陽が入ってとても明るい。家具調度もセンスのいい、派手すぎないアンティークやシック

な物でまとめられており、高そうなクリスタルの置物や常に花の生けられた花瓶が壁際に

置いてあった。イオニスが皿を運んだこのテーブルも、ヨーロッパからの輸入物だ。

 こんな家に住みオートマタンやハウスキーパーもいるのだから、彼の所有者(オーナー)は充分裕福

な人物である。なのに、普通は5年も使えば新型に買い替え時のオートマタンのイオニス

がまだ廃棄されないのは、ひとえに『お嬢様』のおかげなのだった。


「おはよう~」

 子供特有の細くて柔らかい髪を背中で揺らし、淡いブルー地にピンクの小さな花を散り

ばめた柄のワンピースを着た少女が、部屋に入って来た。背はイオニスのお腹辺りまでし

かない。

「おはようございます、ジョナ」

 にこりと微笑んでイオニスが挨拶を返す。

 彼女が彼の世話をする『お嬢様』ジョナだった。パッチリとした黒目がちのとび色の目

はいつもイオニスを真っ直ぐに見つめ返し、何かの好奇心に溢れているようだった。

「ほらほら、お嬢様待ってください。髪を結わなくては」

 後からタエがくしを手にやってきて、テーブルに着いたジョナの濃い茶色の髪の毛を梳

き始める。

「いただきまーす」

 いつも両親がいなくても、きちんと躾はされていた。そういう作法や立ち居振る舞いを

教えるのもイオニスの仕事の一環だ。時々ジョナはそういうことを面倒くさがる時もあっ

たが、普通の子供よりは聞き分けが良く、大体はイオニスやタエの言うことを守った。

「今日はお誕生日ですね、ジョナ」

 イオニスがそう言うと、ジョナはパッと顔を輝かせた。

「覚えていてくれたの!?」

「もちろんですよ」

 当然ジョナもオートマタンが簡単に物事を忘れるはずがないと解っているが、改めて言

われると嬉しいものだ。

「今日は寄り道せずに帰って来てくださいね」

 ジョナの顔の横の毛を後ろでまとめて、大きな紫のリボンの付いたバレッタで留めなが

ら、タエが付け加える。

「そうですよ。タエさんがまたケーキを焼いてくれるそうです。それに、旦那様と奥様か

らもプレゼントを預かっています」

 正直、ジョナにとっては両親のプレゼントなどどうでも良かったが、タエの焼いてくれ

るケーキは好きだったので、

「うん、分かったわ!今日は急いで帰って来る!」

 と答えた。タエの作ってくれるものはどれもおいしい。母親の手料理の味はとうに思い

出せなかった。イオニスは侍従用だが、まだ技術が今ほどではない時代の物なので、細か

い作業―――例えば料理や子供の髪を結ぶといった―――には向いていない。イオニス

のできないことをするために、タエは雇われているのだった。

 今日という日の楽しみに胸をふくらませながら、ジョナはパンにかじりつく。

 小学校に入ったばかりの頃はこういう一人の食事が寂しく思うこともあったが、今はも

う慣れてしまった。朝食だけではない。夕食も、学校行事も、両親が顔を出すことは稀だ

った。一日顔を合わせないこともしょっちゅうだ。

 父親は大手家具メーカーの重役で、母親は弁護士をしている。家族仲が悪いという訳で

はない。ただ二人とも忙しいだけだ。それでも週末は休みを取る努力をしてくれて、うま

く休めた時はなるべく家族で過ごすようにしているし、年に一度は必ず家族旅行に出かけ

る。

 ジョナも別に両親が嫌いな訳ではなかった。学校に通う年齢になるまでは両親は一緒に

いてくれたし、今でも愛情は感じる。ただ、両親よりも一緒にいてくれて、誰よりも彼女

のことを考えてくれるのはイオニスだけだと、ジョナは思っていた。

 イオニスはジョナの中で誰よりも家族に近い存在で、今はそれ以上になっていた。

「でも…、よろしいんですか?」

 遠慮がちにタエが声をかける。

「え?なにが?」

 言葉の意味が解らずジョナが聞き返すと、タエは言いにくそうに言った。

「お友達を呼んでパーティとかするものでしょう?本当はお嬢様も…」 

「なんだ、そんなこと」

 きっとタエは気を使っているのだろう。確かに、ジョナも何度か友達のバースデーパー

ティに招待されたことがあるし、そういうことを張り切ってやりたがる子は多い。でもジ

ョナはパーティなどに興味はなかった。

 自分が両親にかまってもらえないのをすねているとでも思われたのだろうと察したジョ

ナは、明るい調子で手を振る。

「いいのよ、別に。わたしはもうそんなことをするような子供じゃないんだから!」

「10歳は充分子供だと思いますよ」

 イオニスが真面目な顔で答えると、ジョナは笑った。

「精神年齢は高いの」

「なるほど。確かにお嬢様は賢いですから」

 イオニス以外の誰かが言ったなら皮肉の利いた冗談かつまらないお世辞だと思うところ

だが、オートマタンの彼はそんな人のご機嫌を取るような冗談やお世辞など言えるはずも

ないので、これは本気で言っている。そういうところも天然キャラのようでおかしくて、

ジョナは好きだった。

 イオニスは嘘をついたり、都合よくその場を取り繕ったりしない。いつも本当のことを

言って接してくれる。


 イオニスさえ傍にいてくれればいい。それがジョナの本心だった。



 次の日、ジョナはイオニスと一緒にショッピングセンターに来ていた。イオニスが両親

からのプレゼントの他に、彼女の好きな物を買ってやるようにとある程度のお金を預かっ

た、と言うのだ。ジョナは特に欲しい物もなかったが、それを口実に彼と出かけられるの

は嬉しかったので、素直にその申し出に従い、さっそく出かけることにしたのだ。

 自宅からそう遠くない繁華街にある、100店舗以上の店が入っている大型ショッピング

センターはいつでも人で賑わっていた。全体は円形の造りで、全20階の天井まで真ん中が

吹き抜けになっており、空気清浄機を兼ねた巨大な機と噴水がある。夜には綺麗にライト

アップされ、来場したお客達の目を楽しませていた。

 ジョナは器用に人の間をすり抜けながらあの店この店と忙しなく出入りしている。何度

も来たことのある場所だったが、こういう所は店舗の入れ代わりが激しい。いつ来ても知

らない店があるので飽きなかった。

 イオニスはもう古い機体のため、定期的にメンテナンスをしてもらってはいるが、どう

しても動作や反応が鈍くなったり、音声が出にくかったり、という症状が出てしまうので、

ジョナを見失わないよう付いて行くだけで精一杯だった。

「あ、あそこの雑貨屋さん、見てみたい!」

「お嬢様、待ってください…!」  

 ジョナはまたするりと人の群れを交わし店に入って行く。イオニスも店に着いたが、店

内は混んでいるようなので中に入らず、外で待っていることにした。中ではウサギの置物

やきらびやかな小物入れを手に取っては戻しているジョナが、時折イオニスがちゃんとい

るのを確認するかのように外をうかがっていた。

 色々店に寄ったが、ジョナはまだ何も買っていない。気に入る物がないのだろうか、な

どと彼女を目で追いながらイオニスが思っていると、

「かわいい子ね」

 と背後から声がした。少々ぎこちなく振り向くと、彼と同じチャクラを付けた、白い髪

の女性型オートマタンが小さな笑みを浮かべて彼を見、それから店内を見た。

「あなたのご主人様?」

 ジョナのことを言っているのだろう。

「ええ、私がお世話しているお嬢様です」

「彼女のことが好き?」

 この女はなぜそんなことを聞くのだろう、とイオニスは思ったが、素直に答えた。

「もちろんです」

 女はその答に満足げに笑うと、小さく

「また会いましょう」

 と言ってくるりと背を向け去って行ってしまった。

「イオニス!」

 焦った感じの声音で呼ばれたイオニスは反射的に振り向いたつもりだったが、数拍遅れ

ていたようだ。見ると、不安な顔をしたジョナがこちらを見ていた。

「大丈夫、イオニス?あの人は何だったの?」

「何でもありませんよ、ジョナ。私は何もされていません。ただあなたとの関係を聞かれ

たので答えただけです」

 落ち着かせるようにゆっくりと話しつつ、彼女の肩に優しく手を置くと、ジョナはとり

あえず納得したようにうなずいた。

「…そう、ならいいけど…」

 しかし、賢いジョナは別の可能性を疑いだした。彼女の素性―――彼女が大手家具メーカ

ー重役の娘だということ―――を知っている何者かが彼女の誘拐を企てるために、一緒にい

るイオニスに探りを入れたのではないかと。彼女の通う学校は上流階級の子息達が多いの

で、『誘拐されそうになった』とか、公表されてはいないが実際に『誘拐され身代金を要

求された』などという話をいくつか聞いたことがあるのだ。

 あまり長居しない方がいいかもしれない。

「彼女もオートマタンでしたから、何かを傷付けるようなことはしないでしょう」

 悪いことを考えている人間など居もしないと信じているかのように、イオニスは言った。

 オートマタンの電脳には、人や物を傷付けたり破壊したりしないということが最優先事

項としてプログラムされていなければならない。それは国際法で義務付けられている、世

界共通の法律だった。が、世界にはそれを無視して闇で戦闘に特化したオートマタンを製

造する者も多くいるのが現状だった。

 ジョナはちょっと呆れ気味にイオニスを見上げる。

「バカね、イオニス。そういう悪いことをするのは人間よ。それに、オートマタンに悪い

ことをさせる方法なんていくらでもあるのよ。その場合も、その『悪いこと』をしている

のは結局人間だけどね。それに…」

 一瞬不安げな顔つきになって言葉を切る。

「あなたをどっかに連れて行っちゃうかもしれないでしょ?」

 さっきイオニスが女と話している光景は、どこかジョナの不安を煽るものだった。ふと

目を放したスキに、イオニスがいなくなってしまっているかのような。

 ジョナが常にその不安を抱えていることをイオニスは知っていた。両親がいなくてもジ

ョナは不平不満を言わないが、イオニスがいないと時折手が付けられないほど機嫌を損ね

ることがある、とタエが言っていた。かんしゃくを起こした彼女をなだめるのも、落ち込

んだり悲しんだりしている彼女をなぐさめたり、喜ばせて彼女を幸せな気分にさせるのも

全てイオニスの役目で、イオニスほど彼女の心を動かせるものはなかった。

 しかし、イオニスは彼女があまり自分に依存してはいけないと考え、少したしなめるよ

うに、

「ジョナ、あなたはもう大人なんでしょう?私がいなくても何でもできるようにならなく

ては」

 その意見に、ジョナは目を見開いてそれに従うつもりがないことを顕にした。

「そういうことじゃないわ!わたしにはイオニスが必要なの!イオニスがいないと生きて

いけない!」

 イオニスは、彼女の自分に対するこういう感情を良くないものだと感じていた。人とし

て不健全なものだと。だけど自分はそれをきっぱりと突き放すことができない。

 イオニスのそのただでさえ表情が出にくい顔は、まるで今のジョナに対して感情を表す

のが罪だとでもいうかのように、悲しげに青い目を伏せる。

「…私はいずれ廃棄される身です。そんな私に執着してはいけません」

「!?まさか、お父様にもう処分するとか言われたの!?」

 すごい勢いでジョナがイオニスに詰め寄るので、イオニスは面食らった。表情にはほと

んど出なかったが。

「い、いいえ、そういうことではありませんが…、実際私は製造されてから10年経ってい

ます。もう廃棄するのが当然でしょう」

「いや!絶対そんなことさせない!あなたはずっとわたしと一緒にいるの!今度そんなこ

と言ったら怒るわよ!いいわね!?」

 今でも充分怒っているが、こうなったジョナはもう何を言っても無駄だろう。イオニス

は「はい」と答えるしかなかった。



 そして数日後、イオニスは姿を消した。




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