第11話 独裁者の娘
国立大学では授業はある程度、選択できる。
というのも魔法や魔術は、分野によって得意不得意が分かれやすく、人によって各分野の習熟度が全く異なるからである。
また生徒によっては両親から事前に教わっていた者も存在する。
そういうわけで、最低限いくつかの分野で『上級』までの難易度の授業で合格点が出れば、卒業要件を満たすことができる。
ユースティティアや、アウローラ・フラーウム、プロセルピナ・ウィオラケウムの三人の時間割は、一、二年生が共通して受講しなければならないとされている『哲学』と『自由七科』――文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽――を除くと揃わないことが多いため、教室での移動で一緒になることは少ない。
一人で廊下を歩くユースティティア。
大学の生徒たちはユースティティアを見ると、ヒソヒソと何かを話してから道を開ける。
――陰口を言われている。
もっとも、ユースティティアからすると友達とは言えないものの、一般的にはもう十分友達と言える人間関係を築いているユースティティアにとって、気にするほどのことではなかった。
渡り廊下を歩いていると、ふと喧騒が聞こえた。
喧騒が聞こえる方を向くと、どうやら数人の女子生徒たちが揉め事をしているようだった。
「ふざけないで! 次、私の家を馬鹿にしてみなさい!! 絶対に許さないわ」
それはユースティティアがよく知る人物の声だった。
そう、アウローラ・フラーウムの声である。
「許さない? 何をするつもりか、言って見なさいよ。独裁者の娘にでも、泣きつくの?」
一方の声は聞き覚えはあったが……名前が出て来なかった。
取り敢えず、「独裁者の娘」がユースティティアのことを指していることだけは分かった。
ここで黙って見過ごすほど、ユースティティアは薄情ではなく、また我慢強くはない。
ゆっくりとユースティティアは騒ぎの中心へと近づいていく。
「お、おい……」
「マジかよ」
「本人登場とか……」
野次馬たちがユースティティアの登場に気付き、引き攣った顔で道を開ける。
アウローラ・フラーウムと、口喧嘩をしている女子の集団はヒートアップしている所為かユースティティアの登場には気付いていなかった。
「この、差別主義者の娘め! 『引き裂き 切り裂き 切断せよ!』」
女子生徒の一人がカッとなったのか杖を抜いた。
同時にユースティティアも杖を抜く。
「『防げ!』」
攻撃魔法はあっさりと、ユースティティアの盾魔法によって防がれた。
周囲の視線がユースティティアへと集まる。
「ゆ、ユースティティア?」
「アウローラ、あなたも人のことを言えない程度には喧嘩っ早いみたいですね」
「ち、ちが……それはこいつらが!」
友人に大喧嘩しているのを見られたのが恥ずかしいのか、アウローラ・フラーウムは顔を赤くして否定した。
ユースティティアはアウローラ・フラーウムを一瞥してから、杖で自分の左掌をパンパンと叩きつつ、ゆっくりとアウローラ・フラーウムと口論していた女子の集団へと近づく。
「口論だけなら、傍観しているつもりでしたが。切り裂き魔法ですか、随分と危険な魔法を放ちますね」
魔法式を調整していない、ごく普通の『切り裂き魔法』の威力は大したことはない。
精々が服を切り裂くくらいである。(もっとも喧嘩で相手の服を切り裂くというのは、相手に――特に女性に対しては――心理的なダメ―ジを与えられるので中々、有効なのだが)
しかし服を切り裂けるということは、皮膚を切り裂くことも可能である。
精々、切り傷ができる程度ではあるが……それでも怪我は怪我。
また、目に当たれば失明の危険もある。
「喧嘩で使うなら、『失神魔法』か『吹き飛ばし魔法』、『捕縛魔法』がお勧めですよ。特に『失神魔法』は当たればほぼ確実に相手を気絶させられますからね」
相手が大怪我を負う可能性のある魔法の使用は、出来る限り避けるべきである。
無傷で相手を無力化するのが、もっともスマートな勝ち方だ。
「ご教授して差し上げましょうか?」
ユースティティアは自分よりも背が高い女子生徒たちを見上げながら言った。
女子生徒たちは表情を強張らせる。
「っく、す、少し魔法が人よりできるからって偉そうにして! 覚えてなさい!!」
女子生徒たちはそんな捨て台詞をついて、立ち去っていく。
彼女たちが立ち去るのを見届けてから、ユースティティアはアウローラ・フラーウムに向き直った。
「怪我はありませんか?」
「え、ええ……ありがとう」
「いえ、そんなことはありません。ところで……原因は私、ですか?」
「……どういうこと?」
「いえ、その……私と付き合っているのが騒動の原因なのかと、思いまして」
ユースティティアは少し緊張しながら尋ねた。
もしそうなら……アウローラ・フラーウムやプロセルピナ・ウィオラケウムの二人とは距離を置かなければならないとユースティティアは思った。
「違うわよ。まあ、全くないとは言わないけど……そういうの関係なしに、あいつらは私の家を馬鹿にしたのよ。誇り高き、カーニス・フラーウム家をね」
「なるほど。大方の事情は分かりました」
タルクィニウス・アートルムがレムラ共和国を支配していたころ、カーニス・フラーウム家がその政権の中心にいたことを揶揄されたのだろうとユースティティアは察した。
そして今更ながら、ユースティティアは彼女らの正体に気付く。
予知夢の世界に於ける、ユースティティアのお友達である。
(予知夢の世界の私も、陰口とか叩かれていたんだろうか?)
約十年の人生を、十数時間に圧縮されたものが予知夢である。
そのため情報は断片的にしか分からないが……しかし客観的に予知夢の世界でのユースティティアと、彼女らの関係を考えると、裏で悪口の一つや二つ、言われていてもおかしくはなかった。
無論、予知夢の世界のユースティティアは最後の最後までそれに気付くことはなかったが。
「できるだけ、三人で行動した方が良いかもしれませんね」
「やめてよ、そんなの。それじゃあ、あいつらの言っている通りになっちゃうじゃない。私はあなたの友達だけど、腰巾着や護衛対象になったつもりはないわよ」
「そう、ですか……」(友達……)
友達という言葉に、どこか嬉しさと気恥ずかしさ、そしていつか裏切られるのではないかという不安感と、そして友達だと思ってくれている相手を友達と認識していないことへの罪悪感が心の内から湧いてくる。
ユースティティアは大きく首を振って、嫌な考えを振り切った。
「確かに、その通りですね。とはいえ、また同じようなことが起こるかもしれません。何か、方法を考えないといけませんね。取り敢えず、今のところは次の教室まで御一緒しますよ」
「そう、ね。まあ、確かに……あなたがいなかったら危なかったのも事実だし。うん、よろしく」
その後、ユースティティアはアウローラ・フラーウムを次の授業の教室まで見送った。
さて、後日。
放課後、ユースティティアが一人で本を読んでいると……
「その、ルルテリアさん。お話があるんだけど、良いかな?」
「あなたは……デキウス・グーリュープス・アウルム、ですか」
ユースティティアは本を閉じて立ち上がった。
何となく、用件は察していた。
先日のアウローラ・フラーウムと女子生徒たちとの喧嘩騒ぎのことだろうとユースティティアは予想する。
あの女子生徒たちはデキウス・アウルムの派閥に属する女子たちだ。
デキウス・アウルムの後に従い、図書館にある雑談が可能なスペースへと移動する。
「その、ルルテリアさん」
「何ですか?」
「先日、君の友達が……僕の友達と喧嘩していた時に、君が僕の友達へと魔法を放ったというのは本当か? そういうのは、その、やめて貰えないかな?」
「はぁ?」
ユースティティアは首を傾げた。
だが……確かに、考えてみるとそういうシチュエーションではある。
もっともユースティティアが放った魔法は盾魔法であり、そしてそもそも最初に魔法を放ったのはそちら側であるが。
こういうのは下手に認めるよりも、全否定した方が良い。
ユースティティアは首を横に振った。
「事実無根ですね。あなたのご友人が私の友人に魔法を放ったのを目撃したので、慌てて盾魔法で私は自分の友人を守った。それだけのことです。ですから、加害者はそちらです。やめてもらいたい、というのはこちらのセリフですね」
ユースティティアは眼鏡の内側から、瑠璃色の瞳でデキウス・アウルムを見つめた。
淡々としたユースティティアの言葉に、デキウス・アウルムは一瞬気圧される。
しかし……
「だ、だが、俺の友達はそう主張している」
「あなたは見たんですか?」
「い、いやそれは……」
「なら、これで話は終わりでしょう。あなたのご友人にお伝えください。暴言や陰口、悪口はともかく、直接魔法を放ったり、暴力を振るうのはやめるように、と」
暗にユースティティアはデキウス・アウルムの友人が、アウローラ・フラーウムを罵倒したことを伝えた。
もっとも喧嘩の切っ掛け、現場をユースティティアは見ていない上に詳しいこともアウローラ・フラーウムから聞いていないのだが。
ユースティティアの言葉に、デキウス・アウルムはムッとした表情を浮かべた。
「まるで、俺の友達が君の友達に悪口を言ったような言い方だな」
「ええ、そうですよ。違いますか?」
「俺の友達はそんなことはしない! 嘘をつかないでくれ!!」
友達を貶されて怒りを表すデキウス・アウルム。
デキウス・アウルムが大声を上げたことで、周囲の視線がユースティティアたちへと集まる。
何かと有名人な二人の口論だ。
これは面白そうだ、と言わんばかりに野次馬が増えていく。
もっともデキウス・アウルムはそれに気付いた様子は無かった。
「まるで、私の友人は日常的に嘘をつく悪者みたいな言い方をしますね。それはあまりにも失礼ではありませんか?」
ユースティティアが言い返すと、デキウス・アウルムは声を詰まらせた。
予知夢のこと、そして今までの短い付き合いから、ユースティティアはデキウス・アウルムという人間が本質的には「善人」であることを知っていた。
だからこそ、あっさりと友達の言い分を信じるし、そして正論を言われると言い返せなくなる。
デキウス・アウルムを責めるユースティティアは……
獅子の隙を伺い、鎌首を擡げている毒蛇のように見えた。
「い、いや、それは……」
「何を持って、私の友人が嘘をついていると?」
「だって、それは、き、君と君の友達の両親は……」
それは失言だった。
その失言を見逃すほど、ユースティティアは甘くはない。
デキウス・アウルムが見せた隙に対し牙を突き立て、毒を流し込む。
「生まれで差別をするんですか? 政治犯と、政治犯の容疑が掛けられた両親の娘だからと言って、嘘を言っていると? 酷い差別主義ですね」
それからユースティティアは、止めの一撃を口にする。
「まるで、タルクィニウス・バルシリスク・アートルムのようですね」
デキウス・アウルムの表情が強張った、
ユースティティアは毒が致死量に達したことを確信する。
「ふざけないでくれ! 俺をそんな差別主義者の独裁者と一緒にするな!」
「一緒とは、言ってないですよ? ただ、あなたが私と私の友人を……そういう色眼鏡で見るところが、まるでその差別主義者の独裁者のようだなと、指摘しただけです」
ユースティティアはさらに追い打ちを掛けていく。
「派閥の管理くらい、しっかりしてください」
「は、派閥? 彼女たちは俺の友達で……」
「タルクィニウス・バルシリスク・アートルムは自分の部下に対して、『我が盟友よ』と呼び掛けていたそうですよ? 彼女たちはあなたの腰巾着ですか? それとも護衛対象ですか? それとも従者か、部下ですか? まあ、どっちにしろ友達ではないですよね。だって、本当に友達なら……あなたに泣きついて助けてくれなんて、言わないでしょ? 少なくともこの場に来て、一緒に私へと文句を言うはずです。つまり対等な関係ではない。まあ一方的に頼られているのか、それともあなたが良いように利用されているのかは分かりませんが……」
すっかり言い返せなくなったデキウス・アウルムの胸を、ユースティティアは軽く指で突いた。
「交友関係を見直されることを、お奨めします。では、私はこれで」
相手を言い負かしたこと、相手の心を踏みにじることができたことへの高揚感からか、気分良さそうにユースティティアはその場から去っていった。
もっとも……
後から冷静になり、デキウス・アウルムを敵に回すことになったことに頭を抱えるのだが。
「学長。ユースティティア・バルシリスク・アートルムについて、どういたしますか?」
「正確には、ユースティティア・ルクレティウス・ルルテリアじゃよ。ラナトゥス副学長」
王立大学、学長。
プブリウス・ウルーラス・カエルレウムはラナトゥス副学長を咎めた。
プブリウス・カエルレウム学長は白い髭を蓄えた、青い瞳の老魔法使いである。
魔法学会に於ける最高権威であり、政界や財界にも影響力を持っている。
一方ラナトゥス副学長は眼鏡を掛けた、厳しそうな女性だ。
普段は魔法語や、哲学、自由七科を教えている。
「しかし学長。最近の彼女は少し、素行が悪すぎるのでは?」
「それは気のせいじゃよ。決闘騒ぎや喧嘩騒ぎなど、この大学ではよくあることじゃろう? いつもの学生のヤンチャじゃよ。確かに彼女は人一倍喧嘩騒ぎを起こしておるが……人を傷つけるような魔法は使っておらん。それに喧嘩は一人ではできん」
ユースティティアが完全に悪いというような喧嘩騒ぎは一度もない。
相手に非がある場合の方が多い。
「仰る通りです、学長。ですが……やはり彼女は似ています」
「そうじゃのぉ……確かに、似ている」
プブリウス・カエルレウム学長はユースティティアの容姿を思い浮かべる。
青色の瞳を除けば、ユースティティアの容姿は父親であるタルクィニウス・アートルムに良く似ていた。
しかし不安そうに、おどおどしていて、そしてイジメられても無抵抗でいる様はタルクィニウス・アートルムと似ても似つかない。
どちらかというと母親に似ているように思われた。
しかし以前の決闘騒ぎで眠っていた血が開化するかのように、急速にタルクィニウス・アートルムに良く似てきているようにプブリウス・カエルレウム学長は感じた。
「あの、目は良くないのぉ。他者を虐げ、踏みにじることに快楽を感じるような目は」
父親から受け継いだ真紅の魔眼のことではない。
眼鏡の内側に潜む、母親から受け継いだ青色の瞳。その瞳の奥底に映る、その本性のことである。
「それに人から物を奪うことが、癖になっているようじゃな。あれは良くない……だからワシは、あんな孤児院に送ることは反対したんじゃが」
誰からも愛情を受けず、憎しみを向けられて育ったことで……
悪意にはことさら敏感になり、一方で好意や愛情を信じられなくなった憐れな少女を思い浮かべる。
「あの子は、可哀想な子じゃ。見守ってやらねばならん。このまま退学にでもしたら……何をしでかすか、分からんぞ?」
「分かっております、学長。だからこそ……あなたのお導きが必要なのではないのですか? 見守るのも愛ですが、叱るのも愛かと」
ラナトゥス副学長はプブリウス・カエルレウム学長に言った。
ラナトゥス副学長からすると、どうもプブリウス・カエルレウム学長はユースティティアに対して遠慮しているように見えた。
特別扱い、というほどではないが妙に庇ったり、擁護したりしている。
「そうじゃのぅ……一度、話し合わねばならんな」
プブリウス・カエルレウム学長は呟いた。