表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
It is no use crying over spilt milk  作者: 風音沙矢
5/11

It is no use crying over spilt milk 05

汐里が、函館にやって来ました。

まだまだ、漣を思う気持ちが強くて、何もできないでいます。

汐里が、どうして公園で泣いていたのか、回想しています。






 汐里は、玄関のドアを開け、崩れるように座って、ほっとため息をついた。祖父の亡くなった、一昨年に一度来た切り、祖父が生活していたままの状態だ。

 それでも、きれい好きな祖父の持ち物は、自分の余命も受け入れて、きちんと整理されていた。祖父らしい。ただ、入院する直前までやっていた喫茶店の道具や家具は、整理できないままになっていた。

「ああ、お祖父ちゃんは、もういないんだっけ。」

言葉が口をついて出てきたら、ずっと抑えてきた感情が弾けてしまってた。泣き声を漏らさないように手で押さえても涙は止まらず、そのうちに、涙を手の甲で拭こうと口から手を離してしまうと、もうすべての自制心が崩れて、子供のようにわんわんと泣き出した。


 気づいたら、泣き疲れて眠っていたらしい。ドアをたたく音で、目が覚めた。加代さんが、ドアの前に立っていて、

「汐里ちゃん、寒かったでしょう。夜になって、ストーブ点けなきゃって思った時、汐里ちゃんのこと思い出して、灯油頼んだのよ。」

 函館に着いたら、オヤジの家の横の坂を下った所に従兄の牧夫さんが住んでいるから、管理して貰っているオヤジの家の鍵を貰えと言われ挨拶がてら、ここへ来る前に寄っていた。対応してくれたのが、漁に出て居ない牧夫さんの奥さんの加代さんだった。明るくて気さくな感じの加代さんは、余計な事を詮索せずに、

「今夜は、うちで一緒にご飯でもどう?」

と言いながら鍵を渡してくれた。ご飯の誘いは断ったけど、

「そうね。今日は、ゆっくりするのもいいわね。」

何気ない優しさが、今の自分には、嬉しいやら辛いやらで、涙がこぼれそうで、挨拶もそこそこに来てしまっていた。


「この家に、灯りがともると、賢さんが喜ぶね。」

「あったかくして、寝なさいね」

 そう言って、加代さんが帰った後、改めて、部屋を見渡す。祖父が大切にしてきた家具たちを処分するには、忍びないと、一昨年祖父が亡くなった時、ひとつひとつ磨き上げて布を掛けたままの状態の、しんと音ひとつないこの部屋で、その掛けた白い布が月あかりに照らされて、青白く光ってる。短大の夏休み、お祖父ちゃんの体調が思わしくなかったのに、頑固に店を休もうとしなかったのを見るに見かねた父の頼みで、手伝いに来ていたから、少しだけど、ここに住んでも、お祖父ちゃんは、許してくれるように思えた。

「明日から、掃除するぞ!」


 ワザと大きな声で、言ってみた。東京であった色々なものを全部捨てて来たんだから、ここで、新しく生きていくんだ。少し落ち着いて、心配している母さんに電話した。

「遅いじゃない。でも、まあいいわ。とにかくリフレッシュして来なさい。」

母さんは、少ししたら、東京に戻ると思っているけど、きっともう帰らない。漣がいる。漣があの人といる東京へは、もう帰らない。この街で、漣を思って生きていく。それは、誰の迷惑にもならない筈だから。何か生活の糧を得る事を考えなきゃならないけど、もう少し時間はある。パートで得たお金が、使わずに残っていた。


 結婚してずっと専業主婦だった。すぐに子供を産んで育てて、たまに家族で旅行に行って、義理のお母さんともそこそこ上手くやって、って思ってたのに、どこで歯車が狂ったのだろう。

「あー、また、堂々めぐり。」

くよくよと、考えてしまう自分に、「覚悟しろ!」と、カツを入れて立ち上がると、ぶるっと寒さがしみた。加代さんが満タンにしてくれた、ストーブのスイッチを入れた。

 ストーブの炎を見ていると、半年前までのことが走馬灯のように思い出された。


 その1年前に漣と出会っていた。

 私は、短大を卒業し、一部上場の会社に就職。ここで3高の男性をゲットし、若いうちに子供を産み、素敵な奥さん、そしてかわいいお母さんになるはずだった。女性社員のあこがれの雄一郎と交際することができ、勝ち組だと喜んだのもつかの間、結婚して、ちいさな疑念を持つようになっていた。それが失望へと変わるのに、それほど時間はかからなかった。いわゆるセックスレス夫婦なのだ。最初は、疲れているからと思い、次には、自分のことが嫌いになったのではと思い、でも、それだったら、なぜ私と結婚したのだろうと悩み、雄一郎の母からは、

「まだなの」

と、催促が来るようになった。


「病院へ行ってみたほうが良いんじゃない?」

「夫婦で遊ぼうなんて考えないで、早く孫を見せてよ。」

私が反論しようものなら、

「雄一郎に問題あるわけないじゃない。」

「あなたが、女性として魅力がないからでしょ」

と、露骨に嫌悪感をあらわにしてくる日々が続き、雄一郎に、それとなく理由を聞いても、はぐらかされるだけ。実家の母にも相談できないまま、気分転換の意味もあって、スーパーのレジのパートを始めた。


 その頃になると、諦めの感情が生まれていたが、あとから結婚した友人たちに次々に子供が生まれ、

「おめでとう、かわいいわね。」

「今度は、汐里の番よ。早くしなさい。もう、新婚気分は良いでしょ。」

何げない言葉が心に突き刺さり、子供を持てない空虚感が膨らんでいった。毎日がぼんやりとして、何一つ変哲のない日々だったけど、だからこそ、パートの仕事は、奮い立たせるように頑張っていた。それでも、帰ったら義母が待っているかもと思うと憂鬱になり、帰宅途中のあの公園のベンチに座っていると、公園で遊ぶ親子が目に入り、思わず涙が出ていた。そんな時、漣と言葉を交わした。

 

 漣は、パート帰りの主婦たちで混雑するスーパーにいつも一人で買い物に来ていた。買い物の内容から、一人暮らしではないことは判る。それも、男性との同居でないことも。わたしが、大きな声で、

「ありがとうございました!」

と言うと、驚いていたが、くすっと笑った。少し恥ずかしかったけど、パートを始めるとき、元気だけは取り柄の私として頑張ると決めていたから、笑われても、毎回、大きな声であいさつをしていると、彼も、必ず私のレジに並んでくれるようになった。ただそれだけだが、私の生活にもハリが生まれたようでうれしかった。そうやって、ひと月が過ぎたころ、週末の公園で漣と会ったのだ。


 泣いている私に、おずおずとハンカチを差し出され、恥ずかしさのあまり、作り笑いをして立ち上がったら、自分の靴紐を踏んで転びそうになった。それを抱きかかえられ、お互いに気恥ずかしくなった。漣は、思わずしゃがみこんで、私の靴紐を結んでくれた。

「ありがとう」

小さな声で礼を言うと、

「レジのまえの大きな声じゃないんですね」

と、漣が言った。私はこの人こんな冗談も言うんだと思ったら噴き出していた。

「良かった。笑ってくれて。それじゃ、また。」

それじゃ、またって、なんか、うれしくなって、わたしも、

「ありがとう。それじゃ、またね。」

と、言ったとき、トンボが目に入った。

「あっ、トンボ。」

「えっ?、あー、アキアカネだね。」

「アキアカネ?」

「アキアカネは、赤とんぼと呼ばれる一種なんだ。」

「まだ、秋でもないのに、いるのね。」


「名前から秋に出てくるって印象だけど、実はアキアカネが出てくるのは6月末から7月初めにかけて、ちょうど今頃なんだよ。」

と、話してくれた。その後もアキアカネの話を詳しく話す漣が、レジに並んでいる漣とは違って饒舌なことに少しおかしくなって、くすくす笑ってしまった。

「ごめんなさい。スーパーで見かけるあなたは、なんか無口そうなのに、けっこうおしゃべりなんだなって思ったら、おかしくなっちゃって。」

「本当は、昆虫の研究がしたかったんだよ。」

「え、そんなに詳しくて、今は、何をやっているの。」

「高校教師。数学の。」

「ふーん、どっちにしろ、頭いいのね。」


 なんでも良かった。少しでも、長く一緒に居たいために、本当は虫が苦手なのに、一生懸命に話を聞いた。この場を離れることを恐れるかのように、話題をつないでいると感じていたのは私だけじゃないと思った。それでも、時間は過ぎてしまって、5時を知らせる音楽がなって、はっと気づいた。お互い、慌てて、そのまま、別れてきたけど、また会えたら、いいな、なんて、中学時代の初恋のような感情に、心が久しぶりに踊った。


 その後、もう一度会えないかと思って、私は週末公園へ足を運んだ。そうして、漣とまた会えた時のときめきは、麻薬のような危うさを秘めていることに目をつむり、のめりこんでいった。雄一郎は、接待の為、土曜日はいないから、土曜日も半日だけパートに出ていて、パートが終わると、いつもの時間に池の近くのベンチに座り、鳥の話をしたり昆虫の話をしたりとたわいない会話でもうれしくて、結婚前の無邪気な自分でいられた。無口だと思っていた漣が、公園では、会話が途切れることを恐れるように多弁になっている。どんな話でも良かった。漣と一緒なら、幸せだった。楽しかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ