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リビングに戻ると千尋はおもむろにタバコをくわえた。
手に嫌な汗をかいている。
…いや、手だけじゃない全身にその汗を感じる。
カチっカチとライターに火をつけようとするがなかなかつかない。
この汗のせいだろうか…
チャイルドロックでやたら着火しにくくなったライターのせいだろうか。
ああっもういらつく!!!
少しでも落ち着こうとタバコを吸いにきたのに・・
ライターまで思うようになりゃしない。
マッチだな。マッチ。
リビングに置いてある籐でできたダークブラウンの引きだし
そこに細かい物をなんでも突っ込む千尋は
引きだしからスナックの名前が書いてあるマッチを取り出した
力の入れ過ぎでマッチを数本無駄にはしたが
やっとタバコに火を着けることができた。
ふうううううううううううううう
愛用しているタールの低くないメンソールのたばこを
思いっきり肺に吸い込み 吐き出す。
体に悪いしお金はかかるし 部屋はヤニで茶色くなるし 人には嫌がられるし
まったくろくなものではない。百害あって一利なし とは良く言ったもんだと思う。
しかし、悲しいかな…わかっていても辞められないのが喫煙者…
千尋は煙を吐き出しながら 窓の外を何気なく眺めた。
…あれ?違和感を感じない。
玄関を開けたときは多大なる違和感を感じた(当たり前だ)のに
窓の向こうはいつもと同じ景色。
9階のこの部屋からの景色は気に入ってる。
天気の良い日は富士山が見え 寝室の窓からは小さいが都庁と東京タワーが見える。
夜景も朝焼けもキレイで 季節になればとある花火大会なども見えた。
うん。窓の外はいつもと一緒と思いながら窓を開けベランダに出る。
あ…ダメ… また違和感…
風が・・・ない・・・だと?
普段から突風とまではいかないが 風のない時などなかった。
匂いも外の匂いを感じられない 感じられるのは温かい日差しだけ
午前中に干した洗濯物も風になびいている様子はなかった。
マンション脇の道路では普通に車が流れているし人も動いてる。
信号だって普通のタイミングで変わる
空を見れば 雲も流れていくし 鳥も飛んでるのがわかる。
普通の ごく普通の日常がそこにある。
なのに…なんでだ…
自分だけそこから隔離されたような感覚。
ベランダがビニールハウスにでもされたような・・・
日差しだけ感じて 他のことは感じることができない。
風も匂いもなければ・・・音すら聞こえなかった…
無音、気がついた時はそれが恐くなった。
普段の生活ではTVをつけない時の方が多いし
音のない空間は嫌いではない。
でも…人の生活音 車の音 風の音 すべてがまったく聞こえない本当の無音。
さっきの嫌な汗がまた吹きあげてきた気がし
両腕を自分で抱え 自分で自分を抱きしめる。
なんか・・すごく恐い。
なにかが起こってる気がする。
なに・・なんなの!?
TV・・そうだ TV着けよう。
無音とか気にならなくなる。
誰かの笑い声でもニュースを伝える声でも作られた音でかまわない
急い電源を入れたTVには「受信できません」の文字が浮かぶだけだった。
呆然としたその瞬間
「ドスンッ」と大きな音が玄関の方から聞こえ
千尋は 心臓が止まるんじゃないか?と思うほど驚いた。
玄関にゆっくり歩み寄る。
この外では何か良くないことが起こっている・・と
なんの能力も持たない頭ですら危険を察して警告してくる。
でも・・・ 行かなくちゃ・・・・
逝きたくはないけど 行かなくちゃ・・・
息を殺し そおおおおおっと玄関のドアスコープを覘いた。
目があった
文字どうりである。
目があったのである。
誰かがこちらを覘いていた。
千尋は またもや心臓が止まるほど驚いた。(本日2度目)