第10話 派閥の結成
ユースティティアは甘い物が好きだ。
果物も好きだし、砂糖の甘味も好きだ。
塩辛いものや酸っぱいもの、苦い物、辛い物も好きだが……
それでも一番好きなのは甘い物である。
孤児院にいた頃はお菓子や果物は年上の、力の強い男子に全て取られてしまっていたこともあり、殆ど口にすることができなかった。
精々がパンに塗るジャムくらいである。
ルルテリア家に引き取られ、大きなホールケーキを食べさせて貰った時にはあまりの美味しさに涙を流したほどだ。
しかし……
「物事には限度がありますよ、限度が」
山のように積み上がったお菓子を見ながら、ユースティティアは呟いた。
そのどれもが甘いお菓子である。
ユースティティアの胃袋にも限界がある上に、食べ過ぎれば当然太ってしまう。
「申し訳ないですが、持ち帰って貰えませんか?」
ユースティティアがそう言うとお菓子を持ってきた者たちは悲しそうな表情を浮かべた。
そんな悲しそうな顔をされても、食べきれないものは食べきれない。
というよりも……
「そもそも、何なんですか? あなたたちは。急に、こんなたくさんのお菓子を」
最近、告白してきた男子生徒を片っ端から振ったためか、ラブレターの数は減った。
が、しかしそれに入れ替わるように『貢ぎ物』をユースティティアへ献上する者たちが現れたのだ。
「ユースティティア様は僕らの希望なんです! あと、これ、紅茶です」
「あ、気が利きますね……って、あなたはあの時の三年生ですか」
ユースティティアがいじめっ子から救出した、いじめられっ子だった男子生徒である。
お菓子に埋もれている中で紅茶を出せば受けも良く、そして目立つだろうと考えたのだろう。
「希望、というのは? ……あなたがいじめられていたことに関係が?」
「……はい」
男子生徒は暗い顔で頷いた。
何でも、彼はあまり家柄の良くない、貧乏貴族の家系らしい。
住宅も屋敷ではなく共同住宅で、奴隷もよぼよぼの老人が一人いるだけなのだという。
これは貴族としては、相当酷い。
奴隷が一人いるなら凄いじゃないか……と思うかもしれないが、レムラ共和国の市民はよほどの極貧でもない限り、奴隷を一人は保有している。
「それで……あの四年生たちの家に、借金がありまして」
「あー、なるほど」
貴族は金持ち。
平民は貧乏。
というような図式は、最近では当てはまらない。
特にアートルムの失脚以降、貴族の没落は進んでいる。
そして一方で平民の富裕化も進んでいる。
貴族よりも金持ちな平民も少なくなく、そして貴族に金を貸している平民も多い。
そして……実はユースティティアの養父母の家、ルルテリア家も借金がある。
もっともルルテリア家は屋敷も持っている上に、まだ農地や奴隷といった資産を有しているので切羽詰まっているわけではないのだが。
「僕、魔法戦闘の成績も悪くて……今まで逆らえなくて……」
「それはまた、大変でしたね」
一応、彼がユースティティアを信奉している理由については何となく分かった。
「みんな、大なり小なり僕のように貧窮した貴族家の出なんです。……もう、誇る物が血筋しかなくて。もう、威張り散らしている平民階級や騎士階級出身の魔法使いたちに怯えるのは嫌なんです!」
男子生徒の考えに賛同するように、ユースティティアの周りに集まっていた者たちが首を何度も縦に振った。
仕方がない。
「だそうですよ、アウルス。守ってあげたらどうですか?」
「いや、求められているのはお前だろ」
「アウルスが派閥を作らなかったのが悪いんですよ」
貴族にはノブレス・オブリージュというものがあるのだ。
アウルス・アルゲントゥムもノブレス・オブリージュの一環として、派閥を作って彼らを保護してやればいい、とユースティティアは主張した。
「アウルスはお金持ちですし、何より四大貴族家の一角を占める、あのアルゲントゥム家の長男です」
「お前もアートルム家の血を引いてるだろ」
「私はルルテリア家の長女です。精々、中流程度の貧乏貴族ですからね。いやー、アルゲントゥム家のアウルス様には敵いません。そういうことで」
ユースティティアはあまり「派閥」というものが好きではない。
先日、街中でバッタリと出会った元いじめっ子のガイウス君は孤児院で派閥を作り、ユースティティアをイジメていた。
嫌いな奴と同じ行動をしたいとは思わない。
「派閥なら、別に大きな派閥がいくつかあると思うけど。そっちの方に入れば良いんじゃないかな? 特に大貴族の派閥と言えば、あの四大貴族家の……」
「あ、あそこはちょっと……その、僕らの身分だと扱いが……」
プロセルピナ・ウィオラケウムがこの学校に存在する代表的な派閥を勧めるが、三年生のいじめられっ子は気弱そうな顔で首を横に振った。
「まあ、家柄も大したことのない、貧乏貴族が加入しても、奴隷みたいに扱き使われるだけでしょうね」
「はい……」
アウローラ・フラーウムの言葉に、いじめられっ子は項垂れて答えた。
他の者たちも同意見のようだ。
「ユースティティア様だけなんです! 強くて、血筋も良くて、頼りになるお方は! どうか、どうかお願いです! 僕らを守ってください!!」
いじめられっ子と愉快な仲間たちはユースティティアに平伏す勢いで頼み込んできた。
確かにこの大学での人間関係は、卒業後も大きく影響する。
何しろ、この大学はレムラ共和国の唯一の魔法使いの教育機関である。
彼らの経済事情を考えると、土地経営とか商売は不可能。そのため何らかの職業に就くしかないが……
このまま、何のコネも後ろ盾も得られないまま卒業してしまうと、将来的に碌な仕事には就けないだろう。
上流・中流貴族たちからは爪弾きにされ、一方で平民階級や騎士階級出身の魔法使いからはいびられる。
そんな大学生活を八年間も過ごす。
転校などできないため、不登校になる以外に逃げ道はないが……それを選んだら、魔法使いにはなれず、貴族としての身分すらも失う。
これにはユースティティアも少し同情を抱く。
そもそも……少し前のユースティティアも似たような状況だったのだ。これを見捨てるのは、寝覚めが悪い。
「やってあげれば良いじゃん、ユースティティア。多分、似合うと思うよ」
「プロセルピナ、あなたは私のことを馬鹿にしてるんですか? それとも褒めてるんですか?」
「え? 褒めてるんだけど」
プロセルピナ・ウィオラケウムはきょとん、とした顔で言った。
ユースティティアは額を手で押さえる。
「うんうん。私も似合うと思うわよ。あなたって、地味にプライド高いし、高飛車だし、自信家だし。あ、これは褒めているの」
「あなたは明らかに私を馬鹿にしていますね。あと、あなたにだけは言われたくはありません」
アウローラ・フラーウムは明らかにユースティティアを揶揄っていた。
ユースティティアは彼女を睨みつける。
「おやおや、ユースティティア様は可哀想な貴族たちを見捨てるのか。酷いものだ」
「アウルス! あなたに言われたくはありません!」
あなたが派閥を作れば、解決するだろ!
と、ユースティティアはアウルス・アルゲントゥムに対して苦言を言った。
そしていじめられっ子と愉快な仲間たちの方を見る。
人数は約二十人。
そのくらいの数ならば、問題は無い。
……と言いたいところだが、ユースティティアにはまだ聞きたいことがあった。
「一つ、教えてください。何故、今になって私に頼むのですか? 私が四年生たちを倒したのは、随分と前ですよ」
そう言えばまだ眼鏡の弁償をされていない。
ユースティティアは後で請求しに行こうと思いつつ、いじめられっ子に尋ねる。
「そ、それはその……僕らの両親も、傍聴席にいましたので」
「傍聴席? ……ああ!!」
ユースティティアの顔が赤く染まった。
つまり、この貧乏貴族たちは嵩増しのために、アルゲントゥム家らに金で雇われて傍聴席にいたのだ。
それが意味することは、ユースティティアが裁判で号泣したことも……孤児院でイジメられていたことも知っているということになる。
「あ、アウルス! も、もしかして……私のこと、ゆ、有名になってませんか?」
「あー、まあ、それなりに知れ渡ったかもしれんな」
少し返答に迷うように言った。
ユースティティアはアウルス・アルゲントゥムの言う「それなり」が、実際には「かなり」という意味であることを察した。
ユースティティアは机に突っ伏した。
顔がとてつもなく熱い。
「ユースティティア、大丈夫? 耳が赤いけど」
「何、恥ずかしがってるのよ」
「うるさいです……呪文を食らいたいですか?」
ユースティティアは顔を上げて、プロセルピナ・ウィオラケウムとアウローラ・フラーウムを睨んだ。
その顔は茹でたタコのように真っ赤になっていた。
「……穴があったら入りたいです」
孤児院でイジメられていたことが広まるのは、屈辱だ。
そして……号泣していたことも恥ずかしい。
何もかもが、恥ずかしく、ユースティティアは泣きそうになった。
「そ、それで……私の、それが、一体何の関係があるのですか?」
「いえ、その、僕らのことを守ってくれるのではないかと……思いまして」
大概の人間がユースティティアに抱くイメージは、「真面目そう」「怖い」「冷たい」と……少なくとも好印象はあまり抱かない。
そんなユースティティアが、感情を露わにして号泣したのだ。
ユースティティアに対する親しみ難そうなイメージが、親しみ易そうなイメージへと変わるのは当然と言えば当然だ。
一応、納得したのか、ユースティティアは顔を赤くしたまま頷いた。
「分かりました。ですが私は……あなたたちのリーダーになるつもりはありませんし、派閥を作るつもりもありません」
まずユースティティアはそう宣言した。
元々、ユースティティアはタルクィニウス・アートルムの娘ということで警戒されているのだ。
派閥など作ったら、ますます警戒されてしまう。
タルクィニウス・アートルムが大学で作った派閥や人脈を使って、政権を奪い取ったことはあまりにも有名だ。
ユースティティアの宣言を聞いた約二十人は泣きそうな表情を浮かべた。
その顔を見て、やはり妥協するしかないとユースティティアは思い至る。
「……ですが、あなたたちが勝手に私を崇めるのは自由です。それをやめさせる権利は私にはありませんからね」
ユースティティアがそう言うと、約二十人は目を輝かせた。
ただし釘を刺しておくのも忘れない。
「ただし! 条件がいくつかあります。まず、私に付き纏わないことです。私にも人間関係とプライベートがあります。それを壊されるのはごめんです。それと大量のプレゼントも要りません。食べきれませんし、残したら勿体無い。そもそもあなたたちはあまりお金がないんでしょう? 最後に私の名前を勝手に使って、この大学で威張り散らさないこと! 私はただでさえ、疑われているんです。あなたたちの評判がそのまま私の評判になると思いなさい。以上!! 分かったら、早く解散しなさい!!」
こくこくと首が取れるのではないかと頷いた約二十人は、その後ユースティティアに一礼してからバラバラに解散していく。
「素晴らしい演説だったよ、アートルム様」
「アウルス、さすがに怒りますよ」
ユースティティアが睨むとアウルス・アルゲントゥムは肩を竦めた。
「まあでも、実質派閥形成を認めたようなものでしょ。この分だと、私とプロセルピナは幹部ね。アウルスが側近、右腕ね」
「幹部かぁ……なんか、カッコよくて良いね!」
「お気楽で良いですね」
ユースティティアはアウローラ・フラーウムとプロセルピナ・ウィオラケウムに対し、呆れ顔を浮かべた。
それから、ふと気づく。
「お菓子、持ち帰らせるのを忘れていました……」
山のように積み上げられたお菓子の山を見て、ユースティティアは溜息をついた。
アウルス・アルゲントゥムが肩を竦める。
「お前、たまに抜けてるよな……食うしかないだろ。少し、待ってろ。応援を連れて来てやる」
そう言ってアウルス・アルゲントゥムが立ち上がった。
どうやら男友達を招集してくれるようだ。
こういうところは面倒見が良い男だ。
どこか憎めないところがある男を、ユースティティアは見送る。
「私も手伝うわ。……ダイエット中だけど、友達のピンチだもの! 仕方がないわ!!」
言い訳を口にしながら、アウローラ・フラーウムはお菓子の山に手を伸ばす。
この分だと彼女のダイエットが成功することは一生無さそうだ。
「ん、美味しいよ、このお菓子」
かなり前からお菓子を一人で食べていたプロセルピナ・ウィオラケウムが言った。
ユースティティアは溜息をつき、お菓子に手を伸ばす。
余った分は持ち帰れば良い。
特に焼き菓子の類は日持ちする。
ユースティティアは自分の召使奴隷に、余った分は食べさせようと思いながら、傷みやすそうなお菓子を口に運んだ。