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It is no use crying over spilt milk  作者: 風音沙矢
8/11

It is no use crying over spilt milk 08

漣が、宗谷岬から、旅を始めました。

考えることは、美佐子のこと、そして義理の両親のこと。

殻に閉じこもっていた漣が、やっと、周囲のことを見ることが出来るようになっています。






 そのひと月前、

「新学期前の一番影響のない時期で良かったわ。」


 そう、うそぶいている美佐子の目に涙が光ってた。5年の間、やり直す努力をしようとしていた美佐子と、やり直せるように願っていた義父母。僕は、やり直そうなんて思いもしなかった。自分だけが不幸なんだと、殻に閉じこもって周りを見ようとしてなかった。僕のことを心配して、家族として思っていてくれたのかと胸を痛めた。それでも、もう、戻れない自分がいる。いつか、笑って会える日が来るのだろうか。


 東京を離れ、今、宗谷岬の先端に立っている。空気が澄んでいれば見えるというサハリンに、ジッと目を凝らした。白波がたつ水平線を見ていると、ボーボーと言う風の音だけが、僕を包んでいた。これから、何をしたらいいのか、答えが出ないまま、ここへ来た。自分の人生を見つめ直そうと、宗谷岬からどこまでいけるかわからないが、歩けるだけ歩いてみようと考えた旅だった。


 季節は春まだ遠い最北の4月。東京の冬よりも厳しい。耳がちぎれるような寒さに、思わずコートの襟を立て、何も無い岬を後にして、歩き出した。今日の宿泊先も、まだ決めていない。さすがに、野宿はできないだろう。歩けるだけ歩いて、民宿があったらそこで聞いてみよう。北海道の観光は4月がオフシーズンらしく、何とか宿泊できるだろうと思っていたが、この寒さには、さすがに不安にさせられた。とりあえず稚内へ向かって歩き出した。


 宗谷国道238号線を西に向かい、海から吹き付ける風の音を聞きながら、美佐子を思って歩いた。不思議とこの5年間の美佐子ではなく、キラキラと輝いていたころの美佐子だ。自分は、美佐子へのあこがれを恋とすり替えていた。ずっと追いかける僕を、美佐子はどんなふうに思っていたのだろう。彼女にしたって、彼女にあこがれていた奴は僕のほかにもいたように思うが、学生時代、僕以外とは付き合っていなかったはずだ。僕が金魚の糞のようについて回っていたから、彼女も、恋愛感情だと勘違いしたまま、結婚してしまったんだと思う。そして、僕は、6年前に、違うことに気付いてしまった。


 黙々と歩き続け5時間、やっと宿を見つけた。都合よく明日からの道への分岐点だ。急だったので夕食は準備できないとの事だったが、近くの食堂で済ませ、宿に戻って熱い湯につかった。明日は、早めに出発したい。朝食は7時にお願いして、布団に入った。


 今日は、快晴。風は強く、あまりの寒さに防寒着の上に持参した合羽を重ねて着て歩き出した。黙々と国道を歩いた。市街地を離れると、雑木林の中に点々と牧草地が見え隠れする。北海道の過酷な環境の中でも、最北の地に人は住み、日々の営みがあるのだ。自分には何も無くなってしまったが、家族の温かみがそこにはあるのだろうと、途中、旅館で作ってもらった握り飯を頬張りながら考えた。そして、また黙々とまっすぐ伸びた国道をひたすら歩いた。車でさえあまりすれ違わない国道を歩いて、豊富に到着した。ここで宿泊だ。ここには温泉があり、ゆっくりと浸かって筋肉痛の始まった足をもんだ。



 3日目、朝7時半、今日も、国道をまっすぐ南へ向かった。一日のペースを50キロと決め、この誰とも会わずに、車とはわずかにすれ違う程度の道を南へ向かって、宗谷本線と近づいたり離れたりと国道40号線を黙々と歩いた。標識が左へ行くと歌内駅と書いてある。そろそろ50キロ地点かと時計を見ると、もう夕方6時を過ぎていた。そして、うっかりとしていたことに気付く。ホテルがないのだ。

 もともと、あまり計画性がなかったのだが、50キロを目標に、ほかは何も考えず歩いてきたせいで、夕方になって途方に暮れた。まあ、凍死はしまいと高をくくって歌内の駅で夜を過ごすことにしたが、列車が来る間はさすがに寝ることはできない。最終は、稚内行き19時53分だ。それまで待とうと思っていると、先ほど名寄行きの列車から降りた女子高生が声をかけてきた。


「お兄さん、どこから来たの」

「宗谷岬からだよ」

「そうなんだ。それなのに、稚内行きを待ってるの。」

返答に困っていると、その女子高生を向かいに来た車が止まった。ぴょこんと頭を下げて、返事も聞かずに車のほうへ走っていった。車はなかなか動き出さずにいたが、ドアを開けて父親らしき男が漣のところへやってきた。

「君は、ここでどうするつもりなんかい。

「もしかして、あの駅舎で一晩過ごすつもりかい?」

「それは無理だな。4月に入ったとはいえ、風邪をひくよ。」

「もし良かったら、家に泊まって行け。」

漣は、少し迷ったが、その申し出を受けることにした。

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせてもらいます。」

後ろの座席に座ると、助手席に乗っていた娘が、にこやかに

「わたし、早希。お兄さんは?」

「僕は漣。サンズイに連なると書いて、漣と読むんです。今夜一晩、よろしくお願いします。」


 丁寧に頭を下げて、挨拶をした。礼儀正しく物静かな青年だと、父親の耕助は好感が持てた。

「俺は、耕助。家で待っている女房は、道子。まあ、近所では、耕さん、みっちゃんて呼ばれているから、そう呼んでくれ。」

 どこの馬の骨とも判らない、まして不審者かもしれない男を、家に泊めてくれようとしているこの耕助の人としての温もりが、漣の心にしみて思わず泣きそうになった。


 漣と言う青年は、泊めてもらうのだからと何でも手伝ってくれた。料理もうまい。洗い物も手際が良く、道子を喜ばせた。

「漣君、せっかくのご縁だし、少しうちの羊の世話をしてみない。ちゃんとアルバイト料は出すわよ。」

そう言って引き留める道子に、少し考えていたが、漣は、

「よろしくお願いします。」

と、深々と頭を下げた。その誠実な対応に、家族全員が漣に対して好感を持った。あれから1週間、なれない羊の世話を一生懸命やって、料理をし、片付けもする。夕食後は、話しかけられると好きな昆虫の話を静かに話す。最初に会って、漣が困っているのではと父親に話したくらいだから、早希は漣と気が合うようで、早希が一方的に話しているが、漣はにこやかに話を聞いていた。


 夜、与えられた部屋に戻り、カーテンを閉めようと窓辺に立って外を見た。窓の外は春とは呼べない厳しいものだが、極寒の地でありながらこの家は、建物も人もみな暖かい。この5年間、家族のぬくもりを拒絶してきた漣ではあったが、遅ればせながらそれに気づいた今、美佐子の家族を懐かしく思い出していた。

 早希の家族は良い人たちで、居心地の良さに1週間を牧場で過ごしてしまった。もし許されるのなら、もう少し居候を決め込みたいところだが、本来の目的とは違ってしまうので、自分を奮い立たせて切り出した。

「耕さん、道子さん、お世話になっていて申し訳ないのですが、明日、南へ向かって歩くことを再開しようと思います。」

この1週間の間に、少しは事情を聴いていた夫婦は、顔を見合わせ残念がり、それでも快く送り出すことにした。


 次の日、少し先まで車で送ると言う耕助の申し出を断り、漣は、大きなリュックを背負って歩き出した。何度も振り返ってお辞儀をする漣を、二人は、小さくなって見えなくなるまで見送った。

「行かせちゃって良かったのかな。」

まだ、未練の残る道子が言った。

「仕方ないべさ。もともと、日本列島縦断の旅の最中なんだから。」

「そうだけどね。あんなにまじめで働き者の人いないよ。」

「まあ、鹿児島まで行ったら、葉書送ってくれるって言ってたし、早希へさ、メールくれるべ」

早希は、今日は学校へ行かないと泣いていたが、漣がメールをすると約束をしたことで登校していた。

「そうだね。縁があったら、また、来てくれるね。」

道子は、名残惜しそうに、もう一度漣が歩いて行ったほうへ目を向け、耕助と羊の世話をしに戻っていった。







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