第8話 孤児院の思い出
「遅かったわね、ユースティティア」
「いろいろありましてね」
少し遅れてユースティティアは食堂にやってきた。
プロセルピナ・ウィオラケウムとアウローラ・フラーウム、アウルス・アルゲントゥムのところにすでに料理は届いていたようだが……三人はユースティティアが来るまで律儀に待っていてくれたようだ。
「今後は、二人で先に食べ始めてくれても構いません。……しばらく遅れるかもしれないので」
「何があったのよ、ユースティティア。いじめっ子狩りでもしているの? ……そんなに睨まないでよ、冗談だって」
ユースティティアに睨まれたアウローラ・フラーウムは弁解をする。
ユースティティアは溜息をついた。
「最近、お前大人気だもんな」
「アウルスは何か、知っているの?」
プロセルピナ・ウィオラケウムはアウルス・アルゲントゥムに尋ねる。
アウルス・アルゲントゥムは頷いた。
「まあ、予想はできるね」
「じゃあ、当ててみてくださいよ」
ぶっきらぼうにユースティティアが言うと、ニヤリとアウルス・アルゲントゥムは笑う。
「振るのに忙しいんだろ?」
「御明察です」
ユースティティアはそう言って手紙を四枚、取り出した。
つまり、ラブレターだ。
「凄いじゃない、ユースティティア!」
「羨ましいなぁ……私も、モテ過ぎて困っちゃう! って気分を味わってみたい」
アウローラ・フラーウムとプロセルピナ・ウィオラケウムは羨ましそうに言った。
ユースティティアは溜息をつく。
「こういうのは慣れてません……どうすれば角が立たないように断れるか、大変だったんですよ」
「へー、意外。ユースティティア、美人だからそういうのは慣れていてもおかしくないのに。今まで、告白されたこととか無かったの?」
アウローラ・フラーウムが尋ねると、ユースティティアは頷いた。
「私はこの大学に来るまでは、ずっとルルテリア家にいましたから。そもそも同年代の知り合いがいませんでした」
ユースティティアの周囲にいたのは養父母と、そして召使奴隷たちだけである。
ユースティティアを恋愛の対象として見るような者は一人もいなかった。
「それ以前の孤児院にいた頃は、イジメられてましたしね」
ユースティティアは呟いた。
「あ、あのさ、ユースティティア」
「……どうしましたか? プロセルピナ」
「その……不快に思ったら、その、謝るけど……孤児院って、どんなところだったの?」
プロセルピナ・ウィオラケウムが尋ねる。
アウローラ・フラーウムとアウルス・アルゲントゥムも気になるようで、ユースティティアに視線を向けた。
ユースティティアは溜息をついた。
「……不快に思ったので、謝って欲しいです」
「ご、ごめんなさい!」
「……許します。そうですか、そんなに気になりますか。まあ、気持ちは分かりませんが、理解はできます」
ユースティティアは三人の顔を見回す。
自分が孤児院でしたような苦労とは、無縁の素晴らしい幼少期を過ごしたのだろうと考えると、ユースティティアは少し腹が立ってきた。
ユースティティアは少し皮肉を利かせて言う。
「三人とも、これからの人生、何がどうなっても孤児院に行くことはあり得なさそうですしね。まあでも、三人はレムラ共和国の政界を牽引する名門貴族。後学のために知っておくのは良いことです」
「……悪かったよ、ユースティティア。別に無理に話す必要はないぞ?」
アウルス・アルゲントゥムが言うと、ユースティティアは少し拗ねたような表情を浮かべる。
「……これは感情論ですし、八つ当たりだとは思っています。だから予め謝っておきます、ごめんなさい。その上で言わせて貰いますが……過去を詮索されるのは不快です。ただ、全く気にしていないような態度を取られるのも不快です。過去を話すのも不快です。しかしあなたたちが全く、私の過去を知らないでいるというのも不快です」
過去を根掘り葉掘り聞かれるのは当然、嫌だ。
しかし、「過去なんてどうだっていいじゃない」みたいな態度を、少なくとも両親が当事者である者たちに取られるのは不愉快である。
同時に恥ずかしく、惨めな過去を相手に伝えるのは嫌だが……
しかし両親が当事者である者たちが、それを全く知らず、自分の友達面をしているというのも嫌な話だった。
「全部じゃない……」
アウローラ・フラーウムが言うと、ユースティティアは少しバツが悪そうな表情を浮かべる。
「これをあなたたちに言うのも変な話ですが……正直な気持ちを言うと、私はあなた方のご両親を少し恨んでいるので。まあ逆恨みですけど」
心のうちに燻っていた、どす黒い、汚い泥のような感情を口にする。
するとユースティティアは少し、気分が楽になるのを感じた。
もっともユースティティアの泥を浴びせられた三人は、居心地が悪そうにしていたが。
「孤児院がどんなところか、ですか。そうですね、独裁国家という例えが良いかもしれません。孤児院の院長が終身独裁官、その他の職員は国民、そして私たちは奴隷です」
設置された当初は崇高な使命があったのかもしれない。
だがしかし、ユースティティアが送られた時の、その孤児院は虐待と体罰が横行するようなところだった。
「毎日決まった時間に起きて、当番で決められた仕事をする。それに違反すると体罰です。ついでに、職員の腹の虫が悪い時に体罰ですね。特に、私は親が親だったので、どんなに体罰を与えても問題無いと思われていたみたいです」
三日に一度くらいの頻度で体罰を受けていたのかもしれない。
ユースティティアは少しだけ、過去を思い出した。
「た、体罰って……どういうの?」
アウローラ・フラーウムが尋ねる。
貴族だから体罰など、一度も受けたことが無い。
……などということは、あり得ない。
レムラ共和国では、体罰は子供の教育のために必要不可欠なことと認識されている。
例えば家庭教師奴隷などは、主人の子供を教育するのが仕事なので……
子供が言うことを聞かない時は、殴る権限が主人から与えられていたりするくらいだ。
もっとも、そういう体罰とユースティティアが受けた体罰は別種のものである。
「代表的なのは平手打ちです。左右同時からやられると、凄く痛いです。あと髪の毛を掴んで引きずり回されたり。お尻や太腿を、手や鞭で叩かれるような体罰も、よくありました。まあ、でもこの辺りは軽い方です」
暴力的な体罰は、その時限り、一回で済む。
良くも悪くも、やり慣れている所為か手加減も心得ており、少なくとも後に響くことはない。
「酷いのになると……ギザギザの木の板に正座させられ、長時間『反省』させられたことがあります。あと、食事を抜きにしたりとか、重労働をさせるとか。こういうのは平手打ちの後に言い渡されることが多いです」
特に辛いのが食事を抜きにさせられることである。
元々、孤児院の食事の量は少ないのだから、空腹であたまがおかしくなりそうになる。
「一番辛かったのは、真冬に下着一枚にされて、水を掛けられて、外に放り出されたことです。その日は雪も降ってましたから……死ぬかと思いました」
想像していた以上だったのか、三人が息を飲むのが分かった。
ここまで話してしまったのだから、最後までは話してやろうと……ユースティティアは饒舌に語り続ける。
「顔がムカつくから、という理由で平手打ちされた時は本当に理不尽だと思いましたけど。まあでも、体罰だけなら、まだマシでしたね」
ユースティティアは「教育に体罰が必要」という考えには甚だ疑問を抱いている。
もし体罰を受けることで素晴らしい人間になれるのであれば、ユースティティアの孤児院にイジメは存在しなかっただろう。
子供は大人のやることを真似する。
暴力で躾けられた子供は、暴力でしか相手を躾けられないし、また暴力でしか物事を解決できなくなる。
――無論、これは今のユースティティアにも当てはまることだが。
「何しろ、私は唯一のお貴族様出身ですからね。他の子供たちはみんな、平民階級です。仲間外れにされますし、嫉妬も受けます。魔法なんて、まだまともに使えませんから。大事なのは暴力です。体の大きな、男子が一番偉い。私なんて、チビで非力ですから。最下層ですよ」
子供が純粋無垢というのは大人の幻想である。
いや、純粋無垢なのは事実なのかもしれない。
純粋無垢だからこそ、とてつもなく残酷なことを思い浮かべたりする。
「殴られ、蹴られは当たり前です。掃除当番を押し付けられたり、何か物を壊した時はその罪を押し付けられたことがあります。あと、毛虫を肌に押し付けられたことがありましたね、何回か。一番怖かったのは、どうやってやったのかは知りませんが、蜂が十匹くらい飛んでいる部屋に閉じ込められたことです。他にも石を投げられたりとか、靴に針を入れられたりとか、床とか便器を舐めさせられたりとか。掃除で使った後の雑巾で顔を拭かせられたことも、ありましたね」
よくもまあ、考えつくものだとユースティティアは思い出しながら感心してしまった。
そしてチラり、と三人の顔色を伺う。
どうやら純粋培養のお貴族様には刺激が強かったようだ。
信じられない、という表情を浮かべている。
(……少しは気に病んでください)
ユースティティアは意地悪なことを考えつつ、更に言葉を重ねる。
「服を破かれることもあります……いや、破られるよりも奪われる時の方が多いですね。真冬に服を取られると、肌着で過ごす羽目になるので、これだけは死守する必要があります。それと……税金のようなものを徴収されます」
「……税金?」
アウルス・アルゲントゥムが首を傾げた。
ユースティティアは頷く。
「体格の大きい男子たちが、他の子供たちから食べ物を徴収するんですよ。肉とか魚とかが出ると、十中八九奪われます。甘い物なんて、食べれたことは一度もないです。そうなると、私なんて一番弱っちいので、一番食べ物を取られやすいですし、当然取られた分だけ痩せます。おかげ様で身長が今でも低い」
ユースティティアは同学年の十歳の子供たちよりも、頭一つ分だけ小さい。
幼少期の栄養不足が未だに尾を引いているのだ。
「もっとも……私だって、やられっぱなしではありません。仕返しの一つや二つ、しますよ。もっとも、暴力では勝てないので、物を盗むという形になりますけど。子供って、小石とか玩具とかを宝物にするじゃないですか。そういうのを、奪ってやるんです。後日、泣きそうな顔で探しているんですよ? 普段は偉そうにしている男子が」
あれは見てて滑稽だ。
あれほど愉快なことはそう多くは無いだろうと、ユースティティアは思っている。
まあ、疑われて「どこに隠したか言え!」とますますイジメそのものはエスカレートするのだが。
終ぞ、ユースティティアは彼らの宝物を返すことはなかった。
今でも、戦利品として持っている。
「最高だったのは、あの、院長の指輪を隠してやった時です。何でも恋人だか、婚約者だか、結婚相手の形見? だそうです。独裁者に、お前の父親に殺されたんだと、私に体罰を振るってきた時に言ってましたよ。馬鹿ですよね、そんなことを私に言うなんて。奪ってくれって、言ってるようなものですよ」
それはユースティティアの持つ、最大の戦利品だった。
もっとも……見つかりそうになったので、下水に流してしまったのだが。
後半は少し自慢話になってしまった。
心の泥を全て吐き出してスッキリし、さらに自分の「戦果」の自慢をすることですっかりユースティティアの気分は良くなっていた。
「面白くない話を聞かせてしまって、申し訳ありません。でも……おかげで、少し心が軽くなりました。機会をくれてありがとうございます、プロセルピナ」
「そ、そう……それは、良かったよ」
引き攣った笑みを浮かべるプロセルピナ・ウィオラケウム。
アウローラ・フラーウムやアウルス・アルゲントゥムも、複雑そうな表情を浮かべている。
「……もしかして、引きましたか?」
ユースティティアは少し後悔し始めた。
もしこれをきっかけにして、三人に距離を置かれてしまったら……と思うと、とても嫌な気分になる。
「すみません。感情の赴くままに話してしまいました……そうですね。あなたたちにこんな話をしても、仕方がないですね」
ユースティティアは溜息をついた。
たまに自分の性格の悪さが嫌になることがある。
すると三人は揃って首を横に振った。
「そんなことあるか。まあ、驚きはしたが……お前のことが知れて、良かったと思っている」
と、アウルス・アルゲントゥムが。
「私は少し、スカッとしたわ。あなた、ちゃんとやり返してたのね! してなかったら、私がその孤児院のところに行って、魔法を放つところだったわ」
とアウローラ・フラーウムが。
「まあでも、最後のはちょっと、形見を下水に流すのは可哀想な……いや、やられて当然だったとは思うけどね?」
とプロセルピナ・ウィオラケウムが言った。
ユースティティアは内心で少しホッとした。
「私も反省はしています、後悔はしていませんが。まあ、形見を流すのはさすがに可哀想でした。やってしまったことなので、もうどうしようもないですけど。ああ、そうだ。下手な同情はしないでくださいね? イジメられたのは事実ですけど、私はやり返しもしたんですから。私は一方的な被害者ではありませんから……同情されるのは筋違いですし、臆病者みたいに見られるのは嫌です」
自分の印象が悪くなるような、仕返しの話をしたのは……
「可哀想な子供」扱いされるのが嫌だったからである。
見下されるのは我慢ならなかった。
友達……かどうかはまだ分からないが、三人とはできるだけ対等でいたかったのだ。
さて、後日のことだった。
「……寄付金、ですか?」
「ああ、父上に聞いてみたんだがな。俺の父上はお前のところの孤児院に、多額の寄付をしていたそうだ。……一応聞くが、本当に食事は粗末で、服もまともになかったんだよな?」
「ええ、そりゃあ、もう。というか、私に対しては嫌がらせで、食事の量もわざと減らされてましたし、一番ボロボロの雑巾一歩手前みたいな服でしたし」
アウルス・アルゲントゥムの質問にユースティティアは答える。
さらに……プロセルピナ・ウィオラケウムとアウローラ・フラーウムの話によると、二人の両親もこっそりと寄付をしていたようだった。
(……全く、気に掛けていなかったわけではないんですね)
ユースティティアは内心で、理不尽な恨みを抱いていた、三人の両親に謝罪した。
そして……暗い笑みを浮かべる。
「つまり、です。寄付金が孤児院の運営に使われず、どこかで消滅していたことになりますね。不思議ですねぇ」
無論、お金が消滅するはずもない。
誰かが、不正に使用していたことになる。ユースティティアは丸々と太っていた、孤児院の院長や綺麗な服を身に纏っていた職員たちを思い浮かべた。
「アウルス、あなたの御父上にお伝えください。お願いします、と」
「……ああ、分かった」
アウルスは頷いた。
ユースティティアは鼻歌でも、歌いたい気分になった。
近い内に、とても愉快なニュースが聞けるだろう。
何なら、自分も協力しても良い。
ユースティティアはそう思い、残忍な笑みを浮かべるのだった。
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