可愛いは有罪
再掲です。
朗らかに笑い、照れたように頬を掻く。
何もないところでつまづいて、隣の友人に支えられた。胸元を抑え、礼を言いながら上目に見上げるも、どうやら揶揄われたのだろう。すぐに頬を膨らませてぷりぷりと怒ったかと思えば、また笑う。
「ふむ」
アレが世にいう、可愛らしさとやらだろう。
忙しなく動く表情と、少し幼さを感じる仕草。
この二点は重要なポイントだなと脳内のメモに赤丸を付ける。
だが似たような事をしていても、やる人間によって抱く感想が随分と変わる事に気が付いてしまった。難易度が高すぎる。
今見ていた長身で黒髪の彼は、いちいち仕草が可愛らしいと感じたが。
反面、少し離れた場所で男子生徒に囲まれている小柄な少年に至っては、同じような動作をしていても正直全く何も感じない。というより、今のところ黒髪の彼以外に可愛いと思う人間がいない。
一ヵ月に渡り昼休みの食堂と中庭の様子を観察し続けて、リオハルトは一つの結論に辿り着いた。
これは主観の問題かもしれない、と。
「リオせんぱぁい。こんな所で何してるんですかぁ?」
「君か」
つい先程眺めていたふわふわとした頭の少年が、やたらと親しげに声を掛けて来た。リオハルトは彼の名前を知らないのだが、愛称呼びをする辺り、もしかしたら何度か言葉を交わした事があるのかもしれない。
手の甲が隠れる袖口はそのままに、胸元で指を組んで見上げて来る。
上着だけサイズが合っていないようだ。思慮深いご両親が成長を期待した結果だろう。新入生は大体そうだ。
「君、あそこにいる、黒髪の彼の名前と所属がわかるか?」
「えぇ?誰ですかぁ……って、リオ先輩知らないの?」
「あぁ。知っていたら教えて欲しい」
指先を人に向けるのは失礼だが、この際致し方あるまい。
どんどんと学舎の方へ向かってしまう彼の横顔に、何やら落ち着かない気持ちになっていく。
隣の少年はあまり興味が無さそうに唇を開いた。
「二年生ですぅ。騎士科のぉ、ジークっていう平民ですねぇ。あの人がどうかしましたか……って、先輩?リオせんぱーい?」
騎士科の二年、ジーク。
平民かどうかは割とどうでも良かったが、交渉するに辺り貴重な情報だ。貴族と平民とでは金銭面を筆頭に、何かと揉める事が多いと聞いている。
大至急脳内メモに追記し、何度か声に出さずに反復した。
「助かった。感謝する」
「えっ……」
礼のついでに少年の髪についた花びらを取ってやり、何となく目に入った華奢な指先に摘ませた。全体的に色素の薄いこの少年には、赤い花びらがよく似合う。
ふむ、と満足したところで、そろそろ昼休みが終わる事に気が付き。
君も教室に戻るといいと告げて、少し軽い気がする足を学舎へ向けた。
この学園で今最も高貴な身分なのは誰だと聞かれたら、騎士科の二年に在籍している第二王子だと答えるだろう。
では、最も美しいのは誰か?
誰しもが口を揃えて答える名は一つ。
魔法科三年生の、リオハルト・ユーグリウス公爵子息。
絹糸のような銀色の髪はユーグリウス公爵家直系だけの色味で、魔力の高さを表す神秘的な紫色をした、切れ長の瞳を合わせ持つただ一人の存在。
更には、紅を差したように艶やかな小さな唇に、すっと通った鼻筋。滑らかで日焼け知らずの珠の肌。
美姫と持て囃される他国の姫君達にも勝る、まさに完成された美貌。
それでいて女性的では無く、すらりとした肢体は鍛えられ無駄なく引き締まっている。貴公子という言葉が彼程相応しい者はいないだろう。
その美しさは何も容姿だけに限ったものでは無い。
公爵家の子息らしく所作も実に洗練されており、ただ本の頁を捲るだけでも一枚の絵画のよう。
その上貴族にありがちな身分が下の相手を見下す事は無く、積極的に人と行動するタイプでも無いが、誰に対しても一切ぶれない対応は分け隔てなど存在しない。貴族社会では時にはあった方が良い場合ですら無い。
おまけに魔力保有量は国内随一で、騎士団長が直々に勧誘しに行く程の剣の腕ときた。
文官や役人を養成する行政科からも熱烈なオファーがあり、リオハルトの入学当時は派閥争いが非常に激化したことは記憶に新しい。
───出来ないことなど無いのではないか。
誰しもがそう思っていたが、彼の父や兄からの評価は今ひとつ。
皆が揃って首を傾げ、しかし実際のリオハルトを見てみると、成る程と納得せざるを得ない。
神はリオハルトに三物も四物も与えたが、社会性を尊ぶ人間に最も大切な物を与え忘れたのだ。
そう。
コミュニケーション能力である。
リオハルトは顔の良さを全く活かしていない。
彼の表情筋は形状記憶かと思わせる程変わらず、また真面目さが祟った口調は堅苦しかった。
簡単に言えば、かわいげが露ほどにも無い。
子どもの頃からそうだった為に、公爵家の次男だというのに未だに婚約者もおらず。
皆が皆、リオハルトは鑑賞用だと真顔で語るものだから、父であるユーグリウス公爵も頭を抱えるしかない。
幸い彼は多才であり、いずれは父公爵の保有するダイナー伯爵籍を引き継ぐ予定である。結婚相手が見つからないだけならば、将来困ることは後継くらいだろうが。
そんな風に言われたい放題のリオハルトだが、その日は騎士科の学舎を歩いていた。
すれ違う生徒や教師が道を開け、時折騎士科特有の大きな挨拶を受けては律儀に足を止めて返事をする。そんな歩みであるから中々目的の場所へ辿り着かずにいたのだが、進む先からこちらに向かって来る黒髪を見つけて、微かに口端を引き上げた。
いつも通り、和気藹々と談笑していたらしい彼らは、やたらと壁際に寄った生徒達の異様な緊張感に会話を切り上げる。それだけでなく、廊下のど真ん中に佇むリオハルトを見るなり目を丸くし、黒髪の彼ごと壁際に寄ろうとするものだから少し慌てた。
「騎士科二年生の、ジーク殿」
張らずとも通る声で呼びかけて、足先を向ける。
戸惑う友人方がバシバシと肩を叩いたり背を叩いたりしているのを煩げに払い、一歩前に出たジークはこてんと首を傾けた。
髪と同じく漆黒の瞳には不審が滲んでいるというのに、なんと器用な愛らしさ。
「あの、俺……私に、何か……?」
どこかそわそわと、不安げな色を滲ませる声がまた良い。低すぎず高すぎず、是非耳元で名を呼んで欲しい。戸惑いを演出する為にか、自称をわざわざ変えたあたりもあざとい。
そんなことを忙しなく思考しながらひたすら見上げること数分。
落ちる沈黙。
固唾を呑むギャラリー達。
待ち疲れたのか、ジークの唇が僅かに動く。
───めんどくせぇな。
そこでようやくリオハルトは我に返った。彼からすれば全くの初対面である。不躾に眺めすぎてしまったと、数ミリ下がった眉に、ほんのりと淡く色付いた目尻。
ジークの側にいた友人から、ゴクリと喉が鳴った。
「……用なら向こうで聞きますから」
「あ、」
舌打ちとともに手首を引かれて、思わずよろける。リオハルトより頭一つ分背の高いジークの肩にぽふんと鼻先をぶつけ、その瞬間香った爽やかな匂いに思考が停止した。
「ユーグリウス殿、こっち」
ふらふらするリオハルトは、ジークに腰を支えられながらどうにか足を動かしたのだった。
ジークに促され辿り着いたのは、人気が全く無い学舎の西側の庭園。
そこで手を離され向かい合う。
壁にゆったりと背を預けて話し出すのを待つ様は、一か月観察し続けた可愛らしさの欠片も無かった。
警戒と、不審。
それを全面に出して威嚇している。
リオハルトは小さく息を呑み、屋敷の庭で良く見かける黒猫を思い浮かべた。そっくりだ。
「で、用件は何です?」
「は」
まさかの共通点に戦慄している場合では無い。これではただの不審者である。
再び我に返ると、ようやく真っ直ぐに目を合わせた。先程からどうにも思考が散らばってしまっていけない。
「済まない。私は魔法科三年のリオハルト・ユーグリウスという」
「さすがに知ってますが」
「ッ、そ、そうか。今日は、その、ジーク殿に折り入って頼みたい事があってな。失礼を承知で声を掛けさせて頂いた」
まさかの認知である。
予想外過ぎる。
一瞬詰まったものの何とかそこまで言えた。ここは酸素が薄いのでは無いだろうか。非常に息苦しい。
「頼み、ねぇ?」
「ッ!ッ!」
不信感丸出しの復唱に、耐え切れなくなって両手でガバっと顔を覆った。
この男はいちいち可愛らしく無いと生きていけないのか。それともリオハルトへの精神攻撃か。強すぎる。
「は?何?」
リオハルトの奇行に明らかに引いたジークに、そろりと指間から顔を覗いた。引き攣った口許が可愛い。
ごほん。
わざとらしく咳払いをすると、今の行動など無かったかのように再びジークを見る。一歩後ずさっている。やはり可愛い。
「すまない、取り乱した。実は、君にかわいげというものを伝授して欲しいんだが、どうだろうか?」
「……………なんて?」
「その溢れ出るかわいげを伝授して欲しい」
何言ってんだコイツ。
そんな目である。
感情があまりにも豊かで、対峙しているだけで足先がむず痒い。今すぐこの場から立ち去りたいような、ずっとこうしていたいような不思議な感覚に襲われる。
だが逃げる訳にはいかないのだ。リオハルトはキリリと表情を引き締めた。
「勿論謝礼は支払うし、不安だろうから契約書も作成しよう。出来るだけ希望に添いたいが」
「いやあの、ユーグリウス殿」
「可能ならばリオハルトと」
「……リオハルト殿、あの」
「呼び捨てか、先輩を希望する」
「……なんだコイツクソめんどくせぇ……」
希望を伝えすぎただろうか。
ジークは乱暴な手つきで髪を掻きむしり、その場にしゃがみ込んでしまった。
膝を大きく開いて何やら唸っている彼に、交渉相手を見下ろすのは失礼だなと続いてしゃがみ込む。同じようには出来ずに、両膝を抱えて顔を覗き込んだ。
途端に物凄い速度でジークが上半身を後ろに引く。
咄嗟に片手を着いて体重を支える反射神経は、さすが騎士科である。
だがしかし、思わずリオハルトも手を伸ばしてしまったのだ。片膝を着き、逞しい背中と腹部に両手を回して支える。
「大丈夫か?」
「なん……っ、近い!」
まさか怪我などしていないかと問い掛ければ、見る間に赤くなったジークに振り払われてしまった。完全に尻を着いた彼が、口元に手の甲を押し当て何やら呻く。
「そういう可愛らしい仕草を教えて欲しいんだ。勿論君のようにはいかないだろうが、多少は人間関係に活かせるだろう?」
「……ほんと、なに言ってんのアンタ……」
遂にはぐったりと顔を伏せてしまう。
疲れ切ったような姿に、胸がムズムズと落ち着かない。
日差しを受けて煌めく黒髪がとても綺麗で、リオハルトは思わず指先を伸ばした。
「綺麗だな」
髪を掬い、指間に通して。
小さく跳ねた肩に、リオハルトの頬はごく自然に緩んでいた。
あのリオハルト・ユーグリウスが熱烈にとある平民を口説いているという噂は、電光石火の如く学園を駆け抜けた。
オリハルコンで出来ているとか、呪いを受けているとか好き勝手言われる表情筋が、なんとその平民の前では仕事をするらしい。
見かけた者は夢か現かと頻りに目を擦り、時にはあまりに神々しい微笑みに当てられて気絶者まで出る始末。
各所から入るクレームは日を追うごとに雪だるま式に増え、公爵は文字通り頭を抱えた。
「何故おまえはそうなんだ……」
「そう、と仰られましても」
学園から戻るなり呼び出され、執事が淹れた紅茶をゆったりと楽しむ。
ローテーブルを挟んで対面に座った公爵は深く溜息を漏らすばかりで、リオハルトの五つ離れた兄、アルベルトが眉を下げた。
「リオ、その、君が最近よく一緒にいるという青年は、平民だよね?」
「えぇ」
「言い方はあまり好ましくないと思うけれど、君はこの国の筆頭公爵家の息子なんだよ?」
常よりゆったりとした話し方に、兄が相当に気を遣っているのはわかる。わかるが、リオハルトは納得し兼ねた。
音も立てずにカップを置き、真っ直ぐに兄を見る。
お言葉ですが、と前置きしてから、すうと息を吸い込んで。
「平民だという現在学生であり未成年である本人の努力ではどうしようも無い部分を問題視されているようですが、ジーク殿は入学以来現在に至るまで騎士科の次席を維持し続けておりますし、またその人柄の素晴らしさはそれこそ貴族平民問わない幅広い交友関係から窺えるでしょう。因みに首席は剣だけが取り柄の第二王子殿下です。私の卒業まで後半年。学園在籍中の人脈作りの一環として、将来有望な騎士見習いと交流を深める事は重要かと愚考致しますが何か問題があるでしょうか?」
「そういうところだぞ」
兄は詰まり、父は呻いた。
暫し沈黙が落ちる。
つまり、二人は何を言いたいのか。
習ったばかりの仕草、眉を下げ小首を傾げるをやってみた。
「っあー……コレかー……」
するとどうだろう。
兄まで頭を抱えてしまった。
効果は覿面だ。
さすが可愛いの権化、ジークの指導である。渋る彼を説得し続けた甲斐があるというもの。
そうして再び沈黙が落ちる。
紅茶が無くなってしまったと思ったタイミングで、控えていた老齢の執事が新しいものを差し出してくれた。
ちょうど飲み頃の紅茶で喉を潤していたら、気を取り戻したのか父がようやく顔を上げる。
心なしか先程より顔色が優れない。
「それで、おまえはその青年とどうなりたいんだ。悪いようにはしないから言ってみなさい」
「どう、とは?」
リオハルトが瞬くのに呆れたのか、父が続けた。
「好ましく想っているのだろう?婚約したいならば、先方へきちんと申し込まなければ」
「父上!本気ですか⁉︎リオを平民の婿にするなど!」
「落ち着きなさい。ようやく現れた、リオハルトの超合金を崩せる唯一の人間だぞ。それともおまえは、この狭い貴族社会でそんな稀有な人間に再び出会えるとでも思っているのか?」
「それはそうですが……!」
「恐れながら旦那様、若様」
白熱する二人に執事が控え目に声を掛ける。ん?とこちらに視線が戻っても、茹で蛸のように首から上を真っ赤にしたリオハルトは固まったまま動けない。
「ぼっちゃまには少々刺激的だったかと」
中身を溢さないようにカップをすうっと引き抜いた執事に、二人は顔を見合わせた。
そして力強く頷き合う。
「父上は至急先方へ申込書を認めて下さい。私が責任を持ってお届け致します」
「実に頼もしい言葉だ。セバス、手土産の用意を」
「承知致しました」
礼服に着替えに行く兄と、手土産の用意に向かう執事。
執務机に着席した公爵は、真っ赤なまま両手で顔を覆い始めた息子の、年頃の青年らしい初々しさに頬を緩めた。
良かった。息子はちゃんと人間だった。
公爵が呟いた声は幸い、色々と必死なリオハルトには届かなかった。
「結婚って、意味わかってんの?」
どうやら父兄は即日行動を起こしたらしい。
朝から門で待ち構えていたジークに、いつもの西側の庭園に半ば引き摺られるようにやって来た。
相変わらず他に人影が無い事を確認するなり尋ねられて、目元が熱を持つのを感じつつ頷く。
「本当に?」
「わかっている。生涯を供にする契約だろう」
訝しむ声音に思わず模範的だろう解答を返せば、ジークは呆れた溜息を吐いた。
前髪を雑に掻き混ぜる様は、機嫌が悪そうで。
もしかしてジークは苦痛だろうか。
かわいげの欠片も無いと父兄に太鼓判を押されるようなリオハルトだ。学園内だけならまだしも、生涯などとは欲張りなのかもしれない。
呼び出された時の高揚が嘘のように引いていく。それに戸惑うより早く、剣だこのある手のひらがリオハルトの頬に触れた。
目尻を擽るように親指がなぞるのが心地良い。
「契約だけど。それだけじゃなくて……」
ジークの顔が近づく。
少し緊張しているようだ。
なんだか頬が少し強張って、
ちゅ、と。
「俺とこういうコトすんの、ちゃんとわかってるかって聞いてんの」
「………」
一瞬の接触に自分の唇をなぞる。
ゆるりと瞬きし、じっとリオハルトを窺うジークに片手を伸ばした。
「よくわからなかった。もういち、」
もう一度と、言い終えるより早く、腕を強く引き寄せられる。
頸に回った手に後ろ髪を緩く掴まれて持ち上がった顎。
噛み付くような口付けに驚いて、思わず開いた唇の隙間から熱い舌が滑り込む。
「ん、んぅ……っ」
咄嗟に目の前の肩を掴んだ。
指先が情けなく震え、だが、意思を持った生き物のように自在に口内を蹂躙するそれは不快では無く。
それどころか、ふわりふわりと揺蕩い始めた思考が気持ち良い。
「…、ふ、……」
「ッと。……はは、顔真っ赤」
ようやく解放された頃にはリオハルトの膝から力が抜けていた。
崩れ落ちる前に抱き留められ、酸欠に喘ぐ。酷く愉しげなジークの肩へ額を乗せると、リオハルトは低く唸った。
「ジークのせいだろう。先程のと違うじゃないか」
「嫌だった?」
「嫌では、ない、が」
なら良いじゃん、と。
機嫌良くすりすりとリオハルトの頭に頬を寄せる仕草が可愛くて。
その癖、特別細身な訳でもないリオハルトを軽々と支える腕が格好良くて。
「……もう一度?」
「ッ、だからアンタはそうやって……!」
何だか気分が良いままに耳元で小さく問い掛けたのを、まさかすぐ後に後悔する羽目になるとは。
唇が取れてしまうかと思った。




