No.001 再会(Ⅰ)
明るい日差しの差し込む教室の窓際最後列。
そこに、机に突っ伏して動かない少年の肩を揺する少女の姿があった。
「──ナト、ミナト」
しばらく名前を呼びながら肩を揺らすが、少年の眠りは中々深いらしく、起き上がる気配はない。
その様子に少し呆れた少女は、コホンとひとつ咳払いをする。
濃紺のブレザーの首元を少し開け、小さく「あー、あー」と喉を鳴らしてチューニング。
そして、低いトーンで叫ぶ。
「俺の授業で寝るとはいい度胸だな、浪岡ミナトッ!!」
「い、いえ違うんです尾上せんs──ん?」
イマドキ絶滅危惧種とも言える恐い先生、もとい尾上力一先生の雷が落ちたと勘違いした少年──浪岡ミナトは跳ねるように飛び起きた。
深く被ったオレンジ色のニット帽からはみ出たくしゃくしゃとした癖毛、そして首元に巻いたニット帽と同じオレンジ色のスカーフが印象的な少し大人びた整った顔立ちの少年だ。
驚いてぱっちり開かれた暗い色の瞳が、次第に状況を把握した結果、ゆっくりと細まる。
「やってくれたな、緋菜」
「なーんでそんな恨みがましい目で見るかな? せっかく起こしてあげたのに」
むしろ感謝して欲しいよね、とでも言わんばかりの表情を浮かべる少女の名前は七戸緋菜。
すらっとした体躯とマゼンタのインナーカラーを施した黒いボブカット、気怠げでありながらも悪戯好きそうな雰囲気を出している少女だ。
彼女とミナトは腐れ縁の幼馴染であり、性別こそ違えど悪友の様な関係を築いていた。
「てかそもそも、あのクソゴリラとウチの可憐な声が似てると認識されたのがちょっとムカつく」
「いや、声自体はそうでもないんだけど、言い方というかニュアンスみたいなのが似てたというか」
少し不機嫌そうに斜めに切り揃えられた髪を弄りながら言う緋菜に対し、ミナトは適当な言い訳を見繕う。
「なんか熟睡してたけど、寝不足? それともなんか良い夢でも見てた?」
そう問われてミナトは今まで見ていた夢の内容を朧げに思い出す。
「確かに良い夢だったよ」
「えー、ヤラシー」
「冤罪やめい」
肩を叩きながらからかう緋菜。
その手を鬱陶しげに払いながら、窓の外に視線を向ける。
そこから見える太陽は、彼の記憶にある位置より傾いたところにあった。
「わーお」
予想以上に寝こけていた可能性に思い至って教室の壁にかけられた時計に視線を向けると、確かにその針はミナトの記憶よりだいぶ進んだ時間を指し示していた。
「もしかして放課後?」
ミナトは口元に手を当て、確認するように言葉を繰り返す。
「──そっか、放課後か」
そして手を組んでグッと両腕を上に上げて伸びをする。
背中や肩からポキポキという小気味の良い音が鳴り、確かに随分長く寝ていたということを彼は実感した。
「今日から親戚が来るんでしょ? アンタは何かしなくていいの?」
「ちょっと危なかったかも」
コキコキと首を鳴らしながら、頭の中でこの後の予定を確認する。
本日の夕方に、ミナトの親戚に当たる人物がこの学校を訪ねてくる筈だった。
時間を合わせて校門まで迎えに行き、職員室まで案内するのが、今日の彼に課せられたミッションであった。
約束の時間にはまだ少し早い気もするが、件の相手を見知らぬ土地で待たせるのも酷だろう。
ミナトはそう思いながら机の横にかかったスクールバックを手に引っ掛けて立ち上がる。
「俺はこの後例の件があるけど、お前はどーする?」
「うーん、今日は帰ろっかな。じゃあ、校門まで一緒に行こ」
「了解」
そう言ってミナトはとぼとぼと教室の出口に向かって歩き出す。
既に帰宅準備を終えていた緋菜はその辺の机の上にぶん投げていた自身のスクールバックを拾って彼の跡を追いかけようとしたところで、ある事に気がつく。
「ミナト!」
「ん?」
「忘れてるよ、杖」
緋菜は言いながら、彼が座っていた机横に立てかけたままになっていた黒い杖を手に取る。
足の不自由な老人が使うようなイメージのある、持ち手がT字型になった杖だ。
「忘れんなよ、大事なモンでしょーが」
「あーいや、うん」
バツが悪そうな表情を浮かべながら、彼女が差し出してきた杖を手に取る。
「お前もそうだけどさ、心配性だよな。別に俺はもう大丈夫なのにさ」
「万が一があンじゃん、とりま持っておき」
緋菜の注意をへいへいと生返事で聞き流しながら彼は杖を右手に持ち、ソレを軽く床を突きながら歩き出す。
季節は春。
四月初旬特有の明るい日差しが廊下を照らし、どこからで開けられたままになっている窓から吹き込む風は涼しい。
カツンカツンと杖がリノリウムを叩く音が、人もまばらな廊下に響く。
「なんか、入学式間に合わなくてその親戚の子可哀想ね」
廊下を歩きながら緋菜が振った話題は、まさしく今日瑛士に関連のあるモノだ。
「しょうがないさ」
話題になっているのは、ミナトの親戚。
その子は山奥の限界集落に暮していて、この春に高校進学の為に下山し、ミナトの家族の元で数年下宿生活を送ることになっていた。
本来なら先週の入学式の前には着いている筈だったのだが。
「土砂崩れで道が塞がって、復旧するまで山を降りれないってのは。巻き込まれなかっただけ上々だろ」
集落から下界に降りる一本道が長雨が原因による土砂崩れで封鎖されてしまい、しばらく降りて来られなくなってしまったのだ。
そして入学式には間に合わず、一週間後の今日にようやくやって来れることになったのだ。
「スタートダッシュ遅れたのは痛いよね。入学式逃したら余計浮いて馴染むの大変そー」
心底同情するようにいう緋菜。
親元を離れて、中学時代の友達も一人もいない。
更にある程度グループが出来上がってしまった後のクラスに入ってくるのだから、人間関係構築のハードルは高い。
「でもまぁ、結局は"人生万事塞翁が馬"だ」
ミナトは彼女の同情を否定せず、しかし一言でバッサリと切り捨てる。
「何が最終的に幸になるのか禍になるのかなんてわからないんだから」
一見悲劇に見えることも、最後の最後に喜劇に繋がるかもしれない。
彼の父が繰り返し唱えてきたその言葉は、ミナトにとっての座右の銘となっていた。
だからこそ、あんなことがあっても彼は腐らずにここまで来れたのかもしれない。
「ふーん、まぁいいけど。 ちなみにその子ってどんな感じの人?」
「どんな感じ、か」
緋菜からのふわっとした質問に、ミナトは腕を組んで右手を顎につけたポーズをとって考えこむ。
親戚といっても件の人物はかなり遠縁で、彼自身も幼い頃に一度か二度会ったか否かといった具合だった。
「正直、あまり覚えてないんだけど」
昔の記憶をウンウン唸りながら掘り起こしてみる。
そうしてようやく一言だけ、思い出──というか印象を口にした。
「まぁ、かわいい子だったと思うよ」
──瞬間、空気が凍る。
背筋に寒いモノを感じ、ミナトは咄嗟に身をすくめる。
「何、親戚って女子だったの?」
彼に対して、緋菜は先程までの様子が嘘のような無表情で、強い圧を感じる声色を出す。
その問いに、そう言えば言ってなかったかなとミナトら思い出した。
断じて他意はない、他意はないのだがただ単にうっかりしていただけ。
そして、うっかりで済まなそうな雰囲気を緋菜が出しているだけ。
「あー、いやその」
何か怒らせたみたいだが、理由がいまいち思い浮かばないミナト。
「へぇ、じゃあトシゴロの男女が一つ屋根の下で?」
「いや、姉さんも母さんもいるから!」
「いたとしてもよ、ヘンタイ!」
「待ってその理屈はおかしいくないか!?」
慌てて手を振って緋菜の疑惑を否定するミナトだが、彼女からの視線は絶対零度を維持したままである。
「ヤマシイことなかったらなんでウチに言わなかったのさ!」
「わ、忘れてたんだよ!」
「絶対嘘だ! 下心マシマシだったんだ!」
このスケベ、スケコマシ、ラノベ主人公!!
──などとミナトを一通り罵ったのち、彼女はこう言った。
「予定変更! ウチもついてく!」
「あぁ、え?」
「アンタがその子にデレデレしてヘンタイ起こさないか心配だし!」
「しないよ!?」
緋菜は"絶対に曲げない"と言わんばかりの表情でミナトを置いてズンズンと先を行く。
その後ろ姿を見ながらため息をついて、ミナトは左手で顔を覆う。
長い付き合いの中で、彼女がこうなったら自分が合わせるしかないと知っていたからこそのため息であった。
「大体、お前と一緒にいながら別な子に目移りする訳が──」
「なんか言った!?」
「なーんーでーもーなーいー!」
彼の独り言は、先を行く緋菜には届かず。
ミナトは複雑な心境で、なんともいえない表情をして後を追う。
そして上履きを履き替え正面玄関を出た時、数歩先を行く緋菜をミナトが呼び止める。
「あ、ちょっとタンマ!」
「ナニ!?」
彼は正面玄関を出たところで、左手の親指でクイっと横を差した。
「一旦、部室の様子見に行ってもいい?」
ミナトの言う部室というのは校舎内の一室ではなく、校門と校舎の間くらいに建てられた古びたガレージだ。
その昔あったという動力研究部が使用していた空きガレージは、昨年から瑛士たちの部が使わせてもらっていた。
──もっともその部は未だ何の実績も上げられてない上に部員数がギリの為、廃部及び取り壊しの危機真っ只中なのであるが。
「ぱっと見──」
ミナトがちょっと背伸びをして校門の方を見やる。
「誰もまだ来て無さそうだし」
校門周辺に、見慣れない姿をした人影はまだ無し。
それならば一回部室の様子を見ておきたいとミナトは言一応ながら、ブレザーのポケットから取り出した鍵をくるりと人差し指で回してみせる。
「何分、高価な物置いてあるし一応ちょこちょこ見ておきたい」
「りょーかい、ウチもいくー」
ガレージに向かうミナトを追いかけるように緋菜も早足で向かう。
「コーカっつってもあのでっかいロボでしょ? あのサイズなら早々盗まれたりしないんじゃない?」
「いやこれがパーツ単位でバラせば持ち運び楽だし、バラすのも案外──」
ミナトがそう話しながらガレージ横の扉に鍵を刺し入れたその時、手に伝わる感覚に違和感を感じた。
「簡単なんだ、け──」
彼はそっと鍵を回さずに抜き取る。
そしてドアノブをゆっくり回してみる。
「──ど?」
ドアが、開いた。
無言で見つめ合うミナトと緋菜。
二人の表情には"まさか?"といった感情が浮かぶ。
「どろぼー?」
「いやまさか、まさ、か?」
口では否定しつつも、額からすっと汗が流れる瑛士。
まさかの事態を想像し、何かあった時に備えて右手に持った杖をぎゅっと握り直す。
ゆっくりドアノブを回し、押し開く。
二人の背後から差し込む夕日が、真っ暗なガレージの中を徐々に照らしていく。
「明かりついてないってことは誰もいな──」
誰もいないのでは。
そう緋菜が言いかけたその時。
二人の背後から差し込む太陽の赤い光が何かの端を──否、誰かの足を映した。
瞬間、はっとしてミナトは駆け出した。
その足の持ち主、暗闇にぼんやり見える輪郭がアレに手を伸ばしているのがわかったからだ。
ミナトにとって、最も大切なモノ。
今の自分自身の全てと言っても過言ではない、鋼の巨人。
「三メートル級人型飛翔式ドローン」エンジェノイド。
それに不躾に触れようとする不審者の姿を見て、一瞬で思考が沸騰する。
「エンジェノイドに触れてるんじゃねぇぇええ!!」
杖を手に、大声をあげて駆け出すミナト。
それに対して、人影は。
「え!? あ、ふぁちょ!?!?」
可愛らしい声で動揺したようにバタバタと手足を不規則に動かす。
無理もない。
その少女からしたら、暗闇で突然現れた男が杖片手に叫びながら走って向かってきているのだから。
「た、たすけてー!!」
謎の人影の、泥棒にしてはやたらと情けなさげなリアクションに一瞬だけミナトの思考が止まる。
しかしながら、ここはガレージ。
ミナトが頑張って普段から片付けをしてはいるが工具をはじめ、物は多め。
慌てて走った彼は足元が疎かになっていた。
がつッとした音と痛み。
何かに足を取られたと理解したはいいが、バランスを崩した身体はそのまま前のめりに倒れ込んでいく。
杖を持ってるので片手は使えない。
地面は硬いコンクリだ。
あ、やばい。
普通に怪我確定みたいなシチュエーションに、倒れながらミナトは衝撃に備えて身を固くする。
──だが、彼の予想は外れることになった。
コンクリートの床に倒れる瞬間、何かがミナトと床の間に滑りこむ。
「「ぐぇっ!?」」
予想してた程ではないにしてもそれ相応の衝撃を受けて、潰れた蛙のような声を出すミナト。
──ともう一人。
その時点で、ようやくミナトは自分が転んだあと誰かに抱きとめられて助けられたと気がついた。
「み、ミナト!? い、今電気つけるから!!」
慌てた緋菜が入り口横の壁を弄り、触り当てたスイッチを叩く。
ぱちっと音がして、白色光が暗闇だったガレージを照らす。
仰向けに倒れていたミナトは突然の光に目を細める。
その眩しさの中で、状況がまだわからない中、そして上がる絶叫。
「な、な、なぁぁぁぁぁ!?」
緋菜の叫びとようやく光になれた目が、状況を発見する。
床に転がる少女と、まるで自分を押し倒すかのような姿勢で覆いかぶさるミナト。
「あ、あのえっと」
超至近距離にあるその少女の顔は何故か真っ赤になっていて。
「いや、これどーいう状況なんだよ」
──こうして、二人は再会する。
精悍な顔立ちのエンジェノイドがまるで教会の女神像のように鎮座するガレージで、この少年少女の運命がここで動き出したのだ。




