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その頃、中央図書館のある王立学園の理事長執務室では、
「教育資源の偏りが、また強くなってきてますわ。王都近くにばかり学園施設や修行場が集まっては、今後の用地確保が難しくなりますわね」
学園の理事長である妖精王妃──ティタニア・ディアナ・アーベルクが、書類作業をしながら頭を悩ませていた。
「妖精王妃さま。お求めの博物資料の目録をまとめました」
部屋で事務仕事をしていた秘書が、振り向いて報告してきた。
「学園内にある博物標本と文献の分布は、すぐに出せるかしら?」
「すべてまとめてよろしいでしょうか? 歴史標本、民俗標本、生物標本、化石標本、地質標本、科学標本など、分けて表示できますが……」
「いえ、その分け方は求めません。現在、条件付きでも一般公開しているものと、まったく公開してない博物標本の分布図は出せますか?」
「すぐご用意します。現物の公開か、複製品や写真の公開、修復や調査中などで公開してないもの、完全に死蔵してるものなどの表示は……」
「そのあたりはお任せします」
「わかりました」
すぐ部屋の中央に大きな学園地図が現れた。そこに何色もの点が映され、その横に小さな文字と数字が表示される。
「ここ、やけに非公開となっている標本が多いですわね。ここはどこです?」
「そこは中央図書館でございます。奥地で発見された書庫で発掘作業をしてますので、毎日のように新しい標本が増えているのだとか」
「そうですか……。中央図書館の……」
答えを聞いたティタニアが、イスを回して外に目を向ける。
「……あら? 火山の練習……かしら……」
窓の外に広がる大樹海。その中にある岩山から、黒い煙が出ていた。
「妖精王妃さま。あれは中央図書館では?」
「中央図書館が噴火してるのですか?」
「いえ、噴火は忘れてください……」
ティタニアのボケに、秘書がやんわりとツッコむ。
「イツミ殿の教え子が、間違えて噴火させたのかしら?」
ティタニアがそんなことを言いながら、端末手帳に手を伸ばした。
すぐ通信画面が飛び出し、そこに『呼び出し中』の文字が浮かぶ。
『はい。イツミよ。ティタニア、どうしたの?』
呼び出したのは気象精霊の師範──イツミ・ハマリヤド・アマテルだった。今は戸外にいるらしく、背景には木立が見えている。
「イツミ殿。誰か火山の練習をしてませんか?」
『火山の練習? 修行は子どもたちの自主性に任せてるから、誰かが火山を作っていても、すぐにはわからないわ。それがどうしたの?』
「それが……、中央図書館が噴火してるみたいで……」
『中央図書館が噴火? どういうこと?』
そう返してくるイツミの背景が、下に動いて樹海が見えてきた。通話しながら空に昇ったようだ。
『……って、あれは山火事じゃないの? 消防隊を出動させなきゃ』
「あ、やっぱり火事ですか。噴火でなければ良いので……じゃない!」
その段階になって、ようやくティタニアが立ち上がった。
「すぐに消防隊に連絡。中央図書館に向かわせなさい」
「は、はい!」
秘書も行動を起こしてなかった。もう誰かが消防隊に連絡してるだろうという気持ちがあったのかもしれない。だがティタニアに言われて、ようやく消防隊に緊急事態を伝えた。
同じ時間、王立水棲生物園へお使いに出ていたナヴィアは、
「きゃあぁ〜! メチャ可愛いぃ〜!」
そこで飼育員に案内されて、目当てのモモタコを撮っていた。
プールの中をいくつもの大きな桃が流れている。すくい上げて割ってみたくなる、立派な桃だ。
その桃の一つがプールから這い揚がってきた。クダモノの桃のような上半身の下に、八本の短い足のあるタコだ。
そのタコは陸上を歩けるが、バランスが悪くてコロンと倒れている。
「おや? ナヴィアさん。図書館から煙が上がってないか?」
ナヴィアを案内していた飼育員が、そう言って外の樹海を指差した。
地平線の彼方まで続く大きな樹海の中に、点々と山がある。その中でも遠くに見える大きな岩山の頂から、黒い煙が昇っていた。
「煙? まるで噴火したみたいですね」
ナヴィアが岩山にカメラを向けて、最大望遠にした。
煙は山頂ではなく、九合目付近から出ている。そこから煙の塊が噴き出した。まさに火山爆発を見ているような光景だ。
それを見たナヴィアの頭の中で、
「こっちを撮るより、今はあっちの方が……」
という野次馬打算回路が働く。
「今日はこれで帰ります。案内、ありがとうございました!」
そのナヴィアがふわっと宙に浮いて、飼育員にお礼を言った。
「では、お気をつけて……」
「それでは」
──ばびゅん!
軽くあいさつを交わした直後、ナヴィアが急加速して飛び去った。
そのナヴィアのいた場所に、音速を超えた時にできる名残の雲が残っている。だが、それはすぐに溶けるように消えていった。
「大変です! 館内で火事が起きてます!」
図書館が火事に気づいたのは、外で煙が見えてから、かなり時間が経ってからだった。
館長室に飛び込んで司書が、慌てた声で火災発生を報せている。
「火事ですと? まだ報知器は鳴ってませんが……」
館長に慌てる様子はなかった。ゆっくりと席を立ち、部屋から顔を出した。
館長室のドアからは、まだ火事の様子は見えなかった。だからか、
「どこが燃えているのですか?」
と、落ち着いた口調で尋ねる。
「北東区画の奥です。ほら、ドラゴンの子がいるあたり……」
「ドラゴンの? ネットを張るだけではダメでしたか。いや、まさかネットが燃やされた……とか……」
司書の言葉を聞いて、ようやく館長の表情にあせりの色が出た。
幼竜が本に近づかないように、ネットで囲えば何とかなると思った。だが、それでも火事になったのは、何か致命的な見落としがあったようだ。
「な、なんで報知器が鳴らないのですか? これでは初期消火もできないではありませんか。不良品では……」
次に館長の口を衝いて、そんな言葉が飛び出した。
早くも気持ちは責任転嫁だ。
「ドラゴンの子が鳴らしちゃうから、切ったんじゃないですか」
「あ、切りましたね。そう言えば……」
そこは自分の指示だった。
「と、とにかく火を消してください! 気象班を出動させて!」
そう指示を出した館長が、部屋の奥へ戻っていく。そして、そこにある自分の机に、どっかと腰を下ろした。
「館長は、何をされるんですか?」
「き、決まってるではありませんか。消火の計画書を作るんです」
館長はパニックを起こして、自分が何をしてるかわからくなっていた。
「むむっ。その前に稟議書を作って、根まわしをしなくては……」
「これはダメだわ……」
館長の様子を見て、司書が注意するのをあきらめた。その司書が、
「あ、まだ何もアナウンスしてないじゃないの!」
これまで一度も館内放送がないことに気づいて、急いで放送室へ向かった。
そのため館内ではまだ、ほとんどの司書も利用者も火事に気づいていない。ただ入り口から吹き込んでくる風が強くなってきたため、それを不思議に思う利用者は何人かいた。
そこへ、
「火元はどこだぁ〜っ?」
耐熱服を着た二人の消防士が、放水ノズルを持って飛び込んできた。その放水ノズルは亜空間ホースがつながっているため、見た目にはホースがないように見える。
「なんだ? 報知器が鳴ってないぞ」
「誤報のはずはない……よな。外にあれほどの煙が出てるんだから……」
消防士たちは、入り口で意外な光景を見た。
館内では司書も利用者も、何事もなかったようにしていたからだ。
だが、天井を見た隊員が、
「煙が流れてきてる。あっちからだ」
と、煙の動きから火元へ向かおうとする。その時、
──ジリリリリリリリリ……
『火災発生。火災発生。ただいま館内北側で火災が起きています。利用者のみなさまは至急最寄りの出口から避難してください』
非常ベルが鳴り出し、同時に緊急アナウンスが流れてきた。
「火事だって?」
だが、入り口から見えるあたりにいる利用者は、反応が鈍かった。中には、
「どこで起きてるんだ?」
と、野次馬根性で見にいこうとしてる人もいる。しかし、
『火災発生。火災発生。ただいま館内北側で火災が起きています。利用者のみなさまは至急最寄りの出口から避難してください』
アナウンスが繰り返され、
「きゃあ、煙が……」
「逃げろ。こっちだ!」
火元に近い方から利用者たちが逃げてくると、たちまち消防士の入ってきた出入り口に殺到してきた。
「うをぉ。ちょっと待てぇ!」
パニックを起こした利用者たちの流れに、消防士が呑まれた。
「早く出ろ! 煙が、煙が……」
出入り口は広い造りだが、利用者がいっせいに出るには限界があった。前が詰まって、あとから来た利用者が出られなくなっている。
しかも冷えた煙が床を這って、利用者たちを追ってきたのだ。
「もう気象班には無理だ! 消防隊はまだか?」
遅れて消火にあたっていた気象班たちも、図書館の奥から逃げてくる。
「ダメだ。一端、出るぞ!」
その流れに逆らえず、消防士たちも外へ戻った。
その正面玄関の先にある樹海の上で、ティタニアと秘書が見下ろしていた。
正面玄関と樹海の間には噴水のある広場がある。そこに大きなタンクを載せた浮き船──消防タンカーが二隻降りていた。図書館での火災だけに、水を使わない霊術消火剤を満載した消防タンカーが出動してきたのだ。
「妖精王妃さま。これ以上建物に近づくのは危のうございます」
「何を言ってるのです。こんなに離れていては、わざわざ来た意味がありませんわ」
そんなやり取りをするティタニアたちの下を、新たな消防タンカーが降りていった。他に二隻の消防タンカーが、煙の出ている建物の上へ向かっていく。
先に降りていた二隻のタンカーの周りで、消防士たちが作業していた。その隣へ降りていく消防タンカーから放水ノズルを持った消防士が飛び降りて、正面玄関へ向かおうとする。
ところがその正面玄関から、大勢の精霊がドッと飛び出してきた。図書館から逃げ出す利用者たちだ。その流れに呑まれて、先に入っていた消防士たちが押し戻されている。
「何事かしら?」
それを見ていたティタニアが、広場へ降りようとした。そのティタニアの腕をつかんで、
「妖精王妃さま。危のうございます。どうか、ご自重くださいませ」
秘書が必死に引き止めようとする。
そこへ、
「ティタニア! あなたも見に来たの?」
広場から雲に乗った一人の精霊が上がってきた。先に来ていたイツミだ。
「イツミ殿もいらしたのですか?」
「さっき連絡をもらったでしょ。それで、そのまま……ね」
目を正面玄関に向けたまま、イツミがティタニアの問いかけに答える。
そのイツミの乗る雲に、ティタニアも降り立った。
「中はどのような状況かしら?」
「推測するしかないけど、先ほど非常ベルが聞こえてきてね。それでようやく避難が始まったみたいよ。中ではそれまで火災に気づいてなかったのかもね」
「防火設備の不具合かしら?」
「その可能性はあるわ。それで初期消火ができなかったのでしょうね」
そんな言葉を交わしながら、二人を乗せた雲が広場へ近づいていく。
それを止められず、秘書が困っていた。
「ところで図書館には、火事になるような火元はあったかしら?」
「火事の原因? そんなの誰かが火を使ったからに決まってるじゃないの」
「放火ですか?」
「その可能性もあるわね。世の中には自分の知識や思想が絶対だと思って、反することが書かれた本を衝動的に破り捨てたり、燃やしたりする狂信家がいるでしょ。宗教家に限らず、学者の中にも……」
「焚書……ですか。そういうことをする精霊は……いますわね。どこにも……」
話を聞いていたティタニアが、うんざりした顔をする。どうやら思い当たる件が多いようだ。
「他にも図書館の奥には暗い場所があるからね。灯り取りに火の魔法を使った考えなしがいて、それで本に燃え移った可能性も考えられるし……」
「まさか。そんな愚かなことは……」
「ティタニア。世の中はね、常識通りにはいかないのよ。たとえば勉強熱心な誰かが新しい炎の術を調べに来て、見つけたので思わず使ってしまったとか……」
「なるほど。そういう可能性なら、十分ありそうに思えますわね。この学園に入ってくる子たちは、みんな優秀で勉強熱心ですから」
などと話している間に、図書館から逃げ出す精霊の流れが終わっていた。
「よし、再突入だ」
利用者があらかた避難した頃合いを見て、放水ノズルを持った消防士たちが図書館へ入り直していく。今度は三人だ。
ところが、
「ま、待ってくれ」
入り口前のロビーまで出てきた館長が、そこで消防士たちを止めてきた。
「きさま、何者だ! なぜ邪魔をする?」
「わたしは、この図書館の館長です。ここで水なんか撒かれたら、本がダメになるではありませんか」
両手を大きく広げた館長が、真剣な顔で訴えたる。
「きさま、何を言ってるか? 火事が起きてるのだぞ」
「わたしには本を守る義務があります。本を傷める行為は認められません!」
「はぁ? その本が燃えているのだぞ?」
「水を撒いたら、無事な本までダメになるでしょう」
「あ、あのなぁ……」
放水ノズルを持った消防士が、怒りで肩を震わせる。
そこへ何人もの司書たちが来て、
「本は貴重な情報源です」
「そうだ。我々には本を守る義務がある!」
館長の後ろにずらりと並んだ。消防士たちの突入を防ぐ構えだ。
「班長。我々が撒くのは水ではなく、図書館用の霊術消火剤です」
「おう、そうだった。館長、水は使わないから安心しろ」
部下に言われて、班長と呼ばれた消防士が館長たちを落ち着かせようとする。
ところが、そこに帰ってきたナヴィアが、
「ただいまぁ〜。外に妖精王妃さまがいらしてましたけど、何が起きてるんですかぁ?」
と、ロビーに集まった館長たちを見つけて尋ねてきた。その館長たちに、撮影中のカメラを向ける。
「ナ、ナヴィアくん……。妖精王妃さまが……来られてるのですか?」
館長が真っ青な顔になってナヴィアに尋ねた。それにナヴィアが、
「はい。広場の上で雲に乗ってますよ」
カメラを館長たちに向けたまま、外を指差して答える。
「そ、それはマズい……」
「妖精王妃さまに不祥事がバレたら……」
館長たちは、まだバレてないと思っていた。直後、
「きみたち、ただちに出ていてくれないか」
「利用者でない方の立ち入りは厳禁です。退去願います!」
館長と司書たちが、必死な顔で消防士たちを外へ押し出した。そのついでに、
「ええぇ〜? なんで、わたしも……?」
ナヴィアも一緒に、図書館から追い出されてしまった。
「バ、バカヤロー。鍵を掛けやがった!」
消防士たちを追い出した館長が、あろうことか入り口を施錠してしまった。
しかもドアの内側に『臨時休館』と書かれた立て札が置かれる。