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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
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第12話 「葬儀屋」来訪

「それで? その、ザトペック氏とやらは一体どこだ。姿が見えんが」


 アレシュの一歩後ろで、腕を組んだミランが言う。

 彼の隣にはハナがたたずみ、その背後には例の舞台装置風の扉があった。

 三人はハナの作った狭間の書庫を通り抜け、入り組んだ館の構造を無視して玄関広間から直接つながるサルーンへとやってきたのだ。


 ミランが言う通り、ここにはまったくひとけがなかった。ぽかんと広い吹き抜けの空間に細い天窓から幾筋もの光が差しこみ、埃かぶった家具を照らしている。どことなく廃墟じみた光景だ。

 ところがアレシュはミランに『黙ってろ』と視線を送り、サルーンの隅へ向き直る。一歩前に出てなめらかな所作で両手を広げ、彼は薄い唇を開いた。


「ようこそ我が館へいらしてくださいました、ザトペックさん。お久しぶりです」


 ぎりぎり無礼にならない範囲で甘くした声が響き渡った、数秒後。


「ごきげんよう、ヴェツェラさん。……相変わらずお美しい。わたしのことは、ぜひ、ルドヴィーク、とお呼びください。お父上もそのようにされておいででした」


 深い声と共に、真っ白な横顔がサルーンの隅の薄闇に浮かびあがる。

 鷲鼻の上に黒眼鏡を載せた白い髪の初老の紳士が、円柱の後ろからきっかり半分だけ姿を見せたのだ。

 ミランが大げさに息を呑み、大いに顔を引きつらせた。


「おい、まさか……。死体よりも気配が薄いとは、どういうことだ……?」


 囁くミランに答える者は誰もいない。

 彼の驚きはもっともで、ルドヴィークとやらはあまりにも静かすぎた。動きが最低限なのはもちろん、呼吸の気配すら感じ取れない。喋っているときですら、唇の動きがわからない。存在自体が悪夢じみた男だ。

 アレシュだけはそんなルドヴィークの登場にも慣れていたから、動じないふりで微笑むことが出来る。


「ありがたいお言葉ですが、そういうわけにもいかないでしょう。僕は確かに父の財産を受け継ぎましたが、僕と父とは別人です。『葬儀屋』を統べるあなたには最上級の敬意を払うべきだ。この街の誰もがそうするように」


 丁寧に言いながらルドヴィークの前まで歩み寄り、とびきりの甘い笑みを顔に載せて一礼する。

 自分では何ひとつ生み出さないアレシュだからこそ、態度は堂々としていなくてはならない。下手に自信のないところを見せたら、あっという間につけこまれてしまう。それがこの街であり、この相手。

 葬儀屋の最高幹部、ルドヴィーク・ザトペックだ。

 ルドヴィークはアレシュの一挙手一投足を見守ったのち、にんまりと笑みの形に顔をゆがめた。反射的に鳥肌が立ちかけたのを感じ、アレシュはとっさに拳を作って自分の手のひらに爪を立てる。


(……あいかわらずだな、このひとは)


 いつの間にやら喉が渇き、首筋にわずかに汗が浮いたのを感じた。ここで崩れてなるものか、と瞳に力をこめて見つめ返すと、ルドヴィークの顔にはまださっきの笑みが張りついたままだった。

 それにしても、なんと不吉な笑みなのだろう。

 笑っているのにちっとも笑っているように見えない。それどころか、薄皮一枚の下にうぞうぞと無数の化け物が蠢いているかのような、そういったものがよじれ、もつれ、こんがらがり、やっとどうにか人間の姿をとっているかのような、そんな気配をまとった男。それが、彼だ。

 彼がにらんだだけでひとが死んだとか狂ったとか、そんな噂もまんざら嘘ではないのではないか。そんなふうに思わせる笑顔であった。


「……ハナ、外套を」


 アレシュがハナに合図を送ると、彼女は平然とルドヴィークに駆け寄って帽子と外套を受け取った。さらに杖も受け取ろうとするが、ルドヴィークは白手袋をしたてのひらで彼女を押しとどめる。


「これは、持っています」


 やけに柔らかな声で言い、ルドヴィークはやっと柱の陰から完全に出てきた。

 あらわになった彼の腕に抱かれているものを見て、アレシュの顔はやっと自然にほころぶ。


「――アマリエ嬢。今日も最高に美しい」


 アレシュが心の底から囁くと、ルドヴィークは小さく声を立てて笑った。

 彼が抱いているのは、長い美しい黒髪を持ち、遠い東方の衣装を着た人形だ。幼児ほどの大きさがあり、硝子玉の目を虚空に向けて沈黙している。



「ありがとうございます。あなたに褒められてアマリエも喜んでいる。だが恋はいけませんよ、アマリエ。彼は悪い男だ。それこそ星の数ほど恋人がいるのです」


 人形の髪を撫でながら言ってアレシュを見つめ、ルドヴィークはほんの一瞬だけ、瞳を陶然と潤ませる。

 このような人物でさえ、アレシュの美貌には感じ入るところがあるらしい。

 アレシュはお返し、とばかりに妖艶に微笑んで、ルドヴィークをサルーン中央の異国風のソファへと導いた。


「悪い男とは心外ですね。女性たちに弄ばれているのは僕のほう。僕が持つのは崇拝の心のみです。あなたの娘さんにだって、手を出そうなんてふらちなことは考えません。ただその姿を拝見し、ひざまずき、讃える言葉を口にするのが、僕のしあわせなんですから」


「相変わらずうまいことをおっしゃる。ならば、あなたの愛は詩人の愛ということですね。花を手折らずに愛でる芸術家の愛。実に素晴らしい」


 アマリエと杖を抱えたままルドヴィークがソファに収まると、ハナがお茶の盆を持って戻ってくる。ハナが客とアレシュとの間の卓を乱暴にはたくと、分厚く積もった埃がもうもうと舞い上がった。

 アレシュは埃からさりげなく目をそらし、あくまで華やかに笑って言う。


「常に美を讃える詩人でいられるのなら、どんなに素敵なことでしょう。けれどここは百塔街だ。歌うだけでは生きていけない。ザトペックさん……」


「ルドヴィーク、です」


「――わかりました、ルドヴィーク。では、僕のこともアレシュ、でいいよ。……それで、今日はなんの用かな。最近は少しご無沙汰だったけど、また父さんの香水が要る? 綺麗な人形作りには、うちの香水が欠かせないだろう。ふたりきりの商談をお望みなら、ミランには今すぐ裏口から帰ってもらう」


 くだけた口調に切り替えて、アレシュは肝心の問いを投げた。

 ルドヴィークが牛耳る『葬儀屋』の仕事は多忙を極める。なんの用もなく、ルドヴィークがここへお茶に来るとは思えなかった。

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