屋上は虎の住み処
本日、快晴。
窓の向こうは憎らしいぐらいの晴天。
雲のない空、でも、私の心は曇天。
ああ、憎い。何が憎いのかわからないくらいに。
ゆっくりと上がる階段。
このまま辿り着かなければいい。
一段昇るごとに思ってる。
最後の一段、隔てる扉、その向こう……
鍵がかかっていればいい。そう思って、ノブを回せば、開いている。
次に思うことは、誰もいなければいい、で――
扉を開けて、初めて踏み込んだ屋上という立ち入り禁止領域。
飛び込んで来る蒼穹、でも、私の頭上には積乱雲があるみたい。
願いも虚しく、人がいる匂いがした。立ち上る紫煙、嫌いな臭い。
でも、ここまで来たら引き下がれなくて。
さっきから同じ映像が頭の中でリピートしてるから。
だから、もう私はその人の前に立って、ここに来る間に何度も考えた台詞を言うしかなかった。
そこにいたのは金髪、脱色しきった白っぽい金髪。
座り込んでつまらなそうに煙草を吸っている。
正面に立った私を見上げる目は、獣のようにぎらついて見えた。
けれど、それはすぐに驚いたように見開かれた。
「お前、何で……」
乱暴にイヤホンを外して、心底、驚いたようにその声は吐き出された。煙草がぽろりと落ちそうになるくらい。
何をそんなに驚くことがあるのかわからない。
ここは彼の縄張り、そう聞いている。だから、他の人間は踏み込まないって。
私は踏み込んでしまったけど、それはそんなに驚くこと?
「二年A組、遊佐武瑠さんですよね?」
特徴は一致してるけど、念の為に確認する。
私は間違いなく遂行しなければならないから。
「あー、そうだけど?」
ニコニコと遊佐さんは笑う。どこか楽しそうに、嬉しそうに。
「私は二年F組、玉城楓です」
まずは礼儀として名乗ったけど、遊佐さんは声を上げて笑った。
「堅苦しーのはいーよ、楓ちゃん」
「はぁ……」
いや、何で、いきなり名前で呼ばれているのか。
遊佐さんってそういう人?
想像と、ちょっと雰囲気が違う。
でも、それでも私はやらなきゃ。やるしか……!
「それでは、遊佐さん」
「だから、堅いって。武瑠でいーって」
本題に入ろうとしたら、遊佐さんが文句を言ってきた。
いや、だから、こういう人だっけ?
ダメ、惑わされるな、流されるな。私はやれる。
「単刀直入に言います」
「うん、いーよ」
息を吸い込んで、はっきりと聞こえるように言えば、遊佐さんは笑顔で頷いて……
何か頭の中の遊佐武瑠像と激しく食い違ってる。物凄く感じが良い。
でも、遊佐さんは不意に考える仕草を見せた。
「いや、やっぱり、待って」
「はい?」
何だろう?
心の準備が必要なのか。
「こういうのは俺の方から言った方がいーよな?」
「いえ、あの」
いや、どういうことなんでしょう?
私の言いたいことはわかってて、先手を打つつもりなのか。
「来いよ」
一瞬、言われた意味がわからなかった。
「見上げるより、見下ろす方が好きなんだ」
遊佐さんは笑う。
遊佐さんは座っていて、私は少し離れて、正面に立っていて……
「同じ高さで話さないのは駄目ですね。失礼しました」
「もっと近くに来いって」
誠意の問題だと思って、その場に座ったけど、遊佐さんは更に要求してくる。
いや、これ以上はちょっと近すぎないですか?
煙草の臭いがちょっときつい。
「照れんじゃねーよ。ここまで来れたじゃねーか」
照れてません。照れてないんですけど?
もしかして、遊佐さん、何か勘違いしてます?
いや、まさか、何を……?
「ああ、やっぱり、俺から行く方がいーか」
だから、さっきから何なんですか!
この際、一致しない遊佐武瑠像はどうだっていい。
私の目的はただ一つ、その達成の為には決して流されないこと!
「授業に出て下さい!」
私の目的、それは遊佐武瑠に授業を受けさせること。
ただ、それだけ。
たった、それだけ。
「は?」
「お願いですから、もう授業をサボらないって誓って下さい!」
遊佐さんは変な顔したけど、無視。
この人はサボり魔っていうか、学校には毎日来てるけど、全然授業に出てないらしい。理由は不明。
「……あぁ、一緒に卒業できねーとだせーしな」
少し考える素振りを見せた後、遊佐さんは言った。
一緒に卒業……誰か二年に友達でもいるのか。だって、元同級生とはもう一緒に卒業不可能だし。
ちなみにこの遊佐さんは留年生。理由は病気じゃないってことくらいしか知らない。
「授業に出てくれますね?」
「やっぱ出る気しねーや。クラスちげーし」
簡単に済んだと安堵したのも束の間、打ち砕かれた。
さっきのって、考え直したって答えじゃなかったの?
「授業受けて下さい!」
やっぱり、私って適任じゃない。
そう思うけど、こうなったら強引に押し通すしかない。
「どうせ、誰も出てほしくねーだろ。俺は厄介もんだ」
遊佐さんは言うけど、そんなの私にはわからない。
「出てほしいから、こうして私が来ているんです!」
学校に来ているのに、授業には出ないなんて絶対、変!
一日の大半をここで過ごすのも絶対、変!
「何でそんなに必死なんだ?」
遊佐さんが不思議そうに言う。
そう私は必死、死ぬ気で遊佐さんに挑んでいるつもり。
「遊佐さんが授業に出てくれないと私はあの忌々しいロールケーキ代をお財布からグッバイさせなきゃいけないんです。切実なんです!」
そう、ただでさえ少ない私のお小遣いが今、飛び立とうとしているわけで、それを引き留める為には遊佐さんに授業に出てもらうしかないわけで。
「いや、話見えなくなったんだけどよ」
遊佐さんが変な顔をする。
そうでしょうとも。私だってよくわからないんだから。
「私は遊佐さんのクラスの委員長と副委員長に、遊佐さんを授業に出すっていう約束をさせられているんです。半ば脅しです」
遊佐さんと私のクラスは端と端、私は何委員でもないのに、要するに誰もやりたがらない雑用をやらされている。脅されて泣く泣く。
「ロールケーキって何だよ?」
「はなから私が動かないと踏んだ清い交際と見せかけて実は超極悪な優等生カップルが私の親友に賄賂を送ったんです。一本二千円のロールケーキを丸ごと」
思い出すだけで腹が立つ、本当に。
そんな一本二千円のロールケーキを買うお金があるなら、もっと形のあるものを貢いでくればいいのに。
「彼女は私の口に無理矢理一口押し込むと後は一本丸呑みって感じで、あっという間に食べてしまったんです」
あの早業はきっと証拠隠滅だったんだと思う。
当事者の記憶には、もう二度と離れないくらいガッツリ焼き付いたけど。
「食い意地張ったダチを持つと苦労するもんだな」
遊佐さんは他人事だからって笑っているけれど、思い出すだけで恐ろしい。
笑いごとじゃない。校内で優等生のフリした悪魔のカップルが罪のない女子の親友を買収し、親友もそれに乗ったわけで……そりゃあ、もうノリノリで。
ただごとじゃない。
「とにかく、私は大嫌いなロールケーキを食べさせられた上に全く縁のないクラス委員の手伝いをさせられるんです」
女の子がスイーツなら何でも好きだと思ったら大間違い。全く嫌いってわけじゃないけど、スポンジと生クリームが嫌。
適任というか、それをやるべき人は他にいるはずなのに、私が何でこんな目に遭わなければならないのか。
「だから、授業に出て下さい!」
もう一度、勇気を振り絞って、誠意を込めてお願いする。
「そーゆーことなら断る」
「そんな……」
あっさり、撃沈。
しっかり断られてしまった。
「俺を恨むなよ」
遊佐さんは言うけど、そんなこと微塵も考えてなかった。
「わかってます。私が恨んでるのはあの三人です。でも、絶対に勝てないのはわかってるんです」
「ダチだから?」
友達だから許せるということは今回には当てはまらない。多分、私の心はそんなに広くない。
「友達は優香だけです。委員長達なんて今まで話したこともなかったんです」
そう、関与してる友達は一人だけ。親友の優香だけ。
委員長も副委員長も全然知らなかった人。
「なら、何で俺と全く接点のないお前が来るんだ?」
ご尤もな質問でしょう。
私も真っ先に疑問に思ったし。
「聞きます? 長い話になりますけど」
それは、短いようで長い話。少なくとも、一言じゃ無理。
「暇潰しにはなんだろ」
湯佐さんは言うけど、本当に話していいのかな?
私的にって言うよりは遊佐さん的に。
「不愉快な話になると思いますけど……」
どうしても、話をする上で端折れない部分に多いに問題がある。
「あぁ……構わねぇよ。今更、何言われてもどうってことねぇし」
遊佐さんは悟ったみたいだったけど、すぐに私を見た。
その目に促されるように、私は事情を説明するしかなかった。
そうそれは遡ること、数時間前……




