It is no use crying over spilt milk 07
汐里は、喫茶店を始めます。
漣を待つころを辞めました。
漣の幸せを祈ろうと、想えるところまでになりました。
きっと、函館の人々のやさしさに触れ、癒されていったのでしょうね。
祖父のお店は、車の走る道から、側道の階段をおりきった小道沿いにある。小道には、ソメイヨシノや八重桜が何本かあり、外人墓地へ来た観光客が誘われて、その小道へ入ってくることがあった。今日も、
「素敵な場所ね。」
「ここで、お茶でもできたら良いのにね。」
そう、話しながら元の通りへ戻っていくのを店の窓から見て、店を再開しようと思った。
短大の夏休み、祖父が体調を崩し1か月ほど、店を手伝ったことがあった。その時、祖父が一度だけ、私に言ったことがある。
「この店、汐里、やってくれないか?」
私は、あの頃、働くという選択肢はなかったから、正直、戸惑った。大好きだった祖父をがっかりさせるけど、
「結婚して、専業主婦になって、子供を産んで、家事をして、家族で休日は、外出して、そんな生活がしたいの。」
祖父は、案の定、肩を落として、コーヒー豆をゆっくりと煎りだした。
そんなことを思い出しながら、祖父の写真に話しかけた。
「おじいちゃんの言う通りにしていれば、こんなにつらいことなかったのにね。」
漣と別れて、3年がたった。
函館で迎える3度目の春が来た。
祖父のお店を再開したと聞きつけた常連さんが、様子見がてら来てくれるようになっていた。私の知らない祖父の話を、してくれる人もいる。店を再開して、やっと笑えるようになっていたことに気付いた時、漣を待つことを止めようと決めた。漣のことはまだ好きだけど、漣の幸せを祈ろうと思えるようになっていた。
お店を再開したとき、お客様には元気に大きな声で、対応しようと決めていた。散々泣いて、笑い方も忘れるくらいだったけど、漣の幸せを祈ろうと決めたんだから、私自身が明るく生きていかなきゃならない。強くならないといけない。
「汐里ちゃん、元気になって良かったねえ。一時は、どうなるのかと心配してたけど。」
「そうだなあ、賢さんも、安心してるべさ。」
店に出す魚を牧夫から譲り受けていたので、毎朝、汐里は牧夫の家に通ってきていた。店を再開すると聞いた時には、少し心配だったが、汐里の元気な声が、坂の下に住んでいる二人にも聞こえてきて、顔を見合わせて笑うくらいになっていた。
お店の買い出しに街に出るようになって、東京で漣とおしゃべりをした公園よりは小さいけど、似ている公園を見つけた。漣との思い出を懐かしいもの、大切なものと思えるようになっていて、毎回その公園を通って買い出しに行くようになっていた。公園の入り口で、靴紐を結び直す。漣を思って、ゆっくりと時間をかけて結び直す。幸せな時間だ。誰にも取り上げられない、漣との思い出を噛みしめる。
「私、一人でも生きていける。」
「漣を思って、一人で生きていける。」
漣と別れて、4年がたった。
函館で迎える4度目の春が来た。
お店は、おかげさまで順調にお客様が増えていた。これで、贅沢をしなければ何とか自分一人なら生活できるようになっていた。雄一郎と結婚が決まって通った料理教室のレシピも役に立っている。苦笑いが出る所だが、もう、過去のことと割り切れる所まで来ていた。そして、祖父がお店に出していた「ピロシキ」も、常連さんのリクエストでメニューに入れた。
実は、祖父は白系ロシアの父を持つハーフだったのだ。函館は、1917年のロシア革命を経て、日本へ亡命してきたロシア人が多く住んだ街だ。近くの外人墓地にも多く埋葬されている。革命後のソビエトとは、日ソ不可侵条約により第二次世界大戦においてソビエトとは中立の立場であったはずが、終戦間際にそれが破られてソビエトが参戦。多くの日本兵は捕虜としてシベリアに送られた。曾祖父やまだ幼かった祖父も、周囲の冷たい目を感じずにはいられなかったろうと想像する。
一度は、函館を離れた祖父だったが、やはりこの街を忘れられずに、定年後、祖母が早く亡くなったせいもあるが、一人でこの街へ戻っていたのだ。物静かな祖父は、多くを語ることなく祖母のもとへ逝ってしまったが、今なら、曾祖父や祖父の話を聞いてみたかったと、残念でならない。ピロシキは、曾祖父の味なのかもしれないと思っていた。曾祖父も祖父もそして常連さんたちも、大切にしようと考えるようになっていた。
そんな頃、ふらりと千尋がやってきて、一日窓からの景色を楽しみながら、時々タブレットに目を落とし、メモを取るようになっていた。
漣と別れて、5年がたった。
函館で迎える5度目の春が来た。
千尋は、1か月に1週間程度、店に通ってきていた。店が暇なとき、会話をするようになって、千尋が物書きであることが判った。実は相当売れているらしい。ひと月のほとんどを締め切りに追われホテルに缶詰めになっているとのこと。それでも、1年ほど前に気分転換にと散歩をしていて、この店を見つけたと言っていた。
「今時のおしゃれな内装でなく、椅子やテーブルも皆違っていて、客、皆がそれぞれお気に入りの椅子に座って、誰をも邪魔することなく、誰にも邪魔されずに、ゆったりと過ごしているのを見ていたら、僕も、癒されていることに気付いて、次の日、またこっちに足が向いていたんだ。」
「おしゃれじゃない。は、余計なお世話なんですけど。」
くすくす笑って話す汐里に癒されているのが、ほんとの理由なんだけどね。千尋は、にやにやしながら、小さくつぶやく。
「えっ?」
「いえ、何でもありません。紅茶を一つ入れていただけますか。」
「はい。少々お待ちください」
大きな声で、返事をする汐里が可愛くてしょうがないのだ。
昨年、長年離婚訴訟でもめていた妻とやっと離婚して、もう女はこりごりと思っていたのに、舌の根も乾かないとはこのことかと苦笑いしている。まあ、汐里との関係は、何一つ進展しているわけではないから問題にもならないが、汐里の時折見せる寂しげな表情が、いつもの明るい汐里とのギャップを感じさせ、物書きの心をくすぐられている。俺は、これからどうしたいのかな。
紅茶にジャムを入れ、ゆっくりとかき混ぜ、一口飲んだ。
函館に来て、もう5回目の春。最近は、店主としての自覚も、責任感も出てきた。常連さんの居心地よい場所を守り、観光客が函館に来てよかったと思えるような、おもてなしを考えるようになってきた。店の前の小道の桜が満開になって、今年も観光客が店にやってくるようになっていた。小道から店へのアプローチに、デイジーがかわいらしい花をつけて、函館の春に彩を添えている。
店の合間に、庭を手入れして、客の目を楽しませようとやったことのない園芸を、教えてもらいながらやるようになっていた。
汐里、31歳の春だ。
父は、仕事のついでと言って出張の帰りに寄っていてくれていたが、その会社を定年退職して、ここ半年は顔を見せなくなっていたが、4月の初めに母を伴って来てくれた。
父はいつもどおり、穏やかな顔をしていたが、なにせ母が厳しい顔をしていたので何かあるのだろうと察したが、まさか雄一郎のことだとは思わなかった。店が終わって、久々の両親との夕食なのだが、話を聞かないうちは落ち着かなかったので、自分できりだした。
「何か、あるんでしょ。」
「まったく、雄一郎さんは、勝手よ。」
「まあ、母さんはちょっと黙っていてくれないか。」
そう言って、父が話し始めた。
雄一郎が3月に実家に尋ねてきて、私名義の通帳を置いていったとのこと。その通帳は、確かに結婚した時に「君のお小遣いを入れておくから好きに使ってくれ」と作ってくれた口座だった。あまり外出することもないし特別買いたいものも無かったから、タンスの引き出しにしまったまま忘れていた。中を見ると、毎月5万円が今年の3月まで入金されている。離婚して5年、雄一郎はどんな思いで入金し続けていたのだろうか。離婚して二度と思いだしたくない相手が、自分のために毎月入金していてくれたことに、戸惑っていると、父が、
「雄一郎君は、秋に結婚するらしいよ。」
「彼は彼なりに、汐里とのことをきちんと清算したかったのだろう。」
「今更、金でもないだろうと思ったのだが、会っても愉快な相手ではない私のところに、わざわざやって来たことは、尊重してやりたいと思ったんだよ。」
「そして、汐里にとっても、雄一郎君が自分勝手な男だっただけではないと分かったほうが良いと思って、一度も店を見ていない母さんに、汐里の元気に働いている様子を見せがてら来るのもいいかと思ってやって来たんだよ。」
そうかもしれない。結婚生活は5年で破たんしたけど、就職してすぐ、雄一郎と付き合いだした頃、私はとても幸せだった。彼は優しかった。私にだけでなく、見ず知らずの人でも困っているとすぐに声をかけて手助けするような人だった。そんな彼と付き合っていることが、誇らしかったことを思いだした。なんで、あんなことになったのだろう。もうやり直すことはできないが、彼の幸せを願う気持ちにはなれる。
いつか会う時が来れば、笑って話をしよう。
父も母も、祖父の店の雰囲気を変えずに汐里が頑張っていることに驚きながら、もう、汐里は大丈夫と、安心して帰っていった。帰り際、弟の修平がこの秋に結婚すると言っていた。家族にも新しい変化も生まれ、自分も、これからのことを一度ゆっくりと考えなければならない時期になっていることを感じた。
初めこそ、祖父の常連さんがたよりのお店だったが、徐々にお客も増え、そんな中に、バンド活動をしている拓郎が、時々店にやってくるようになっていた。
「ここからの景色良いんですよね。」
と、コーヒーをゆっくり飲んでは、楽譜になにやら、書いていた。たまに、おかわりを差し出すとうれしそうに頭を下げる。修平よりも5歳若い弟のような存在だ。
店は、客が絶えることがなく、足りないものを補充するための買い物にも不自由するようになって、アルバイトを雇うことにした。店先に張り紙をして何日かしたある日、拓郎が店に入ってきて、アルバイト募集の張り紙を指さして、
「これ、僕にやらせてくれませんか?」
と、手伝ってくれることになった。
「お金も使わずに、ここの景色が見れるなんてラッキーですよ。まして、お金がもらえるんでしょ?」
にんまり笑って、私を苦笑させた。でも、彼なら、常連さんも喜んでくれると思った。
少しずつ、この地に根付いて、心暖かい身近な人たちに癒されて、穏やかな日常を幸せと感じるようになっていた。両親は、修平の家族とうまくやっていくだろう。
その修平は、ゴールデンウィークに婚約者を連れて来てくれた。混雑する時期なのでゆっくりと函館を案内できなかったことが心残りだが、店が終わった後夕食は一緒に取ることができたから、婚約者がとてもかわいい人で、気配りのできる大人な一面も見せ、安心した。修平には、幸せになってほしい。函館ドック前の停車場まで見送り、仲睦まじく乗りこんだ市電を見送りながら、祈らずにはおれなかった。
「さあ、私も頑張ろう。」
店を開けなければ。お客さんが待っている。
修平たちの乗る市電とすれ違いに入って来た市電から、漣が降りてきた。外人墓地のある坂道を、眩しそうに目を細めてみている先には、小さく汐里が見えている距離だが、気づかなかったようだ。
少し躊躇するように、すぐには坂を上らず、停車場近くにある公園で、ズボンのポケットの携帯を取り出して、じっと何か画面を見ていたが、もう一度坂道を見上げ、携帯を無造作にポケットに入れて、今度は市電に乗らずに来た道を歩き出した。




