第6話 価値観の相違
翌日。
内心、ビクビクしながらユースティティアは大学の食堂へとやってきた。
これで「ウッソピョーン!」などと言われれば、さすがのユースティティアも泣く自信があった。
周囲には仲良さそうに、多くの年齢層の生徒たちが食事をしている。
それはユースティティアには縁遠い世界のように思われた。
キョロキョロと周囲を見渡す。
人が多すぎて、見つけることができない。
(……一応、来たには来た。でも見つからなかった。仕方がない、帰ろう)
ユースティティアは回れ右をしようとする。
だが……
「ユースティティア! こっちだ!」
「……」
アウルス・アルゲントゥムの声がした。
声の方を探すと……アウルス・アルゲントゥムと、女子生徒が二人いた。
アウルス・アルゲントゥムの隣の席が丁度空いている……ユースティティアの席なのだろう。
もう逃げられない。
ユースティティアは覚悟を決めて、アウルス・アルゲントゥムのところへ赴いた。
「見つからないので、帰ろうかと思いましたよ」
そして言い訳するように言った。
するとアウルス・アルゲントゥムは紳士的にも、隣の席を引いた。
「まあ、座れ。お前は……弁当だったか?」
「はい」
「せっかく来てくれたんだ、何か食べたいものがあったら奢ってやっても良いぞ。デザートとか、な」
「それはどうも。その時、考えます」
飴と鞭か。
ユースティティアはそんなことを考えた。
席に座ったユースティティアは目の前の二人の女子生徒を観察する。
学年は胸元に着けているバッチで分かる。
見たところユースティティアと同学年の一年生のようだった。
片方はおっとりとした感じの、亜麻色の髪の少女。
もう一人は気が強そうな、栗色の髪の少女だ。
「ユースティティア、紹介しよう。こっちがプロセルピナ・ プーテロプス・ウィオラケウム。で、こっちがアウローラ・カーニス・フラーウムだ」
どうやら大人しそうな亜麻色の髪の少女が、プロセルピナ・ウィオラケウム。
活発そうな栗色の髪の少女が、アウローラ・フラーウムのようである。
「はじめまして。プロセルピナ・ プーテロプス・ウィオラケウム、プーテロプス・ウィオラケウム家の三女だよ。よろしくね。プロセルピナって、呼んで。 えっと……ルルテリアさん?」
「はじめまして。私はアウローラ・カーニス・フラーウム。誇り高き、カーニス・フラーウム家の長女よ。よろしく、アートルムさん」
口調からして、どうやら見た目通りの性格のようだった。
ユースティティアは少しドキドキしつつも、緊張を顔に出さず、あくまでクールな表情で、仕方がないから来てやったという体を崩さずに、挨拶を返す。
「二人とも、ご丁寧にどうも。えっと、プロセルピナ、アウローラ。私はユースティティア・ルクレティウス・ルルテリア。……私のことはユースティティアと、呼んでください。家名はあまり、実感がないので」
あくまで養子であるユースティティアにとって、「ルクレティウス・ルルテリア」という家名は少しピンと来ない。
「バルシリスク・アートルム」という名門貴族としての家名には、全く誇りを感じないこともないが……その家名の所為で差別されてきたこともあり、好きになれなかった。
「そうだったの? じゃあユースティティアって呼ぶね!」
「ふーん、まあ良いけどね。よろしく、ユースティティア」
ニコニコと笑顔を浮かべているプロセルピナ・ウィオラケウム、怪訝そうな表情のアウローラ・フラーウム。
何となく、ユースティティアは二人がどういうタイプの人間か分かってきた。
「そうだ、ユースティティア! 決闘、見たよ! すっごく、カッコよかった!!」
「私も見たわ。正直、見直した。最初は気弱な根暗な弱虫だと思ってたけど……やっぱりあなたは誇り高き貴族ね!」
「それは……どうも。ありがとう、ございます」
ユースティティアは思わず頬を掻いた。
そこまで絶賛されると、少し嬉しく思ってしまう自分がいる。
「ユースティティアは本が好きなの?」
「……まあ、嫌いではありません。大好き、というほどではありませんけど」
ユースティティアが読書をするのは、読書をするしかないからである。
本が友達、というよりは本しか友達がいない。
また、純粋に知識を得るためという目的もある。
魔法使いや魔術師にとって、知識はそのまま力になる。
強くなくてはいけない、と思いこんでいるユースティティアが本を読むのは当然のことと言える。
「どういう本を読んでいるの?」
「まあ……魔法とか、魔術の本です。最近は歴史とか、政治の本を」
「凄い! 勉強熱心なんだね!」
ニコニコとプロセルピナ・ウィオラケウムが言った。
何と返せば良いのかユースティティアは分からなかったので、曖昧に頷いた。
「小説とかは、読まないの?」
アウローラ・フラーウムが尋ねる。
ユースティティアは小さく頷いた。
「小説、ですか。あまり読んだことはないです……教養としてなら、いくつか目を通したことがありますが」
小説を読んで、一体人生の何の役に立つのか。
ユースティティアにはよく分からなかった。
ユースティティアにとっては、その内容がどのようなもの――喜劇であり悲劇であれ――であっても、実生活に役に立たない以上は総じて価値のないものであった。
小説を読むのは余裕のある人間だけ。
ユースティティアには余裕がない。
力がないと、何もかも奪われてしまう……それなのに余計なことに時間を費やす時間がなかった。
「この本とか、読んだことある?」
「……いえ、無いです」
「そうなの? 今、流行っている恋愛小説なんだけど」
「恋愛、ですか」
ユースティティアは表情は変えずとも、内心で苦々しい思いを抱いた。
予知夢のこともあり、ユースティティアは恋愛とは距離を置きたいと思っていた。
無論、予知夢を見る以前のユースティティアにとって幸せとは「結婚して、子供を産んで、温かい家庭を築くこと」だったので、むしろ願望は強いのだが。
その気持ちには強引に蓋をしていた。
「知っていたら、話をしたかったんだけどな……」
「そ、そうですか……プロセルピナも読んだことがあるんですか?」
「うん、面白かったよ」
少し残念そうな表情を浮かべているアウローラ・フラーウムと、ニコニコと笑うプロセルピナ・ウィオラケウム。
そんな二人を見て、ユースティティアはなるほどと内心で納得した。
(これが小説の価値、か)
つまり話題の共有、コミュニケーションツールである。
分からなければ、置いてきぼりにされるわけだ。
「……まあでも、私も全く小説を読まないわけではありませんから」
そう言ってユースティティアは試しに、いくつか読んだことがある「名作」の名前を口にする。
これを切っ掛けに、何か話でも……と思ったのだ。
しかしアウローラ・フラーウムとプロセルピナ・ウィオラケウムはあまり興味が無さそうだった。
「聞いたことはあるわ……それ」
「でも読んだことはないなぁ……難しそうだし」
「そ、そうですか」
少し空気が悪くなった。
「俺は読んだことあるぞ? ただ……まあ、古い作品だからな。聞いたことはあっても、読んだことはないってやつは多いんじゃないか?」
アウルス・アルゲントゥムがフォローを入れる。
ユースティティアのアウルス・アルゲントゥムへの評価が若干上がった。
「……貸して貰っても、良いですか?」
「え、何を?」
「ですから、その、恋愛小説です。汚さないようにしますから」
ユースティティアがそう言うと、アウローラ・フラーウムは目を輝かせた。
そしてユースティティアの胸に本を押し付ける。
「すっごく、面白いから。読んだら感想聞かせなさいよ? 明日、二巻を持ってくるから」
「二巻? 上下巻なんですか?」
あまり長いと嫌だな、とユースティティアは内心で思った。
話題共有のために読むつもりであって、その本の内容そのものにはそこまで興味はなかった。
「長編だから、五巻まで出てるよ! 私、全巻持ってるの。続刊はそろそろ出るんじゃないかな?」
プロセルピナ・ウィオラケウムが言った。
ユースティティアは内心でギョっとする。
「そ、そうですか。それは読みごたえがありそうですね、楽しみです」
ユースティティアはアウローラ・フラーウムから受け取った本をカバンにしまった。
そうこう話していると、ユースティティアを除く三人が注文した料理を召使奴隷が運んできた。
ユースティティアも弁当を出して、四人で食事を始める。
基本は女子二人がユースティティアに質問をして、それに対してユースティティアが答え、時折アウルス・アルゲントゥムがフォローをするという構図だった。
気が合う、とまでは言えないが……
それなりに会話も弾む。
ユースティティアも少しずつ、饒舌になっていき、笑みも浮かべるようになる。
「……デザート、一番高いのを頼んで良いですか?」
「お前、意外とがめついな。まあ吐いた言葉は戻さないけど」
メニューを見ながらそんなことを言うユースティティアを見て、プロセルピナ・ウィオラケウムとアウローラは揃って笑った。
ユースティティアは眉を顰める。
「……どうしましたか?」
「いや、あんたも案外普通なんだなって」
「正直、もっと怖い人かと思ってた」
アウローラ・フラーウムとプロセルピナ・ウィオラケウムは言った。
「失礼な。そもそも、それはこちらのセリフです。……貴族の人は、もっと偉そうな感じなのかと思っていました」
意外に話してみると、自分とさほど変わらない。
と、ユースティティアはアウルス・アルゲントゥムやアウローラ・フラーウム、プロセルピナ・ウィオラケウムの三人をそう評した。
もっともアウルス・アルゲントゥムは未だにあまり好きになれないが。
「……あなたも貴族じゃない。ルルテリア家で育てられたんでしょ?」
アウローラ・フラーウムが言った。
アウルス・アルゲントゥムも、プロセルピナ・ウィオラケウムも……ユースティティアの言う「貴族の人は」という発言に疑問を抱いているようだった。
お前も「貴族」だろう、と。
「……いえ、私は、その、六歳まで孤児院にいたので」
ユースティティアがそう答えると、少し空気が悪くなった。
三人は困ったような表情を浮かべており、特にアウローラ・フラーウムの顔色はあまり良くない。
そして……ユースティティアも少し不愉快な気分になってきた。
プーテロプス・ウィオラケウム家。
カーニス・フラーウム家。
ドラコウス・アルゲントゥム家。
三家とも、タルクィニウス・アートルムが終身独裁官となってレムラ共和国を支配していた頃に執政官や法務官、監察官といった要職を担った、名門貴族家であり……
そしてタルクィニウス・アートルムが病死した後に、掌を返したように無実を訴えて、罪を逃れた一族だ。
(……さぞや、良い生活を送っていたんでしょうね。両親から愛されて、温かい食事も、ベッドもあって。理不尽な体罰も、イジメられたこともなく、召使奴隷にかしずかれて育ったんでしょう。私が、孤児院で辛い思いをしていることも知らずに)
ユースティティアが高位貴族の者たちに声を掛けなかったのは、そう言う理由がある。
自分を見捨てて、のうのうと生きていた奴らの息子や娘、と考えると心の奥底からどす黒い嫉妬のようなものが湧き出てくるのだ。
無論、これは八つ当たりだ。
疑われている中、ユースティティアを引き取って育てるのはリスクがある。
そして彼らが幸福だったせいで、ユースティティアが不幸になったわけでもない。
ただ……気に食わなかった。
気まずい雰囲気に耐え切れず、ユースティティアは立ち上がった。
「お花を摘みに行ってきます」
そう言って食堂を後にした。
「はぁ……良い雰囲気だったんだけどな」
トイレから出たユースティティアは溜息をついた。
この後、食堂に戻るのは憂鬱だった。このまま帰ってしまっても良いが、しかしデザートをすでに注文してしまっている。
これを食べずに帰るのは、あまりにもアウルス・アルゲントゥムに対して失礼だった。
(私に、友達とか無理なのかな?)
ユースティティアは酷く悲しい気持ちになった。
「孤児院で虐待を受けていた」という過去はユースティティアの性格を暗くし、性根を捻じ曲げ、そして人間関係を阻害しているように思えた。
(どうして、私ばっかり……)
ユースティティアは嫌な気分になる。
食堂に戻るつもりはあるが……すぐに戻るのも嫌だったので、外の空気でも吸おうと一度外へと出た。
すると……
「おい、早く出せよ……」
「は、はい……ど、どうぞ……」
「ああ? これっぽっちか? こんなんじゃ、菓子も買えねえよ」
上級生と思しき生徒たちが、下級生をカツアゲしていた。
最初は見て見ぬフリをしようとしたユースティティアだが……ふと気付く。
その上級生はユースティティアの眼鏡を破壊した、四年生だった。
(……腹いせに丁度いい)
むくむくと心の奥底から湧き出る残忍な気持ちに従い、ユースティティアは腰の杖に触れながら、四年生たちへと近づいた。
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