9.愛してる
「…落ち着きなよ、父さん」
「え?」
さっきから俺達の前を行ったり来たりする父を窘める。父は恥ずかしそうに謝りながら座ったが、目は窓の方に釘付けだ。
「ふふふ、お義父さんたらよっぽど楽しみなのね」
「俺に仕事を押し付けて毎週会いに行ってる癖して…そもそも母さんはカリナの為に来るってのに」
「しょうがないわ。お義父さんとお義母さんはまた恋人同士になったのだから」
そう言って愛しの妻、カリナは臨月ですっかり大きくなったお腹を撫でる。色々あって離縁した両親は、また色々あってやり直した。夫婦という形ではないけれど、カリナの言葉を借りるとそう、恋人の様な関係だ。
母は自分の故郷で女性に様々なマナーや自主性を育てる教室をしている。それはどうやら好評の様で、最近では父の勧めで紅茶の販売も始めた。それも好評になってしまったせいで母はなかなかこちらに顔を出す事ができず、カリナの産前産後の手伝いとしてまとめて休みをとってもらい、ここに滞在してもらう事になった。
「1ヶ月はここにいてくれるのでしょう?お義父さんが浮かれるのも無理ないわ」
「でも先週も会いに行ってるんだぜ?いい歳して浮かれてる父親を見るのはなかなかに見るに耐えないんだよ…」
「っ!」
いきなり父が立ち上がった。もしかして。
「ジェイ!おばあちゃんが帰って来たぞ!」
「ばーちゃ!」
そして興奮した様子で愛息子のジェイを抱き上げると、さっさとエントランスの方へ行ってしまった。
「ふふふ…」
「はあ…」
カリナの笑い声と俺のため息を聞いて、シアンは楽しそうに微笑んでいた。
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「…久しぶりね」
約1年ぶりのリディア領、そして私の人生の半分を過ごしたリディア家の屋敷を見て、感情に浸る。
「ティアナ!」
「ジェイ!」
彼の腕に抱かれた愛孫に駆け寄る。
「ばーちゃ!」
「まあ!また大きくなったわね。こちらにいらっしゃい」
実は彼がジェイだけを連れて遊びに来てくれた事が何回か会った。そこまで久しぶりではないが、やはり子どもの成長というものはあっという間だ。
「ジェイ、あなたお兄さんになるのよ?」
「はーい!」
「ティアナ、その」
「お義母さん!」
「カリナ!」
愛息子の可愛い花嫁が手を振って迎えてくれる。
「体は大丈夫?わざわざ出迎えなくても良かったのに」
「お医者さんにはよく動くようにと言われています。それにお義母さんに早く会いたくて!」
「まあ、嬉しいわ!全然会いに来れなくてごめんなさい。妊婦さんでも飲める茶葉をいっぱい持ってきたの。それを飲みながらいっぱいお喋りしましょう」
「わーっ!楽しみです!」
「ティアナ…」
「ライアンは?」
「ここだよ」
なぜかカリナの後ろで小さく手を上げる愛息子。
「ただいま、ライアン」
「おかえり、母さん。話したい事はたくさんあるんだけどさ、とりあえずそこの人に構ってあげて」
「え?」
ライアンが指した方向を見ると、何故か暗くなっている彼がいた。
「どうしたの?あなた」
「母さんが来るって浮かれてたんだ」
「え?先週も会ったのに?」
「そう」
「今回はカリナのために来たのに?」
「そう」
全てを理解して、私は思わずため息を吐いた。
(何と情けない…)
「ライアン、先に入っててくれる?」
「分かった」
ジェイをライアンに託して、息子夫婦が屋敷に入っていくのを見送る。それから私は彼の腕に手を絡ませた。
「ただいま、あなた」
「…おかえり」
気まずそうに彼が答える。どうやら自分でも恥ずかしかったようだ。
「この中で1番会っているのは私達よ?」
「分かってる…でも嬉しくて」
こんなの笑ってしまう。クスクスと笑っていると、彼が私の頬を撫でた。
「君と毎日会えるだなんて、夢のようだ」
「大袈裟ね…ねえ、まだ聞いていないのだけど?」
「うん?」
ああ、と彼は言うと、私の耳に口を寄せた。
「愛してる」
心と体が満たされていく。この場所でその言葉が聞けるなんて。
「私もよ、愛してる」
私がそう返すと、彼が驚いた表情でこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「いや、君がそんな事を言うなんて…夜の時間でしか聞いた事がなかったから…」
「ちょっとやめてよ!」
慌てて彼の口を塞ぐ。息子家族達を屋敷に入れといて助かった。幸い使用人達も近くにはいなかった。
「そんなに珍しい?」
「そうではないが…何だかこの場所で言い合う事が不思議だな、と」
どうやら彼も同じ事を考えていた様だ。色々あった二十数年間。こんな気持ちでまたここに戻ってくるとは思わなかった。
『ティアナ、あの人はたくさん私に愛してると言ってくれました。そして私も、あの人にたくさん愛してると伝えました。あなたが一番知っているでしょ?それでももっと伝えておけば良かったと後悔しているのです。あなたはいいの?本当にもう彼の事を諦めるの?』
(お母様…ありがとう)
母は私が離縁してのこのこと出戻ってきた事に怒っていたんじゃない。何も伝えていないのに全てを諦めた私に怒っていたのだ。
彼だけじゃなく、私も彼と向き合う事を恐れていた。母には見抜かれていたのだ。
(今頃、お父様と楽しく過ごしているかな)
そう思いながら空を見上げる。
今日の空はどこまでも青く、澄んでいた。
おわり
お読み頂きありがとうごぞいました。
3年前に投稿した際、予想以上の反響があっていつか書き直したいなと思ってちまちまと構想を練っていました。ふと急に形にしたい気力が湧いて一気に書き切りました。
前と比べて展開もキャラクターも大分変わったと思います。久々に小説を書けて楽しかったです。
評価・感想等お待ちしております。