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妖精界にある王立学園。そこは精霊世界の三大学園と呼ばれる名門である。
そこでは大勢の若者が学ぶと共に、一流の学者たちが最先端の研究を行っている。そのために世界中から必要な文献が集められるため、それを保管する中央図書館には、精霊世界で一、二を争う蔵書量となっている。
当然、図書館の規模も大きくなり、その建物は遠くからは岩山のような見た目になっていた。
その図書館は、妖精界の王都──西の都寄りの樹海の中にあった。
樹海を円く切り拓いた中に、その図書館の建物が岩山のようにそびえている。
その中に入ると、広い空間の中に無数の書棚が並んでいた。上下左右どの方向にも棚が続くため、まるで無限にあるように錯覚する空間だ。
その中を本を抱えたり、本を入れたバッグを肩に掛けたりした何人もの司書が、忙しく飛びまわっている。
「あ、ナヴィア先輩。この本を返す棚ですけど……」
本を持って戸惑っていた若い司書が、通りかかった先輩を呼び止めた。
「このあたりで間違いないんですよね?」
呼び止められたのは、透明な二枚翅を持った純妖精だった。その彼女──ナヴィアが見せられた本を見て、
「ターナ。その本を入れる棚は、あっちに移ったんじゃなかったかしら?」
と、斜め上を指差す。
「ああ、そう言われてみれば、棚……、移しましたねぇ」
「ホント、なんで急に動かしたのかしら? 置き場に困ったわけでもないのに……」
そう零したナヴィアが、軽く肩をすくめる。そのナヴィアが、
「誰に聞いても、理由を教えてくれないのよねぇ。ターナは、何か聞いてないかしら?」
と言った時、
──ピピピッ、ピピピッ……
ナヴィアの持つ端末手帳が、呼び出し音を鳴らしてきた。
「はい。ナヴィアです。……え? お使い……ですか? わたしが?」
仕事の連絡だった。
「王立水棲生物園の研究所へ、図鑑の貸し出しですか……。重そうですね……」
ナヴィアの口調はイヤそうだった。だが、
「え? 園内を見学してきていいんですか? いえ、イヤじゃないですよ。あそこはフラッシュやライトを焚かなければ、撮影は自由でしたね」
話をしながら、ナヴィアの空いた手にカメラが出てくる。
「これは今人気のモモタコを撮るチャンスですよ。そのお使い、絶対に他の人にはまわさないでくださいね」
ナヴィアが通話の相手にお願いしながら、もう一方の手でカメラを確かめている。充電具合や記憶容量を確かめているのだろうか。
そんなナヴィアを見ていた新人司書──ターナが、
「モモタコって、なんですか?」
と聞いてくる。
「見た目が大きな桃に小さな足が生えたようなタコよ。……あ、何でもないです」
ターナに答えたナヴィアが、すぐに通話対応に戻った。
「承知しました。では、本の棚戻しはターナに任せて、すぐに行きます!」
「ええ〜?」
ナヴィアから本を入れたバッグを押しつけられて、ターナが非難がましく声を上げた。だが、ナヴィアは、
「わっかりました〜。急ぎのお使いですね。すぐに飛んでいきま〜す」
と通話相手に答えながら、ターナに手を振って飛んでいってしまう。
「ナヴィア先輩〜。ひどい……」
バッグには何十冊もの本が詰め込まれていた。それを両手で提げて、ターナが途方に暮れる。
「ふぃ〜。やっと終わりました……」
本を棚に差し込んで、ターナが大きく深呼吸した。
本を入れていた二人分のバッグは、すっかりカラだ。ナヴィアから押しつけられたバッグをもう一つに押し込んで、ターナが天井へ向かう。
「ナヴィア先輩は今ごろ、モモタコにご執心でしょうかねぇ? えへ、でも、あたしはもっと可愛い子を見るから、いいんですよ〜」
棚の間を飛びながら、ターナがそんなことを言った。
「あ、見えてきました。キラキラ、綺麗ですねぇ」
天井近くの壁が、キラキラと瞬いている。よく見ると、そこには穴ができていて、そこから空が見えていた。
穴の前には木々が生えている。その木の葉が風に揺れて、時々光をさえぎるのだ。つまり入ってくる光は、キラキラと輝く木漏れ日だ。
「あ、ターナ。いらっしゃい。そろそろ巣立ちするみたいよ」
目的の場所には、数人の先客がいた。その先客の一人が、やってきたターナに棚を示す。
「見て見て、もう火を吹いてるわ」
その棚には鳥の巣のようなものが作られていた。そこにいるのは幼いドラゴンだ。
「うわぁ〜。やっぱり可愛いですね。ミニチュアファイアドラゴンの赤ちゃん」
幼竜が小さな翼をばたつかせて、口からチョロチョロと火を吐いている。数は三匹。そこへ飛んできた親ドラゴンが、集まった司書たちの前で子どもたちに餌を与えている。
「ところでターナくん。ナヴィアくんに気づかれませんでしたかな?」
「館長、大丈夫です。ナヴィア先輩はお使いで、水棲生物園へ行きましたから」
先客の中に、年配の精霊がいた。この図書館の館長だ。その館長が、
「ほっほっほっ。生マジメで融通の利かない精霊には、これは見せられませんからね。すぐに追い出して、二度と入れないように壁を直せと言うはずです」
などと言いながら、ピーピー騒ぐ幼竜に顔を向ける。
それを一緒に見る司書たちから、
「そんなの可哀想ですよぉ」
「壁の穴は、巣立ってから直せばいいんです」
「館長が話のわかる精霊で良かったわぁ」
という声が上がってくる。
エサを呑み込んだ幼竜が、ゲップと一緒に小さな火を吐いた。それを見て、
「ところで、このあたりの棚の本は、すべて移動させましたかな?」
館長が誰とはなく尋ねる。
「はい。この通りと、両隣の棚にある半径二〇メートル以内にある本はほとんど……」
「ここと両隣の棚だけ平面に……ですか? この子たちが巣立ちの時に、どこを飛ぶかわかりませんよ。せめて壁までの通り道と、巣を中心に半径一〇メートルの球体内にある本はすべて片づけておきたいですが……」
「え〜? 半径一〇メートルって……、もっと向こうの棚も……ですかぁ?」
館長の意見に、司書の一人が声を上げた。
「それは当然です。本を片づけましたので、隣の通りまで簡単に行けるではありませんか。棚伝いに行くかもしれませんよ」
「待ってください。なんとか五〇万冊動かしたのに、更に半径一〇メートル以内の本を動かすとしたら、この三〜四倍は……」
「五〇万冊と言ったら、二〇〇トン近いもんねぇ。重かったよねぇ」
「あたしたちだけで、こっそり……だもんねぇ。これ以上は無理だよぉ」
司書たちが口々に難色を示す。そこにターナが小さく手を挙げて、
「あのぅ〜。それでしたら隣の棚から先に行かないように、シートかネットを張るのはいかがでしょうか」
と提案した。
「シートやネットを張っておけば、そこから先へは飛べませんから……」
「ターナ。それは名案!」
先輩の司書が、その意見に乗った。
「って言うか、ターナ、もっと早く気づいてよ。シートやネットを張るなら、本を動かす量が少なくて済んだのに……」
「あはは。それに気づかなかった、あたしたちにも問題があるけどね」
その一言で、司書たちの間でドッと笑いが起きた。
その中を餌をやり終えた親ドラゴンが、また餌集めに飛んでいく。
「ほっほっほっ。わたしも気づきませんでしたね。それではシートやネットを張ることにしましょうか。倉庫に防水シートと落下防止ネットがありますので、適当に使ってください」
「わかりました!」
館長に返事した先輩司書二人が、すぐに倉庫へ向かっていった。
防水シートは万一の水漏れに備えて、落下防止ネットは棚が傾いたり倒壊の恐れがある場合、本の落下を一時的にでも遅らせるためのものである。
「ターナ。あたしたちも行くよ」
遅れて他の司書たちも、そのシートやネットを取りにいく。
それを目で見送った館長が、
「おや? これは巣立ちの準備ですかな?」
巣に目を戻すと、一匹の幼竜が巣から出ていた。
その幼竜がピーピー泣きながら、棚板をよちよちと歩いている。そして巣から五〇センチほど離れたところで翼を広げ、通路に向かって炎を吐いた。
もう一匹も、巣からもそもそと這い出していく。そして同じように通路に向かって炎を吐こうとするが、その反動で後ろに倒れた。
「……ん?」
それを見た館長が、上の棚の裏側に、焦げ跡が点々とあるのに気づいた。これまでにも同じようなことが、何度もあったのだろう。
「まあ、動物のやることですからな」
館長はそれを見て、深くは考えなかった。せいぜい棚を汚されたという程度の認識だろう。
そのため焦げ跡を気にせず、自分の仕事へと戻っていった。
それから三〇分後。
「最初から、こうすれば良かったね」
「ホント、どうして思いつかなかったのかしら?」
司書たちが巣のある場所から棚を一つ隔てたところにネットを張り終えた。
ネットの目は粗いが、この大きさなら幼竜が通り抜ける心配はないだろう。それに視界をさえぎってないので、巣から見た光景はほとんど変わっていない。
「下にもネットを張ったよぉ〜。これなら落ちても大丈夫よね」
巣のある棚の下の方にもネットが張られた。巣から落ちた幼竜を受け止めるつもりだが、同時に本を片づけてない場所まで飛べないようにするためだ。
「ターナ。お手柄よ」
「さあ、仕事に戻りましょう」
残ったネットを抱えた先輩司書が、そう言って倉庫に戻っていった。
使わなかった防水シートが、棚に置き忘れられている。
「これは一回では運べませんね」
それに気づいたターナが、半分だけ持って倉庫へ運んでいく。残りはまた戻って運ぶつもりだ。
司書たちのいなくなった巣の周りでは、幼竜たちが棚の上を出歩いて遊んでいる。その中の一匹が、置き去りにされた防水シートに気づいた。最初は恐る恐る触れてみて、そのあとシートに飛び乗ってみる。
防水シートは空気の通りが悪いため、折りたたんだ時に中に空気が入っていた。その上で飛び跳ねると、その空気が動いて面白いように身体が弾む。それが楽しいのか。幼竜がピーピーと声を出して、シートの上を転げまわった。
それを見て、他の幼竜たちも近づいてきた。先に遊んでいた一匹を真似て、自分たちもシートで遊ぼうとする。それで三匹がシートに乗ると、弾み方も不規則になった。それがなおさら楽しいのだろう。うれしそうに炎まで吐いている。
その炎が、防水シートに燃え移った。一応は難燃性の素材だろう。すぐには燃え広がらず、少しシートが溶けたところで消えていく。だが、炎を何度も浴びるうちに溶けたシートに火がついて、それが棚の上へ広がっていった。
『ピー、ピー、ピーッ!』
幼竜たちが火に驚いて、シートから逃げた。
そのうちの一匹が棚から落ちて、深い書庫の谷底へ落ちていく。必死に羽ばたくが、まだ巣立ち前だ。空中でバランスを崩して、お腹が上を向いてしまう。
もっとも、すぐに下に張られたネットに受け止められた。不安定なネットの上で、ジタバタともがいている。
そのネットに、火のついた防水シートが溶け落ちてきた。それがネットに絡みつき、ネットにいくつも穴をあける。
『ピ─────ッ!』
もがく幼竜が、その穴に落ちた。そして再び深い書棚の谷に落ちていく。
「ん? 何の煙でしょう?」
しばらくしてターナが戻ってきた。置き忘れた防水シートの半分を倉庫に片づけ、残りを取りに戻ってきたのだ。
「ああぁ〜。何かが燃えてます!」
そのターナが、棚で燃えている防水シートを見つけた。
「け、消さなきゃ!」
すぐ霊術を使って炎を消した。
水を使うと下の本に被害が出るため、ターナは冷却術で炎を消していた。
棚に霜が付き、逃げた幼竜が凍った床ですっころぶ。
だが、液体の水とは違って空気による冷却には時間がかかる。そのため周りが凍っても、炎の中心はしばらく燃え続けていた。
「……はぁ〜。やっと消えました……」
そう言いながら、ターナが燃えた防水シートに手を伸ばした。
触ったシートには熱はない。完全に冷えて固まっていた。これなら、再燃する恐れはないだろう。
シートがパリパリと音を立てて、棚から剥がされていく。
その様子を、一匹の幼竜が名残惜しそうに見ていた。
その横で、もう一匹は今度は氷で遊んでいた。助走して薄い氷に飛び乗り、棚の上をすべっている。
それを見たターナが、可愛らしい遊びに心が和んだ。先ほどのあせった気持ちも、幼竜の仕種にすっかり癒されている。
「もう、あんまり火を吹いちゃダメよ」
幼竜に言葉が通じるとは思えないが、ターナがそんな注意をした。
そのついでに、棚をもうちょっと凍らせてみる。氷で楽しそうに遊んでるからだ。
端末手帳を出して、その様子を映像に収める。
そして、焼けた防水シートを持って、仕事へ戻っていった。
そのターナは、一匹いなくなっていることに気づいてなかった。
その一匹は床まで落ち、
『ピーッ、ピーッ、……』
心細そうに鳴いて、大きな炎を吐いていた。
炎で親に自分の居場所を報せているのだろう。
だが、その炎が棚に差された本に燃え移り、再び火事を起こしていた。