虎の豹変
私の勘なんて、当てにならなかった。
そういうことなんだと思う。
その日、いつも通り説得に行ったのに、遊佐さんは笑って喜んでくれなかった。
来てほしくなかったみたいな顔、昨日までは普通に接してくれてたのに。何で?
「俺に関わるのは止めとけ」
本当に何で? 私、何かした?
「何で、急にそんなこと言うんですか?」
「飽きたから」
何、それ……?
飽きたって何?
「煙草、やめたって言ったじゃないですか」
傍らに煙草の箱、ライター、それから吸い殻。
「そう簡単にやめられるかよ」
遊佐さんからは紛れもない煙草の臭い。
煙草やめたからお金浮いたって言ってたのに。
「遊佐さん、変です」
「これが俺だ。俺はどうしようもねぇワルだからな。おままごとに付き合うのも終わりだ」
「違う、遊佐さんはそういう人じゃない!」
違う、違う、違う!
遊佐さんと話すようになって数日だけど、遊佐さんは怖い人じゃない。
そりゃあ見た目は怖いけど、でも、優しいところもあると思う。
「あんたに何がわかる!?」
「わかりません!でも、授業受けて下さい!」
「るせぇ」
低い声、鋭い視線、怖い遊佐さんに体が震える。
いつもの遊佐さんじゃない。
「説得してみろって言ったの遊佐さんじゃないですか!」
「ウザくなった。そんだけだ」
じわり、視界が滲む。
何で? 何でそんなこと言うの?
だって、私、何でも遊佐さんの言う通りにしたよ?
「遊佐、さん……?」
「犯されてぇのか?」
「え……?」
何を言われたのか、わからなかった。
腕を掴まれて、気付いたら煙草の臭いを思いっきり吸い込んでた。
遊佐さんの胸に倒れ込んでる。
「それとも、授業に出たらヤらせてくれんのか?」
「なっ……」
パッと顔を上げて、遊佐さんのアップ。超アップ。
どんどん、近付いてきて、何が起きたかわからない。
まさか、キス、してる……?
息ができなくて、遊佐さんの胸を叩くけど、ビクともしない。
酸素を求める唇を割り開いて入り込んできた舌は好き勝手に動いて、苦い。
ファーストキスは煙草の味?
ようやく離れて、私は呼吸を整えるのに必死で、滲む視界の中で遊佐さんが唇を舐めて笑う。
「一発ヤらせてくれたら一回くらい出てやってもいいぜ?」
カッと頭に血が上った気がして、頬に添えられた手を払って、私は思いっきり遊佐さんの顔を殴っていた。
「ってぇな……っ!」
「あなたは最低です! もう遊佐さんなんか知りません!!」
遊佐さんの唇が切れて血が出てるとか、拳が痛むとか、そんなのどうでも良かった。
私は屋上から逃げるように駆けだした。
屋上から早く遠ざかりたくて、廊下を走っちゃいけないルールなんて無視してた。
そうしたら、誰かにぶつかりそうになって、急ブレーキ。
「おっと」
「すみません!」
「……楓?」
「天真君!」
凄い偶然。天真君だった。
知らない男子っていうか、怖そうな人じゃなくて良かった。
安心したら、ボロボロ涙が出て、天真君が慌てたのがわかったけど、止められなかった。
「お前……ちょっと、こっちこい」
天真君は私の腕を引いて、歩き出すから、私はついていくしかなかった。
暫く歩いて、天真君が扉を開けて、中に入って、促されるまま椅子に座った。
「楓ちゃん?」
その声を聞いて、やっとここがどこかわかった。
生徒会室だ。いつも南城先輩が篭城してるって天真君が言ってたっけ。
「天真、確認しておくけれど、君が楓ちゃんを泣かせたわけじゃないよね? まさか、そんなことないよね?」
違う、って否定しなきゃって思うのに、漏れるのは嗚咽ばっかりで、泣きやまなきゃって思うほどに苦しい。
拭おうとした手はそっと掴まれて、膝の上に下ろされる。
「とりあえず、無理に拭ったりしたらダメだよ。好きなだけ泣くんだ。でも、すぐに冷やさないとね、待ってて」
南城先輩が動く気配がして、それからまた近くにきたと思ったらひんやりするものが目に押し宛てられた。
何だかわからなくて、それを掴んで見てみる。タオルに包まれた保冷剤みたい。
そうしたらまた目に宛てるように促されて従う。
頬に落ちた涙を多分ティッシュで吸い取るようにしてるのも南城先輩なんだと思う。
キングと呼ばれるこの人は何から何まで完璧だ。殿下って呼ぶ人までいる。
何で、保冷剤がすぐ出てくるのかなんて絶対聞いちゃいけない。生徒会室に冷蔵庫があることにツッコミを入れちゃあいけない。電子レンジや電気ポットがあることにも。
「一応、事情を知らない身として席を外すけど、弱みにつけ込んで不埒な真似をするようなら――わかるね?」
「俺を何だと思ってんだ。お前と一緒の方が危ねぇだろ。空気読めたんなら、さっさと出てけ」
天真君は不機嫌だった。迷惑かけちゃったな……
「それで? どうしたんだ?」
南城先輩が出ていった音がして、天真君は問いかけてくる。
その声は穏やかだ。いつだって、そう。私が頼り続けてきた優しいお兄ちゃんの声。
「天真君、何かあっちゃったよ……遊佐さんに嫌われちゃった。飽きたって、うざいって」
遊佐さんに言われたことが全部脳内でリピートされて苦しくなる。
「武瑠が……?」
「それで、私、殴っちゃって……」
まさか、人を殴るなんて思わなかった。
今でも右手は震えてる。私が遊佐さんを……
「あの瀬山が買収されたからには理由があるんだろうけどよ……」
私も単に優香が一本二千円のロールケーキ如きに目が眩んだとは思えない。
親友とか言いながら、よくわかってない部分も多くて、天真君はちょっと苦手だったりするらしいけど。
「遊佐さんってどうして留年したの?」
この前、教えてもらえなかったことを聞いてみる。
今なら、そう思ったから。
「あいつ、ある奴を助けようとして暴力振るって、それが見付かって、あいつだけ停学になって、それから来にくくなったみたいだな」
「そう、だったんだ……」
遊佐さんはやっぱり優しい人だったんだって思うと安心した。
噂は悪いところだけはやたら広まるから。
「俺も説得は試みたんだが、ダメだった。あれ以来、避けられるんだ。あいつ、俺のこと恨んでるかな……助けてやりたかったのに、間に合わなかったから」
「遊佐さんは恨んでないと思うよ」
遊佐さんからそういう感情を感じ取ったことはない。
誰かを憎んでるとかそういうんじゃなくて、いつも屋上にいた遊佐さんは単純に自分の居場所がなくなったと思っていたんじゃないかな。
多分、もう作れないって思って、それでも、学校に来てるのは未練があるから?
「あ、でも、学校に毎日来てるのは何でだろう……リストラされたサラリーマンみたいな感じ?」
「いや、あいつは一人暮らしだから、何か目的あるんだと思ってたけど……」
天真君にもわからないみたいだ。
そして、その理由はもう一生わからないのかもしれない。
私は遊佐さんに嫌われたから。
「今日の遊佐さん、何か変だったの」
本当に昨日までは何も変わらなかった。
飽きたとかうざいとか言われたけど、でも、私には遊佐さんが今まで嫌々ごっこに付き合ってくれていたようには思えない。
そう思いたくないだけなのかもしれないけれど。
でも、日に日に自然な遊佐さんが見れた気がしていた。
「とりあえず、こっちでも探ってみる。だから、お前はしばらく武瑠と距離おけよ。多分、瀬山もそう言うから」
「うん、わかった……」
天真君が言うなら、そうするべきなんだと思う。
その上、優香が同じことを言ったら、従わないと大変なことになる気がする。
「……ごめんね、天真君」
「迷惑かけたと思ってるなら、気にすんな。俺が何もできなかったせいで、なんでかお前に回ってきたんだ」
「でも、南城先輩にも……」
「あいつは、いいんだよ。お前の世話焼くの好きみたいだし? 今度会ったら、ありがとう、って言っておけ」
南城先輩、前はよく会うとお菓子くれたな……それが凄く高級だったり、量が多かったりして、天真君が「楓を豚にしたいのか」って言って落ち着いたんだっけ。
お礼、ちゃんと言わなきゃ。
「もう少し休んでくか?」
「ううん、もう大丈夫」
いつまでも泣いてられないから。
いつまでも甘えてられないから。




