代々伝わる茶碗
「やばっ……」
思わず一人で呟いてしまった。
だって、これはヤバい。
そんなつもりはなかった。
ただ、廊下でバランスボールをぶん投げて遊んでいただけだ。
たまたま、ふすまが開いていた和室に入っちゃっただけ。ピンポイントで何かにぶつけるつもりなんてなかったのに。
それなのに、目の前にはバラバラの物体がある。
床の間って言うんだっけ。とにかく、そんな場所で焼き物みたいな、よくわからない物体。それが、粉々に砕けている。
「どうしよ……」
僕は途方に暮れて立ち尽くした。
『これはうちに代々伝わる茶碗なんだ。大切なものなんだぞ』
幼稚園や小学校が長い休みのときに遊びに来るたびに、おじいちゃんが言っている。僕には難しくてよくわからなかったけど、なんでも有名な陶芸家が作ったとかなんとか。
だから、これは絶対に壊さないようにしなければいけないとわかっていたのに。
けど、子どもが僕しかいないのが問題だと思う。兄弟もいないし、遊んでくれる子が誰もいないなんて、一人で発散するしかないじゃないか。
「でも、どこがそんなにすごいんだろ?」
おじいちゃんはすごい茶碗だと言っていたけれど、僕には適当に粘土で作ったようにしか見えなかった。
「はぁ。どうしよう……」
悩んでいると、
「ご飯だよー!」
台所の方からおばあちゃんの声がした。
「はーい!」
僕は慌てて、茶碗の飾ってあった和室から廊下に出て返事をした。和室から僕の声がしたら、ここにいたことがバレてしまう。とりあえず、まずは知らんぷりを決め込もう。和室にはあまりみんな入らないから、黙っておけばしばらくはきっと気付かれない。
◇ ◇ ◇
気付かれないと思っていたのに、一緒にご飯を食べていたおばあちゃんが急に言った。
「あの茶碗、いつもテレビで見てる『どれでも鑑定団』に応募してみたの。ほらあの、骨董品とか鑑定してくれるやつ。私、あれ、一回出てみたくって」
「ぶっ」
僕は思わず、飲んでいたお味噌汁を噴き出しそうになってしまった。
「どうしたの? 大丈夫?」
「う、うん」
お母さんに心配されて、僕はなんとか返事をする。
「……あの茶碗って、和室に飾ってある、あの茶碗、だよね?」
その勢いで聞くと、
「もちろんよ。おじいちゃんがいつも自慢してるでしょ? だから、本当にどれくらい値打ちがあるのか確かめてみたくって」
おばあちゃんは、にこにこして答えた。
「この家も古くなってきたから、もしかしたらリフォーム代になるかもしれないし」
「ば、馬鹿もん! あれを売るなんていかん! いかんったらいかん!」
「もう、冗談よ。私はただ、あれにすっごい価値があったらお父さんも喜ぶかと思っただけよ」
「……」
おばあちゃんに言われて、おじいちゃんは黙ってしまった。
僕はもう、なにも言えずに黙っていた。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
◇ ◇ ◇
ご飯を食べてから、僕は走って和室に向かった。
夕飯の片付けが終わったら、きっと誰か見に来てしまうに違いない。その前に隠さなくちゃ。
それなのに、後ろから誰かの足音がする。誰だろう。
さっきの話の流れで、誰かが来ないはずがない。
僕は和室に飛び込んだ。
必死で隠そうとしたけれど、後ろから来ていた誰かはパッと電気をつけてしまった。
「えっと、これは……」
そこにいた誰かは、お父さんだった。
お父さんは、じっと割れた茶碗の破片を見つめている。
「お前、それ……」
「ご、ごめんなさいっ!」
僕は反射的に謝った。だって、もう隠せない。
めちゃくちゃ怒られるだろうか。
きっと、僕のお小遣いでは絶対に弁償できない。大人になってから働いて返すとか、それでも一体何年くらいかかっちゃうんだろう。
どきどきしながら、お父さんが次になにを言い出すか待っていたら、
「お前もかっ!」
お父さんが膝から崩れ落ちた。
「も?」
思わず僕は聞き返す。
なぜか、お父さんは笑っている。
そんなお父さんの後ろに、
「……」
「うっ、うわ! 親父!」
いつの間にか、おじいちゃんが無言で立っていた。
「おじいちゃん! ごごごごご、ごめんなさいっ! バランスボールで遊んでたら、ぶつかっちゃって……」
おじいちゃんにまで直接見られたら、もう言い逃れは出来ない。僕はおじいちゃんに駆け寄って、震えながら謝った。
いつもは優しいおじいちゃんだけど、悪いことをしたらいつも容赦なく叱ってくる。しかも、隠し事なんかしたらよけいひどいことになる。
だから、もうこうなったら素直に謝るしかなかった。
いつもどおりならすごい雷が落ちると思っていたんだけど、おじいちゃんはあまりにもショックを受けているのか、棒立ちのままなにも言わない。
当たり前だ。これは、うちに代々伝わってきたものすごい茶碗で代わりなんてないんだから。それを、僕が壊してしまったんだから。
「おじいちゃん……。本当に、その、ごめんなさい」
僕が更に謝ると、
「すまん、親父! 悪いのはこいつだけじゃない」
急にお父さんが間に入ってきた。
「え、でも、僕、一人で遊んでて壊しちゃったから。お父さんは関係ないよ」
突然のことに嘘をつくことすら忘れて、僕は思わず白状してしまう。
だが、お父さんは言った。
「違うんだ……」
「違うってなにが」
「俺なんだ……。親父! これ、子どもの頃に俺が壊して、思い出しながら作ったやつなんだよ! その頃から、もう偽物にすり替えてあったんだ! だから、こいつは悪くないっ! あのときに壊した俺が悪いんだっ!」
「ええっ!? お父さん、も?」
『も』って、そういうことだったんだ。
「ちょっとちょっと、騒がしいと思って来てみたら。お父さん、ずっと気付かなかったの? どうするの? どれでも鑑定団、出しちゃったのに」
騒ぎを聞きつけて、いつの間にかおじいちゃんの隣にいたおばあちゃんが言う。その横には、お母さんも立っている。
「え、嘘。あなた、そんな大事なものを……?」
売れることをアテにしていたのか、お母さんが残念そうに呟く。
お父さんが、実は自分も壊していたと言ってくれたお陰で僕の罪が忘れられているようなのがありがたい。
「う、うぐぐ……」
だけど、おじいちゃんの口元はさっきからぴくぴくしている。
これは、お父さんも僕も一緒に怒られてしまうやつだろうか。この家から出て行けとか、言われちゃうんだろうか。
だけど、
「すまんっ!」
「は?」
「え?」
「へ?」
「なんです?」
今度は何故かおじいちゃんが、頭を下げた。
僕を含め、みんなわけがわからなくて変な声を出している。
「二人はなにも悪くないっ! これは元々、わしが昔自分で作ったものなんだ……。代々伝わるなんて嘘! なんかそういうのあったらカッコいいかなーと思って言ってみてただけなんだ! さっき、言おうと思ったんだが、なかなか言い出せなくてな……」
おじいちゃんがきまり悪そうに下を向いている。
「じゃ、じゃあ。どれでも鑑定団には出さない? 僕、怒られない?」
「いや、それは……」
おじいちゃんが、ちょっともごもごしながら言う。
「というか、親父。本当に気付いてなかったのか? 俺が子どもの頃に偽物にすり替えたこと」
「いや、知ってた」
「は?」
「そりゃ、カッコいいと思って作ったものだから思い入れがあるに決まってるだろ。けどな、壊してしまったことを隠していたのはともかく、自分の息子が一生懸命作ったものが愛おしくないわけないじゃないか。そんなもん、本気で代々伝えようとか思うだろ! 自分が作った茶碗もいいと思っていたが、可愛い息子が作った茶碗最高だろうが!」
「お、親父……」
「おじいちゃん……」
おじいちゃんて、お父さんのお父さんなんだなーと初めて僕は思った。お父さんも、僕の作ったものをすごく嬉しそうに褒めてくれることがある。それがガラクタでも取っておこうとするときがある。
きっと、それと同じだ。
「あのー、いい話みたいになってるけど、どれでも鑑定団はどうするの?」
泣けるホームドラマみたいな雰囲気になっていたところに、お母さんがあきれたように口を挟んできた。
「そうよ。もう、そういうことなら、もっと早く言いなさいよ。最初っから見栄なんて張って貴重な茶碗とか言うから、こんなことになるんでしょ? しかも、親馬鹿だし……」
おばあちゃんも、ため息を吐く。
「そ、それは……」
再びおじいちゃんがおろおろしている。
「すまんっ! わしが電話して謝る!」
そして、頭を下げた。
「ちょっとは期待してたのに。全くもう。ねぇ」
「そうですね。お義母さん」
どれでも鑑定団に出すことを期待していたおばあちゃんとお母さんは残念そうだ。
僕はといえば、かなりほっとしていた。本当に代々伝わる、有名な人が作った茶碗とかだったら大変だった。
でも、おじいちゃんとお父さんが作ったものだったなら……、
「せっかくお父さんが作ったの、壊しちゃってごめんなさい。でも、もしよかったら、おじいちゃんとお父さんにも手伝ってもらって、また新しく作ってもいいかな」
有名な人が作ったものじゃなくても、みんなで作った茶碗をここにまた飾っておきたいなと僕は思ったんだ。
あと、強引にでもいい話に持ってけば、僕が壊したことも怒られないだろうし。