第九百二十二話
灰田が捕球して、軽く息を吐く。
「俺にしては良いストレートが投げれたな。投げる前に相手に打つ気配が感じられなかったのは―――俺の九州の頃の投手の勘が蘇っているのかもしれない―――」
灰田がそう呟き、構える。
球場の演奏と大きな声援が夏の甲子園に響く―――。
(しっかし―――それはそれとして、甲子園の歓声と演奏がこんなにマウンドで浴びせられるのは燃えるな。打たれても闘志が湧きそうだぜ。九回まで投げたいが―――)
灰田が言い終わる前にハインがサインを送る。
浜渡が構え直して、灰田を見る。
灰田が構えて―――。
(チームプレイの試合の為に―――今できる投手としての最高の投球を合唱と声援に応えて投げるぜ!)
灰田がクイックモーションで投げ込む。
浜渡がジッと観察する。
指先からボールが離れる。
内角の中央にボールが飛んでいく。
(あの投手の投げるボールは変化球だろう―――ここだな!)
予想した浜渡がスイングする。
打者手前でボールが右に曲がりながら落ちていく。
バットの軸にボールが当たる。
「なにっ! 初見で俺のカーブを―――!」
灰田が驚く。
カキンッと言う金属音と共にボールがライト方向に飛んでいく。
浜渡がバットを捨てて、一塁へ走っていく。
「ハジメ! ひとつだ!」
ハインが指示を出す。
しかし、演奏と歓声の中で声が届かない。
(―――くっ! これでは野手のボールの軌道予測に頼るしかない!)
ハインが悔し気に冷や汗を流し、歯を食いしばる。
ライトの松渡が打球を追っていく。
「ありゃりゃ~! 結構飛ぶなぁ~。でも~……」
フェンスのやや手前でボールが転がり―――。
フェアになり―――。
ライトの松渡が捕りに行く。
浜渡が一塁付近まで走っていき―――。
追いついた松渡がボールをグローブで拾う。
「外野手の遠投で中継ぎの肩作るしかないなら、灰田の援護も含めて僕が実践の中で肩作らないとね~」
そう言い終えて、ファーストの星川に送球する。
塁を踏んだ星川がグローブで構える。
一塁を蹴り上げた浜渡がそのまま一、二塁の中間のやや一塁寄りの位置で、二塁へ進塁しようとするが―――。
「むっ! あのライトのボールが俺の二塁に進む足よりも速いな! 一塁に戻るか!」
そのまま二塁に進む前に一塁に戻り、余裕を持って塁を踏む。
星川がライトの松渡の送球を捕球する。
「―――セーフ!」
塁審が宣言する。
「まったく~、僕の送球が送れたとはいえ早い足してるよ~。タイミングも際どいのに余裕があるように見える走塁だね~」
ライトの松渡がそう言って、肩を回して汗を手で拭く。
ランナーが一塁でノーアウトの状況になる。
北鄭高校側のスタンドの歓声が上がり、演奏が続く中で星川がマウンドの灰田に送球する。
「えげつないぜ。あの浜渡って野郎―――同じ投手で一番打者でたった二球であっという間に進塁しやがった……」
捕球した灰田が思わず声を漏らす。
しかし、胸の鼓動が強く響く。
「やべぇな―――打たれたのに楽しくてしょうがないぜ! 恐ろしいのに面白がる俺がいる。悪くないな、こういう展開は―――」
灰田が思わず強気な笑みを見せる。
それは一人の熱い投手の闘志と歓喜の入り混じった甲子園ならではの気持ちだった―――。