No.009 起動(Ⅲ)
──鋼の巨人、その双眸に光が宿る。
みしり、と関節部が軋む音がミナトの耳についた気がした。
片膝をついた状態で佇んでいたエンジェノイドが、身じろぎをする。
「お?」
そして、ゆっくりと首がもち上がる。
「「「おぉぉおおお!!」」」
ミナトたち部員三人が感嘆の声を上げる。
自分たちが自信を持って組み上げて整備して仕上げた機体だから起動するのは当然。
当然であるとは思っていても、いざ実物が動いた時は無条件で感動してしまうモノである。
そして三人とは別に──。
「あ、あぁ!」
ゲーミングチェアに腰掛けたままの状態で凛月もほぼ同時に声を上げる。
ヘッドギアは稼働中を示す青い光が、ランプに灯っている。
それが示す事実は──。
彼女は今、ゲーミングチェアに座っていながらそこには居ない。
凛月の精神は、機体の中にに存在していた。
「え、凄い凄い! わ、私、ロボットになってる!!」
エンジェノイドの双眸が、瞬きをする様に点滅する。
ゆっくりと姿勢が動き、片膝立ちの状態から少しずつ立ち上がる。
機体各部のアクチュエータが軋むように稼働する、機体を持ち上げる。
そして数秒をかけて、エンジェノイドはようやく完全に直立した。
「すっごい、すごい!! 視点が高い、すごい!!」
凛月はすごいとひたすら繰り返す。
語彙力すら失ってしまう程に、それほどまでに彼女は感動していた。
今までの人生、物心ついてからの全てを過疎の山間集落で過ごしてきた凛月。
時代に取り残されたような生活を続けてきた──せざるを得なかった彼女は、今日ここで新しい技術に触れた。
永らく変わらなかった環境が変わり、そして価値観が新しくなろうとしていた。
新たな視点に、新たな視野。
それが彼女に与えた感動は、まるで鮮やかな光の奔流と言えるほどに。
おそらくそれは、余人には大した事ない経験かもしれない。
大したことない感動かもしれない。
しかし、だがこの経験は──。
──きっと、彼女の世界を変えたのだ。
▽▲▽
「それはそうと、どんな感じだ?」
「ど、どんなと言われても」
ミナトのざっくりとした、要領を得ない質問に凛月は──というか凛月の意識を乗せたエンジェノイドは「え?」といった感じの動きを返す。
「あー、なんというか具合悪かったりしない?」
ミナトが取り敢えず懸念しているのは、ある種のVR酔いだ。
彼女の今までを鑑みるに、所謂バーチャルリアリティには慣れてないだろうとミナトは推察していた。
この辺はバーチャルではなくとも所謂FPSで画面酔いする人種がいるように、三半規管などはかなり個人差というか向き不向きがあるというのを彼は知っている。
それ故の配慮だったのだが、彼女からの返答は意外なモノだった。
「なんかちょっと、遅い?」
右腕をぐりぐりする様な動きをして、機体が鋼鉄製の頭を可愛らしく傾ける。
「あぁ、ラグいのか」
うーむ、と言いたげに顎に手を当ててミナトは考え込む。
「冬治朗?」
「えーと、操作感度は別に特別鈍くはしてないッスよ? むしろこれ以上だと過敏かなって」
「うん、ちょっと見せ」
冬治朗が睨めっこしているノートパソコンの画面をミナトも覗き込む。
システムの各種データを見ながら、操作感度を確認する。
その設定数値は標準といえる値と言えた。
これでラグい──機体動作に遅延を感じるということは。
「お前、意外と運動神経良いんだな」
つまりそれは標準的な人より、凛月の反射神経が良いということに他ならない。
そう言えばとミナトは思い出す。
凛月は昨日再会した時に暗い視界で足元も夢遊のせいで散らかっていて不安定だったにも関わらず、咄嗟の行動で自分を庇ったことを。
確かに思い返すと彼女の反射神経、およびそれを活かし切れる運動神経の良さを再発見する。
「え、そうなの?」
今までほぼ同年代のいない環境で生活していた凛月は、自分の身体能力の程度を知らない。
比較対象がいなかったのだ。
「まるで全盛期の俺みたいじゃないか?」
「え、今なんて──」
「よーし、ちょっと歩いてみぃー?」
ミナトは凛月の疑問符は無視して話を進める。
凛月はなんとなく食い下がれなく、渋々と機械の身体で一歩前へ踏み出す。
ヘッドギアのせいで表情は分かりにくいが、彼女の表情は渋い。
「あー、これなんて言いましたっけラグい? 違和感がすごいです」
「ある程度は仕方ないよ、だって機体は三メートルよ?」
夢遊の言う通り、"実際の身体を動かすように動かす"といえど、その体格には当然差がある。
凛月の身長が150センチそこそこ、対するエンジェノイドの全長は約三メートル──その差は倍だ。
当然、元の身体を動かす感覚で動いたら違和感は出てしまうだろう。
「あ、ちょっとシャッター上げるからちょっと待ってて」
夢遊が小走りで壁のスイッチに向かい、パーンと叩くように押す。
キュルキュルキュルという独特な音を立てて、ガレージのシャッターが開かれて行く。
「少し外まで歩いてみて? あ、走ったらダメだからね。その子の足は走るのに向いてないか──」
夢遊が凛月にそう言いかけたその時だった。
──機体が突如走り出したのは。




