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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
83/112

第83話 ハナの部屋の秘密

 グリフィスの思う、美と愛。

 それは一体どんなものなのか。

 同じく美と愛を信奉する自分なら、彼の美と愛が想像出来るかも知れない。そんなふうにアレシュは思う。


 もしも自分が、自分の容貌を作り上げるために誰かを食べるとしたら……誰を食べる? それはもちろん、美しくて、愛しいひとを食べるだろう。

 アレシュだって愛したひとはたくさんいる。

 みなを美しいと思って抱き寄せた。

 彼女たちを食べるって、一体どんな気持ちだろう?

 触れた身体が本当に本当に入り交じって、そのままでいられるのだとしたら――そう思った途端に、アレシュの頭の片隅で熱いものがはじけた。

 頭の芯がとろけて目の前が白くなる。

 ああ……好きだ。

 好き。愛している。

 愛しい。あなたが愛しいから、この気持ちを抱いて死んでもいい。なんなんだろう、この気持ち。のど元までぎゅうぎゅう押しこまれた愛の中でもがくように手を伸べて、抱きしめて、死にそうな気持ちで愛を囁きながら、相手を噛みしめる。口いっぱいに広がる生臭い命を思えば頭の芯が揺れて、震えて、強烈な幸福感であっという間に全身が犯されていく。


(ああ――これが、魔界の住人の気持ち、か)


 自分の中に潜む魔界の血が語ってくれた、これは、愛しい者を食う気持ち、だ。

 擬似的な感覚を追うようにしてゆるゆると鈍い頭痛と吐き気も広がってきたので、アレシュは小さくあえぎ、想像を断ち切る。


「……多分、彼に、悪意はない。むしろ、弱き者や人間をも純粋に愛せる、情深い魔界の紳士なのかもしれない。ハナのことも……きっと。彼なりに、愛していたんじゃないかな」


 かすかにかすれたアレシュの囁きに、カルラはじんわりと目を細めて告げた。


「確かにそうとでも考えないと、奴の悪趣味は説明できないわ。ただの人間なんてものすごく大量に食べなきゃ力の足しにならないはずだし、魔界の住人で元の形がはっきり残ってるような子って、まだ他の何も食べたことのない弱者。

 ――つまり、子供なのよね」


 子供、と言われた途端に、アレシュの心臓が跳ねた。


「カルラ。ハナ……ハナ、は、あの子は本当に子供なのか? 見た目のとおり?」


 自分でもおかしいほどにうろたえて、アレシュは訊く。

 カルラはしれっと答えた。


「見た目よりは年上よ。栄養失調みたいな状態であんなふうになっちゃってるけど。……でも、魔界の住人としたらまだまだ子供の域ね」


 カルラはしれっと答える。

 アレシュは何か返そうとしたが、すぐには声が出なかった。


 そうだった。そう。

 ハナは、子どもなのだ。

 グリフィスはハナを愛していたかもしれない。

 でも、自分は見たはずだ。グリフィスがハナに笑うように、と命じたところを。

 彼の命令に逆らうことなく、笑ったハナを。

 愛があろうとなかろうと、あれは、強者の命令で。

 ハナは、逆らえない子どもだった。


 焦りでむずがゆくなった指でどうにか敷布をつかみ、アレシュはとにかく寝台から滑り降りる。床を踏んだ足が少しふらついたが、気にせず埃かぶった靴をつっかけ、上着を拾って部屋を出る。

 すると、穴だらけの廊下でひとひとり入りそうな旅行鞄片手のルドヴィークとぶち当たりそうになった。


「おや。ご自分で起きられる気力がおありだったとは、実にもったいない。あのまま寝込まれるようでしたら、色々とやりようをご提案しようと……」


「あいにく、まだ君の生き人形にはならないですみそうだ。ルドヴィーク、暇ならちょっと来てくれ」


 アレシュは言い、ルドヴィークの横をすり抜けて階段を駆け下りる。


「おい待て! どこへ行く気だ、アレシュ! 外へ出るなら、さすがにもう少し服を着ろ!」


 にぎやかなミランの声が追いかけてくるのを聞きながらサルーンを横切り、階段を駆け下りて地下に入る。アレシュは使用人区画の中でももっとも薄暗い一角で立ち止まった。


「ここだ。――ハナの部屋」


 アレシュは言い、階段下の小さな扉を見つめる。

 彼女にこの部屋を与えて以来、ここを訪れたことなんてほとんどなかった。

 邪魔をしては悪いと思っていたからだ。

 つまり、自分にはハナがか弱い少女であり、保護を必要としているという自覚が一度もなかったからだ。自分が自分で勝手にやるように、彼女は彼女で勝手にやればいい。アレシュはいつだってそんなふうに思っていた。

 それが自由だ、と思っていた。

 それが百塔街の住人だ、と。

 自由というものを、怠惰の建前にした。

 アレシュは無意識のうちに軽く唇を噛んでから、小さな取っ手に手を伸ばす。


「……ごめん、ハナ。女性の部屋に無断で入るのは、僕の主義じゃないけれど。何か、手がかりが残っているかもしれない」


「あ、待って、アレシュ。ミラン、札。封印破りのやつ、あったらちょうだい」


 不意にカルラがアレシュの手首をつかみ、ミランを人さし指で招いて言う。

 ミランは憮然とした様子で、それでもずかずかと数歩前に出た。


「封印破りだと? 一体誰がここに封印をするのだ。アレシュにそんな真似は出来んだろうし、封印があったしてもカルラ姉さんがやぶればいい話ではないか」


「やあねえ、呪具だって使ってるうちに劣化するのよ? 下僕の安い札でどうにかなるところは、そのほうが効率がいいじゃない」


 堂々と酷いことを言うカルラだが、ミランはすでに真剣な顔で重装備のポケットから何枚かの札を抜き出している。


「さすがカルラ姉さん、この札が俺の実力からしたら格安だと見抜いたか。単純な封印なら、初級の『反発』でどうにかなる。あとはまあ、力場をひとつ、ふたつ添えてでもおけば……ん? 足りないのか」


 ぶつぶつ言いながらミランが札を扉に近づけると、それは自然に扉へと吸いついていく。明らかに扉の向こうで何か魔法の力が働いている証拠だ。

 が、すぐに扉が開く気配はなかった。

 ミランは表情を険しくし、無言でどんどん別の札を並べて貼り付けていく。すると扉はやっと勝手にがたがたと鳴り始め、ダメ押しのように六枚目が貼られた時点で、重い打撃音のような音を立てて勢いよくミラン側へ開いた。


「痛っ……!」


 扉に口元を打たれて悶絶するミランを押しのけ、アレシュは室内へと首を突っこむ。

 そこにはハナの鉱物的な匂いと――石灰と灰の香りが満ちていた。


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