表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
3/112

第3話 僕を動かす法は「美しさ」

「貴様、アレシュ!! 俺の弟分ならもっと早く来い! 俺は思わず大虐殺の覚悟を決めかけたところだったぞ、この――で、――で、――男が! それと念のため言っておくが、俺の頭は階段の踊り場ではない!!」


 聞き苦しい俗語連発で相手をののしるミランとは対照的に、司祭は静かに『彼』に話しかける。


「アレシュ……あなたの名はよく存じております」


「おや、そうですか。聖ミクラーシュ教会の司祭殿に名を覚えていただいたとは、実に光栄。ですが、おかしいな。僕はあなたの名を知りません」


 くすりと笑って言い、《《アレシュは闇を下ってきた》》。

 ずっと穏やかだった司祭の顔がわずかにひきつる。さっきまでぽかんとアレシュに見とれていた教会兵や信徒たちも、愕然として前のめりになった。


 目で見たままを信じるのなら、アレシュは闇からにじみ出るようにミランの頭上に出現し、濃い闇を階段のように踏みしめながら床へと下りていっている。

 その所作は夜会に出席する貴人としか見えぬ優々たるものだが、彼の足下には闇しかない。何かの幻術を使われているのかもしれない。しかし、あまりになめらかだ。教会兵や司祭には、さっぱり術の見当がつかない。


 アレシュは大理石の床に降り立つと、軽やかな音を立てて靴をそろえて囁く。


「七門教は大陸全土に浸透していますが、この『百塔街』にはここ三百年ほど現役の教会はありませんでした。この聖ミクラーシュも後任の司祭が決まらずに廃墟同然だったはず。それが活動を再開されるというなら、この街にとって歴史的な出来事じゃありませんか。是非、この僕にも一報が欲しかったな」


 そう言ってにっこり微笑んだアレシュを見て、教会中から気味の悪いうめき声があがった。腹の底から勝手に湧き上がるマグマのような感情が高ぶりすぎて体が爆発四散してしまいそうな、それはそれは壮絶に妖艶な笑みだった。

 

 アレシュ。

 彼の美しさをどう表現したらいいのかは、この場に居る誰もわからないだろう。

 少年のしなやかさを残した二十歳前後の体を華美すぎる紳士装束に包んだ姿は、人間というよりは王侯貴族の好む最高級の宝飾品めいている。

 つるりと白い肌はなめらかすぎて硬質な陶器のようだし、絶妙な位置にすんなり通った繊細な鼻筋は稀代の彫刻家が削り出したかのよう。細い煙草を挟む唇は薄情めいて薄く、指には貝を象眼したような形よい爪が並ぶ。

 ここまでは何から何まで完璧で硬質なのに、彼の目は、彼の目だけは、どうにも様子が違う。ナイフを入れてすっと横に裂いたかのようなまぶたの下で、真っ赤な瞳がとろける寸前の赤スグリのゼリーみたいにみずみずしく濡れて光っている。その生々しい色を見たとき、ひとは得体の知れない背徳感を覚えるのだ。


 一種異様な空気の中、司祭はかろうじて己を立て直し、じっとアレシュを見つめて告げた。


「名を告げる必要はありますまい。あなたは王もなく、法も持たないこの街の実力者のひとりだ。……つまりは、金と人脈を持ってこの街の闇に潜み、この世の条理に反した力を操り、根は善良な人々を闇に引きずりこむ悪党ということです。わたしは聖職者として、あなたのような存在に対抗したいと望んでいます」


「なるほど、お心がけは立派ですが、ちょっと誤解があるようですね。僕はただの美に仕える使徒なんです。実力者だなんてもってのほかだ。下手な気鬱に沈まぬように、日々この街を恋と事件を探して歩いているだけですよ。そうだろ、ミラン?」


 アレシュが楽しげに言うと、ミランはむっとした顔で腕を組む。


「ああ、貴様は人間のクズだ。いいのは顔だけ、あとは女遊びしか真面目にやらん! どうせ今日も女にかまけていて俺を助けに来るのが遅れたのだろう? 貴様、不真面目すぎではないか? 一体この俺を誰だと思っている!」


「僕の下僕」


「違う、兄貴!! 兄貴だ、貴様の兄貴分! 貴様は大事なことをすぐに忘れるな。いいか、暗記には反復が効くぞ。いますぐ繰り返せ!! 俺は、お前の、兄貴分!」


 無駄にはきはき叫ぶミランに、アレシュはいかにも面倒くさそうな流し目を送った。そんな表情ですら妖艶に見える絶世の美貌で、アレシュはミランの顔に細く煙草の煙を吐きかけてから言う。


「ねえ、下僕。女性を待たせてわざわざ下僕を助けに来る僕、かなり真面目だと思うんだけど。褒めてもいいよ」


「えらい!! それはそうと、本当に今日も女と一緒に居たのか? 貴様はいいかげん、まともに働け!! そもそも貴様の生活というのはなっておらん! なにからなにまでなっておらん! いちから説明すると――おい、どこへ行く!!」


 ミランの主張はさらに延々と続きそうだったが、アレシュはふい、と彼から視線をそらして歩き出した。ネコ科の大動物のように音もなく、未だ祭壇前でひざまずいていたひとりの信徒に近づく。

 長いヴェールをかぶった、花嫁めいた女性だ。

 すっかりアレシュの美貌にとらわれた教会兵や信徒たちは彼を遮るどおろか、さわさわと左右に分かれて通してやった。


「やめなさい、ヴェツェラさん。我々の『儀式』の邪魔は許されません。全大陸のエーアール派を敵に回すおつもりか?」


 背後から司祭の声が追ってくる。アレシュは気にせず花嫁の脇に立つと、無造作にヴェールを引きはいだ。


「ああ、やっぱりだ」


 あらわになった新婦の顔に、アレシュは煙草をくわえた唇を笑みでゆがめる。

 ついてきたミランが花嫁の顔をのぞきこみ、さっと顔色を変えた。


「やはりだ!! アレシュ、魔界の住人だぞ!!」


「どこからどう見てもそうだね。これが、司祭様の言う『根は善良な人々』ですか」


 アレシュは言い、赤い目を細めて振り返った。

 彼の横では、花嫁がヴェールをはがれたのも気づかない様子でうなだれている。浅黒い肌に波打つ黒髪を垂らした美しいひとだった。彼女の容貌の中で一番目立つのは額から生える二本の黒くねじれた角と、唇から零れる白い牙である。猫の光彩を持つ瞳はもうろうとして、薬を使われているのは確実だった。

 ミランは怒りに顔をどす黒くして辺りをねめつける。


「彼女を連れこむところを見て、もしや、と侵入してみれば案の定だ! 貴様ら、魔界の住人を無理矢理とっつかまえたな? 彼らにエーアール派の秘蹟なぞ受けさせたら、死んだうえに魂まで四散する!! これは宗教儀式なんぞではない、殺人だ!!」


 高らかな彼の追求に返ってきたのは、沈黙だった。

 静寂に満ちた薄暗い教会内で、今度はアレシュが堂々たる声を張り上げる。


「あなた方が無法地帯と呼ぶこの街にも決まりはある。すなわち、外で犯したいかなる罪も、この街の中に入った時点で帳消し。魔界の住人もトラブルを起こさない限り、同じく無罪。ここに外界の法を持ちこむ者は、我々百塔街の人間が全力で排除させていただく。――そして、僕を動かす法はもうひとつ。美しい方は救わねばならない。愛ゆえに」


 アレシュは言い、白い指を伸べて女の角をそっと撫でる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ