It is no use crying over spilt milk 11
やっと、クライマックスです。
長い、長い時が経ちました。
漣と汐里は、結ばれるのでしょうか?
そんなことがあってから1か月が過ぎた頃、千尋がやってきた。
何か聞きたそうに汐里を見て、いつもの角の席に座った。汐里が行くと、
「いつもの紅茶をください。」
そう言って、汐里の顔をジッと見てくる。
「何か、お話があるんですか。」
少し、茶化すような感じで笑いながら、千尋の顔を見る。
「まあ、少し、お店がすいたころ、僕に時間をくれないか?」
そう言って、メニューを置いた。
午後3時、店のお客足が引いて、汐里の靴音が小さく響いている。千尋のテーブルにやってきて、黙って紅茶をカップに注いだ。きっと1か月前に会った雄一郎のことを聞かれるのだろう。そんな予感とともに、千尋の前に座った。
「1か月前に店に来た、見慣れない男は、君の恋人だった人?」
汐里は、ゆっくりと首を振って話し出した。
「夫だった人よ。」
「5年前に離婚したの。」
「もう、二度と会いたくないと思って、この街に来たのよ。」
「私は、彼に不信感を抱いて人生に失望していた時、ある人に出会った。その時、彼とはもう、一緒に生活できないと思ったわ。そして、もう一度、心から笑えるような生活ができたらと、願ったのよ。人って、悲しいわね。私の思いも、その人の思いも、理解されなかっただけでなく、深く傷つけられて、ずたずたになって、私は、この街にやってきた。」
静かに笑って、携帯を開いて千尋に渡した。
そこには、ゴールデンウィーク終盤の頃、いつも通りに汐里の店に行こうとホテルからぶらぶらと散歩をしながら、ドック前の停車場のほうを見ていると、じっと坂の上のほうを見たままたたずんでいた青年の顔があった。思わず汐里の顔を見たが、何も言わずに、もう一度写真を見た。その青年は、外人墓地への坂道を見ていたのに、踵を返して千尋がいるほうへ歩き出した。なぜか気になって、電話をかけるようなしぐさで立ち止まり、その青年を観察した。背中には大きなリュックを背負い、少し疲れた感じの靴を履いていた。昨日今日、家を出たものではなさそうだ。面白そうだな。声をかけてみるかと見ていたが、実際に近くまで来たその青年は、声を気安くかけられない雰囲気で、ただ黙って見送ったのだ。
強く印象に残る男だった。あの男は汐里に会いに来ていたのかもしれないが、実際には汐里を訪ねなかったのだから、汐里に無駄な期待を持たせてはいけないと思いながら見ていると、
「わたしが、恋した人。そして今も好きな人。恋人とは呼べないような関係だったけど、私は、あの時間を大切に心にしまっているの。5年たった今でも同じ気持ちよ。もう、二度と恋はできないと思っているわ。」
「でも、先日訪ねてきた彼が、言ったの。君も、今、穏やかな幸せを手に入れてると思えたよ。って。わたしも、あれから5年がたって、少しずつ傷もこの街や人に癒されて、大人になったのかしら。うれしかったわ、彼が訪ねてきてくれて。笑って話ができて、笑って握手ができたの。」
「でも、彼の誠実さを理解することは出来て分かり合えたけど、時間は戻らないのよ。やり直しは利かないの。」
「人って悲しい生き物ね。」
千尋の手から、そっと携帯をとって、いとおしそうに漣の写真を見ていたが、少し寂しげに見えたのは、気のせいではなかろうと千尋は思えた。当分、汐里に告白はできないなと気落ちするのとは裏腹に、汐里を思うと漣と言う青年がどこにいるのか突き止めて、さっさと迎えに来い!と怒鳴りつけたい心境にもなっていた。
それから3年がたった。
汐里にとって、函館で迎える8度目の春。
函館の春は、見事に咲き誇る春だ。
以前ここで働いていた拓郎は、もう売れっ子のバンドマンになっていた。汐里の店は、彼たちを送り出した聖地になっている。常連さんたちにも居心地の良い場所を提供しつつ、拓郎ファンの子たちも受け入れたいと益々忙しい日々だった。
それでも、毎年のことだが、桜に誘われて観光客が訪れている。それを函館の人間として、おもてなしをして、自分が祖父の店を引き継いで守っていく。もう、以前の汐里ではない。汐里34歳の春。
弟の修平は一児の父親になっていた。この秋には、二人目が生まれる。自分には見せてやれなかった孫を、両親はほのぼのと味わっていた。
これで良いのだ。少なくとも両親を心配させていない今を、ありがたいと思わなければと、今日も公園の入り口で靴紐を結びなおす自分に気付き苦笑する。
「私は、漣を忘れないのかな。」
雄一郎も幸せに暮らしている。一度、葉書をもらった。娘を抱いている写真に添えて
「君も幸せになれよ。」
と、書いてあった。
「わたしは、今、充分幸せよ。」
届かない言葉を、写真の雄一郎に語り掛けた。
「そう、私は大丈夫。あなたが言った穏やかな幸せを噛みしめているわ。」
漣が再び、函館の地へ戻ってきた。もう、一週間も前のことだ。
汐里の店には行かず、江差の方面へ出かけ、大沼へ出かけ過ごしている。時は、5月。函館の春は、見事に咲き誇る春だ。彼のインスタグラムにも道南の春を取り上げ、花も昆虫も、到来した春を精いっぱい生きている写真が並んでいる。彼は、自分のライフワークとして昆虫を観察し、その魅力をネットでも出版社でも紹介する仕事をするようになっていた。地味な仕事ではあるが、彼にしかできない内容を世間に発信していた。
それでも、まだ、汐里に向き合える人間ではないと思ってきたが、美佐子がこの4月に結婚して、
「漣も、幸せになって」
と、メールをよこした。
もし、まだ、汐里が一人でいるのなら、自分と人生を共に歩いてくれと言っても良いのではと思えた。
やっと、重い腰を上げ、函館に来たのだが、汐里の店に行く決心がつかないまま、お茶を濁すように、あちこち歩き回っていた。今日も、松前のほうへ出かけホテルに帰ってきて、フロントで鍵をもらってエレベーターに乗ろうとした時、声をかけられた。
「君、3年前、ドック前の停車場に居ましたね。」
「えっ?」
「そして、昨日も、ドック前の停車場で、外人墓地への坂道を見ていたでしょう。」
「だから、何なんですか?」
「もしかして、汐里さんの店に行こうとしていたんではないですか?」
「本来なら、こんなドラマのような展開は、物書きとしてはあまりにも受けいれがたいのですが、汐里さんを大切に5年もの間見守ってきた自分としては、貴方の行動がじれったくて、声をかけてしまったのですよ。」
「良いですか、もう5年ですよ。貴方が、このまま、汐里さんのもとへ行かないのであれば、そろそろ私が、頂戴しても良いのかなと思っています。」
「これは、貴方への挑戦状ですよ。私は、汐里さんを幸せにする自信があります。」
「もう一日だけ、待ちましょう。一日だけですよ!」
ポカンとしている漣を置いて、その紳士だけを乗せて、エレベーターは上の階へと昇って行った。
残された漣は、エレベーターへは乗らずに、市電の停車場へと歩きだした。そして、途中から弾むように走り出した。自分が汐里に受け入れられなくても、汐里を幸せにしてくれる人がいた。そう思うと、なぜか、うれしくなった。
「あー、大丈夫。汐里は幸せだ。」
夕焼けにそまる函館山を見ながら、自分の思いを今度こそ、汐里にぶつけてみようと思った。
時は、5月。
函館の春は、見事に咲き誇る春なのだ。
最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。
私にとって、大作?! でした(笑)
最初の妄想(笑)から、もう4・5年が経っています。
書くことはしていなかったのですが、妄想は好きでした。
身の回りの出来事から、妄想する。時に恋愛関係ですが。
この話は、2年ほど前から、プロットにし、文章にすることを始め、一年前に一応完成させていたものです。初めは、「長い時間」と言うタイトルでした。(タイトルって、センスが必要ですね。いつも、困っています。)
プロットでは、考えていなかった方向で進んでしまい、どう終わらせようかと迷いました。書くことは、難しいですね。登場人物が好きになってしまうと、書き込みが増えてしまいます。
以前、読んでもらった知人には、
「断然、雄一郎が良いでしょ!」
と、言われ、苦笑いです。でも、そうかも(笑)
皆様のご感想をお聞かせいただければ、幸いです。
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