幸田露伴「天うつ浪」(前篇)現代語勝手訳(6)
其 六
山瀬が催した集まりが竹芝の浦で開かれた日のこと。東京都から見て丑寅、即ち北東の方角にある東武線の鐘淵の停車場から、上りの汽車がまさに出ようとする時、何とか駆けつけて、辛うじて乗り込んだ水野静十郎は、車内の一隅に身を落ち着けて、煎りつくような急いた気持ちに、少なくない道のりを走ってきた胸の動悸をほんの少し休めたところであった。
車窓の外は、目に障るものもない広々とした葛飾の秋の稲田で、黄金色の夕陽の光線が明るく斜めに落ちれば、折々にばっと立つ雀の群れが空に散る景色も、夏場の日差しが十分に足りた豊かな年の到来を感じさせ、暑かった夏の日の汗の滴は、今皆やがて粒々の実となって現れるような快い眺望である。
そうであれば、乗り合わせた人々も悦び顔して、
「先ず、この分で行きゃぁ豊年でがす」
と股引に草鞋穿きの農夫らしいのが真っ先に言い出せば、
「そうです、風さえなきゃぁもう大丈夫です。おおかた不景気も直るでしょう」
と同じ風の男が言う。その後から髪の毛を綺麗に分けた生意気な若い男、これは商人と思えるのが、
「何にしろ、この夏の暑気のおかげですもの。これくらいのことがなくちゃぁなりませんや。暑かった事ぁ本当に暑うございましたが、どうでしょう、全国じゃぁそのために、去年に比べりゃぁ一千万石も余計に穫れる算盤だって言うんですからなぁ! 一石十円としても、一億円、四千万人で割ってみると、一人当たり二円五十銭づつ、つまりそれ分だけ暑気の我慢賃にもらったような訳に当たりますから、随分暑かったのも無理はありません。しかし、こうなってみりゃぁ有り難いもんで、きっと景気も好くなりまさぁネ」
などと口々に語り合っているけれど、思いある身の水野一人は、景色も眼に映らないみたいに、また談話も耳に聞こえないみたいに、身動ぎもほとんどせず、静かに坐り、ただ帯の間から時計を出して、あたかも汽車の速力を疑うように、何度もその針を甲斐なく見詰めていた。
浅黒いその顔は底に蒼色を帯びて、鳳眼とか人の言う尻上がりの眼は、どんよりと曇って淀み、やや狭い鼻はつんとして高く、血の色の薄い一の字口の唇は、復び開く時はないようにまで、あくまで緊しく閉じられていた。眼鼻立ちは醜くはない男だが、水野の今の顔の気色は、もし幼子がこれを見れば怖がって泣くのではないかと思われるほどであった。
汽車がやがて吾妻橋の停車場に着いた時には、暮れやすい秋の日は早くも没して、千点万点の燈火に飾られた夜の東京が眼の前に現れた。
水野は人を突き退けるくらいに忙しく歩いて、たちまち停車場を出て、たちまち吾妻橋を越え、たちまち茶屋町を過ぎ、たちまち並木を経て、たちまち蔵前に至り、そこに住んでいる月日は未だ長くはないが、浅草一との評判である医学博士の相良公平の玄関までやって来て、
「頼む」
と一言声を上げた。
この汽車の中の光景、同じく露伴の「土偶木偶」の「情難二」に出て来るのとよく似ている。露伴は実際にこのような経験をしたのではないかと、ふと想像した。
つづく