第21話 アートルム家の遺産
「もう、やめてください」
ユースティティアが声を荒げた。
そして溜息をつき、言った。
「……父親と、友人の父親が醜い言い争いをしているのは、見てられませんよ。それに、何で二人とも私の意志を無視しているんですか? 私の意志を無視して押し付けるようでは……どっちもどっちですよ」
ユースティティアの言葉に、二人は押し黙った。
それからユースティティアはアルゲントゥム卿の方を向く。
「お気遣い、感謝いたします。でも、私は大丈夫です。もし差し障りがなければ、父を同席させて貰えないでしょうか?」
「……良いのかね?」
「大丈夫です」
もっとも、「大丈夫」というのはあくまで今までの養父母との関係から考えての、理性的な判断である。
つまり感情的には……完全に信じているわけではない。
人間不信のユースティティアは、理性で九十九%信用できると考えても、残り一%でも疑わしい可能性があれば、感情的にその人を信じることができない。
ユースティティアは今まで、一度たりとも他者に、その心の全てを任せたことはない。
とはいえ、このままでは話が進まない。
こればかりは仕方がない。
「……良いでしょう。では、この場には私とユースティティア君と、そしてルルテリア殿だけ残って、他の者は退室してくれ」
全員が退室した後……
アルゲントゥム卿は奴隷を呼び出して命じる。
「例の物を持ってきてくれ」
「分かりました。ご主人様」
そのやり取りを見ながら、ユースティティアは「奴隷は人に含まれないからセーフなのね」と内心で思った。
それからアルゲントゥム卿はその「例の物」を奴隷から受け取り、今度は奴隷すらも退室させる。
「まずは……これだ」
アルゲントゥム卿が小箱から取り出したのは、金の指輪だった。
「……これは?」
「バルシリスク・アートルム家の印章指輪だ。君が家を復興させるのに、絶対に必要となるものだ。どうにか、閥族派から守り切った。これを君に返す」
ユースティティアはアルゲントゥム卿から受け取った印章指輪をまじまじと観察する。
黄金で出来た指輪には、バシリスクの印章――アートルム家の家紋――が彫りこまれていた。
おそらく、バルシリスク・アートルム家の家長が重要な書類に印を押すのに使うもので……
同時にアートルム家の家督相続の証なのだろう。
「願わくば、そこの男に盗られることがないことを願う」
「まだ言うか……私はそんなことはしない! 先祖に誓ってだ!」
「ふん……それは結構だ。さて、もう一つはこれだ」
アルゲントゥム卿は小さな木箱を開けて、そこから鍵を取り出した。
それをユースティティアに手渡す。
「これは?」
「……レムラ市中心部に、アートルム家の屋敷があるのは知っているかな? そこは強力な結界で守られている。だから閥族派も手を出せなかった。その鍵は屋敷を出入りするのに必要不可欠なものだ」
ユースティティアは眼鏡を外し、よくよく観察する。
すると、とてつもなく複雑な魔法式が鍵を覆い隠していることが分かった。
今のユースティティアでは、到底読み解けない。
「おそらく、あの屋敷にはアートルム家の財産の殆どが隠されているはずだ。全て、君の物だ」
「私の、物」
ユースティティアの目が輝いた。
鍵を自分の胸に抱く。
ついに、本来自分の物になるはずだったものが帰って来たのだ。
「ただし、ユースティティア君。今は絶対に屋敷に入るな……いや、近づいてはいけない。法的には屋敷は共和国政府に接収されたことになっているからね。それに……閥族派は屋敷と、その中の財産を狙っている。……だからそこの男の前でこの話をしたくなかったんだが」
アルゲントゥム卿はそう言って、ルキウス・ルルテリアを睨む。
ルキウス・ルルテリアも睨み返した。
「ふざけるな。何度も言うが、私はユースティティアの財産を盗むような真似は、誓ってしない。ユースティティアが成人したら、出来る限りの財産は彼女に返すように、元老院に働きかけるつもりだ」
「ふん、どうだか……ユースティティア君。そこの貧乏貴族がもし金を無心してきても、金貨一枚たりとも渡してはならないぞ。こういう奴は、金貨を一枚渡すと、次は十枚、次は百枚と要求がエスカレートする。一生に一度のお願いだ、お前を育ててやっただろう? 親孝行だと思え、とか言ってな」
「はぁ……」
もし仮に養父母がお金に困って助けを求めて来たら、遺産のあるなしに関わらず、ユースティティアは助けるつもりでいる。
引き取って、育てて貰った恩を忘れるほど、恩知らずではない。
「当たり前だ! ユースティティア、もし私がお金に困っていても……助ける必要はないからな? 私とルーナはそんなことのために孤児院からお前を引き取ったわけじゃない。子供から金を強請るなど、そんな恥知らずなことをするくらいなら飢え死にした方がマシだ」
「……飢え死にされたら困りますよ。その時は、ご飯でも作りに行きます」
アルゲントゥム卿に煽られた結果、妙に頑なになってしまったルキウス・ルルテリアは、極端なことを言い出した。
いくら親が要らないと言っているからと言って、親を餓死させるなど、世間的に許されるはずもない……というより、そこまでユースティティアは親孝行ではない。
そのレベルになったら、さすがに反抗させて貰う。
「……まあ、一先ず私が君に渡したいものは全てだ。何か、聞きたいことはあるかな?」
聞きたいこと?
ユースティティアは少し考えてから、口を開く。
「あの……遺産とは関係ない話なのですが……少し前にセクストゥス・リュープス・ルベルムという、その、なんか、気持ちの悪い男に出会いました」
ユースティティアがそう言うと、アルゲントゥム卿とルキウス・ルルテリアは目を見開く。
「ユースティティア! 良いか、絶対にあの男に近づくな!」
ルキウス・ルルテリアは凄まじい剣幕で言った。
アルゲントゥム卿も頷く。
「それに関しては、ルルテリア殿に同意しよう。あの男は本当に見境がなく、危険だ。……君はアートルム卿の娘。あの男に目を付けられてもおかしくない。いいか、ユースティティア君。あの男を見かけたら……そこがどこであろうとも、警戒しろ。周囲に人がいるからと言って、安心するな。そして……もし二人切りになる事態になったら、絶対に逃げるんだ」
「そうだ、ユースティティア。……絶対に戦おうなどと、考えてはいけない。とにかく、逃げることだけを考えろ!」
二人に詰め寄られたユースティティアは、勢いに乗せられる形で頷いた。
「わ、分かり……ました」
果たしてそんなに危険なのだろうか?
ユースティティアは内心で疑問に思った。
まだピウス教授の方が強そうな気がするが。
それからアルゲントゥム卿はユースティティアに言う。
「聞きたいことは、それで終わりかな? ……君が良ければ、今日は泊まっていってくれても構わない。アウルスも喜ぶだろう。ユーノーは……分からないが」
「ご厚意、ありがとうございます。ですが……あまりこれ以上いると余計ないざこざが起こりそうなので、帰らせて頂きます」
ユースティティアが一人で泊まるなど、ルキウス・ルルテリアは絶対に許さない。
つまりルキウス・ルルテリアもこの屋敷に宿泊することになる。
そうなれば顔を突き合わせるたびにルキウス・ルルテリアとアルゲントゥム卿の二人は喧嘩をするだろう。
ユースティティアからすると、それはあまりにも見ていられない。
「ふむ、そうか。では今日はここでお開きとしよう……もしまた遊びに来たかったら、いつでも来てくれ。歓迎しよう。もっとも……できればそこの男は抜きで来て貰いたいがね」
「ふん! ユースティティアを一人きりで、貴様の家に上げるなど考えられん! そんなことは絶対にあり得ない!」
「お父様……はぁ、帰りましょう」
今にも喧嘩しそうになる二人を見て、ユースティティアは溜息をつく。
そしてルキウス・ルルテリアを引っ張り、ルーナ・ルルテリアと合流。
三人はアルゲントゥム家から撤収した。
「結局、何だったの? 遺産相続の話というのは」
「それは……」
「ユースティティア」
ルキウス・ルルテリアはユースティティアの言葉を遮った。
「このことを知る人間は、少ないに越したことは無い。だから、ユースティティア。誰にも話すな。……ルーナ、すまない。君のことを信頼していないわけではないんだ。ただ……」
「いえ、そこまで誰にも知られない方が良い話なら……私も知らない方が良いでしょう。万が一がありますからね」
何者かに捕まり、拷問される。
魔法で強引に頭の中を覗かれる。
自白剤を使用される。
考えられる「万が一」はいくらでもある。
最大の防諜は「話さないこと」なのは間違いない。
「それにしても大きなお屋敷でしたね。料理も美味しかったですし……」
ルーナはアルゲントゥム家での昼食会を思い出しながら言った。
ユースティティアは同意するように頷く。
「そうですね。私も……お父様がいなければ、一晩お泊りさせて貰いたかった……」
そうすれば少なくとも夕飯と朝食を食べることができる。
さすがにあれほど豪勢ではないだろうが……作っている料理人は同じなのだから、とても美味しいはずだ。
「冗談じゃない! あんな成金趣味の……」
「アルゲントゥム家は成金じゃなくて、大昔からの金持ちじゃない」
「お父様だって、何だかんだで食べてたくせに」
妻と娘に言われ、口ごもるルキウス・ルルテリア。
ユースティティアは笑みを浮かべた。
「まあ……将来、私が出世してお金持ちになったら、二人にはあれよりももっと豪勢な食事を御馳走してあげます」
「あら、それは楽しみにしているわ。ねぇ、あなた?」
「……そうだな。うん、楽しみにしていよう」
ルキウス・ルルテリアは笑みを浮かべた。
「大きなお屋敷でしたね、ご主人様」
「そうですね。奴隷もルルテリア家よりもたくさんいました」
帰宅後、ユースティティアは自分専属の召使奴隷、アルミニアとそんな話をしていた。
ユースティティアは全裸で、臀部にタオルを掛けただけの姿で横たわっている。
アルミニアは横たわるユースティティアに対してマッサージをしていた。
オリーブオイルを、白いユースティティアの肌に垂らす。
それをゆっくりと広げ、塗りながら、背中や腰、腕、足を指圧する。
「まあ、私にはアルミニアが一人いれば十分ですけどね」
「あら、それは嬉しいです。ご主人様……とはいえ、私もまだまだ未熟の身。もっと、ご主人様のお役に立てるようになりますね?」
アルミニアはそう言いながら、ユースティティアの肌を撫でる。
時たま、くすぐったそうにユースティティアは体を震わせる。
「アルミニア」
「どうしましたか? ご主人様」
「……以前、私がどんな道を選ぼうとも、私について来てくれると言ってくれましたよね」
「ええ、はい。言いました」
アルミニアは頷いた。
するとユースティティアは頬を少し紅潮させて、言った。
「……ありがとうございます。嬉しかったです。これからも、私に仕えてください」
「身に余るお言葉です。誠心誠意、御仕えいたします」
アルミニアは笑った。
ユースティティアは顔を背ける。
「勘違い、しないでください。どこまで行っても、あなたは私の、奴隷なんですからね。……姉みたいな顔をしないでください」
「はいはい、分かっていますよ」
「……はいは一回ですよ、アルミニア」
「はい。ご主人様」
嬉しそうにアルミニアは笑った。




